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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 173 )

a0212807_2032034.jpg金の価格が、世界市場で高値を続けています。
原因は、ドル・ユーロなど世界先進国のマネーを金融市場が信用せず、マネーの価値が下落しているからです。
金は、所有していてもそれ自体利息が付くわけでもないので、原油・天然ガス・鉄鉱石など資源国の巨額資産(ソプリンファンド)を運用するヘッジマネーが、資金の逃避先として金を利用しているのも要因です。
金は、古代エジプト王朝の装飾遺品類、百済の宝飾品、豊臣秀吉の黄金の茶室などから、庶民の装身具まで王侯貴族や庶民を魅了してきましたので、きっと金には人間の感性を魅惑する普遍的な美しさがあるのでしょう。   (上・下写真 : 金継ぎ工芸会の天神教室工房)
私個人は、金の延べ棒や金塊に興味ありませんが、壊れた(あるいは欠けた)古陶を繕うために、金を使った「金継ぎ」や古陶磁の欠片(陶片)をウルシでつなぎ新しい器にした「呼び継ぎ」には、大いに興味があります。
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新しい陶磁器にはない美しさが、古陶磁器にはあります。
しかし、心を魅了する古道具のほとんどは、博物館・美術館のガラスケースの中か、個人所有の蔵の中なので、この手に持ってしみじみ弄り眺めることができません。
ならばせめて、手に入る壊れた古陶磁・古陶の欠片(かけら)があれば、気に入ったものを選んで「金継ぎ」してみたいと長年思い続けていました。    (下写真 : 本阿弥光悦 銘「雪峯」金繕い)
a0212807_2084483.jpg幸運にも福岡に「金継ぎ工芸会」があり、金継ぎの門前の小僧くらいにはなりたいと、一年半前に入会しました。
見よう見まねの手習いですが、古陶の土くれを弄りながら、古えの陶工の魂に触れられれば、それで満足です。
by blues_rock | 2011-12-26 00:23 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
毎週水曜日の午前中、福岡金継ぎ工芸会(福岡市天神)の金継ぎ教室に通っています。
金継ぎの中でも手間のかかる「呼継ぎ」に、一念発起しトライしたものの1年が過ぎ‥まだ一つの作品も出来上がりません。
a0212807_0121021.jpg普段の怠けグセを反省し今週は、「呼継ぎ」作業の砥ぎに取り組みました。
昨年秋、骨董商でもある私の先生から「呼継ぎ」用として古唐津の陶片(割れた陶器のカケラ)を「お皿にすると3枚分くらい」を分けていただいていました。
唐津周辺のモノハラ(古陶のワレ・カケを廃棄し埋めた場所)から出土した古陶のカケラを、形状・色合い・厚さなど比較しながら、完成品のイメージを思い浮かべ、「呼継ぎ」作品に必要な分を選び出すのが、最初の難しいところです。
a0212807_016650.jpgそのワレ・カケの陶片を、お互いの相性(印象)で組み合わせ、完成イメージを頼りに必要な部分に目印をつけます。
その目印に沿って、電動カッターで整形していると、作業の途中でパリッと割れたり、ポキッと折れたりして、なかなか作業がイメージどおりに進みません。
電動カッターが、舞い上げる400余年前の陶土の粉塵(ホコリ)を頭から被り、部屋の至る所に白いホコリが降り積もるので、後片付けも大変でした。
整形した数個から十数個のカケラを、特殊なパテとウルシで強固に接着し、一枚の作品(たとえば古唐津の五寸小皿)の生地を作ります。
a0212807_04861.jpg現在、その接着部分にウルシを塗り、乾燥させ紙ヤスリで砥ぎ上げる作業工程です。
それを1~2か月くらい繰り返し(4~5回)続けます。
最後に赤ウルシを塗り、その上に金(粉)をまき乾燥させ、仕上げウルシを塗り、丁寧に拭きあげ乾燥したら、最後に磨き粉で丁寧に磨き、金地部分を鯛牙(たいき)でキラキラに磨きあげて、晴れて「呼び継ぎ」作品の出来上がりです。
しかし思わぬ障害が、目の前に現れました。
a0212807_0403333.jpg金の高騰で、金継ぎに必要な金粉価格もウナギのぼり‥現在1グラム7,560円となり懐(ふところ)を直撃です。
それならばと、金から銀へシフトし、銀を蒔くことにしました。
これも金継ぎ技法のひとつで「梨子地」と言います。
土くれのカケラを、一人黙々と弄(いじ)っている様子は‥なんとも不気味な光景かもしれませんが、時間を忘れ、我を忘れていますので、やはり性に合い、好きなんだろうと思います。
参考:写真は、私の「金継ぎ」・「うるし塗り(竹カゴ)」作品です。
by blues_rock | 2011-12-17 00:52 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
今年の1月半ば、2年ぶりに東京に行きました。
a0212807_11444245.jpg東京に住んでいたころ、私がよく行ったのは「美術館・博物館・映画館」の三つでした。
今回、出光美術館を訪ねて、改めて私の人生に「東京の三館(美術館・博物館・映画館)」の占める位置の大きさを感じました。
そのひとつに出光美術館がありました。
昨日12月13日のブログ「東京の古陶磁美術館」の続編(付録)として出光美術館について書きたいと思います。
日本の古陶の名品を堪能したかったら、ここを訪れると時間の経つのを忘れます。
とくに、優れた古陶を生み出した全国各地の古窯(のモノハラ)から発掘された陶片の数々は、中国古窯の磁器片収集と併せて質量ともに見事なコレクションです。
a0212807_12495458.jpg美術館(帝劇ビル9階)休憩室の大きな窓から目の前に広がる江戸城跡の石垣とお堀の緑は、四季折々に美しく、無料サービスの飲み物を飲みながら東京の空と景色を眺めるのも心地よいものです。
出光美術館を訪ねた時、幸運なことに新年企画「麗しのうつわ-日本やきもの名品選」展(2011年1月9日~3月22日)が、始まったばかりで140点くらいの名品を見ることができました。
一番感激したのは、桃山時代美濃窯で焼かれた「古志野13点」‥ただうっとり、とにかくすばらしい名品でした。
桃山時代の美濃窯で焼かれた志野の器は、私の心を惹きつけます。
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この企画展は、奈良時代の猿投(さなげ)~室町時代の灰釉(かいゆう)・古瀬戸・古唐津・鍋島・古九谷・柿右衛門・野村仁清(9点)・尾形乾山(15点)など名品選と銘打ったとおり数々の逸品を見ることができました。
a0212807_12512130.jpg東京で暮らしていたころ、いつでも見に行けると甘く考えて見逃した貴重な展覧会・映画を憶い出しては、今更ながら悔しくて「覆水、盆に返らず」の格言をしみじみ噛みしめています。

出光美術館:本館(丸の内)
by blues_rock | 2011-12-14 21:09 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
東京には、近代の数寄者が、古陶磁に心を奪われ収集した名品揃いの個人コレクションが、いくつかあります。
その個人コレクションを展示した古陶磁美術館を訪ねては、古陶磁の名品を見てきました。
a0212807_15741.jpg出光美術館(千代田区丸の内)は、JR有楽町駅からすぐ帝国劇場の9階にあります。
美術館の大きな窓からは、江戸城跡の松の緑が、四季折々に美しく、仙崖和尚(1750~1837博多の聖福寺禅僧)の書画千点に及ぶコレクションは、貴重です。
仙崖和尚については、11月2日「絵の話‥□△○(仙崖)」に書きましたので興味のある方は、そちらをご覧ください。
出光美術館の古陶片資料室へは、幾度となく足を運び眺めてきましたが(たぶん)世界のどこにもない古陶磁片の貴重なコレクションと推察します。
a0212807_0423474.jpg日本・中国・朝鮮を始め、世界の著名な窯跡や古代都市遺跡から発見された古陶磁片を時代と場所(古代の国)別に、体系的に区分整理しているので、古陶磁の学術的な実物資料館としても、超一流です。
他にも、絵唐津、中国龍泉窯青磁などの古陶磁の逸品は、必見です。
根津美術館(港区南青山)の収蔵品もまたすばらしく、必見の価値があります。
尾形光琳の燕子花図はじめ国宝7点、重要文化財指定32点、古陶磁コレクションは言うに及ばず、仏典・書跡・墨蹟など考古資料の収集などいったいどれくらいあるのか分かりません。
a0212807_0433014.jpg日本庭園も美しく南青山の住宅街の中に静寂な場所を提供しています。
五島美術館(世田谷区上野毛)にも、根津美術館と同様、国宝・重要文化財が、数多くあります。
庭園は、広大で美しく、東京に古(いにしえ)の日本の自然が、異空間のように存在しています。
初めて大井戸茶碗「喜左衛門」(国宝、京都大徳寺の孤蓬庵所蔵)を見たのも、この美術館でした。
古伊賀水指・中国龍泉窯・鼠志野茶碗(峰紅葉)は、垂涎の逸品です。
畠山美術館(港区白金台)には、茶陶を中心とした見事なコレクションがあります。
風流茶人が、自らの数寄のまま数寄を極めていくと‥どこまで至るのか、稀代の数寄者に問うてみたいものです。
静嘉堂文庫美術館(世田谷区岡本)へは、東急田園都市線二子玉川駅からバスに乗り静嘉堂文庫バス停で降りると正門があり、森の小道をしばらく歩くと岡本の広大な自然の中にようやく美術館の建物が見えてきます。
a0212807_049170.jpgこの美術館の厖大なコレクションは、日本・中国中心の古美術品で、岩崎弥之助(号静嘉堂)・小弥太親子が収集したものです。
とくに「曜変天目茶碗(稲葉天目)」は、中国南宋時代(12~13世紀)の建窯で生成されたもので大名物です。
世界に現存する曜変天目茶碗は、わずか3点‥いずれも日本にあり、3碗いずれも国宝です。
京都の大徳寺(龍光院)と大阪の藤田美術館が、各1碗所蔵しています。
a0212807_0565718.jpg曜変は、耀変とも書き、星の瞬き(輝き)を意味する耀の字が、当てられていました。
作者は不詳ですが、形状や大きさが良く似ていることから同じ陶工(同一人物)の作ではないかと推察されています。
時空を超えて作品だけが、目の前に存在し、その芸術品に宿る名もなき陶工の魂に、大いに感動いたしました。
by blues_rock | 2011-12-13 22:19 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
福岡県八女市黒木(くろぎ)町の樹齢600年という“大藤”は、国の天然記念物に指定されており、昔から「黒木の大藤」として有名です。
a0212807_0225127.jpgとくに大藤の開花シーズンともなると大勢の花見行楽の人たちで騒がしくなるので、雑踏の花見もなかろうと長い間行きませんでした。
今年ついに観念し予想通りの喧騒の中で初めて「黒木の大藤」を見ました。
風に吹かれ揺れる古木の藤を見上げていると、儚(はかな)く散った桜のあとを追うように咲く藤の、少し青みがかった薄紫色の美しい花に風情を感じました。
花見の喧騒から逃れ黒木町の山道を北へ向かい、上陽町からさらに東へ行くと山間(やまあい)に星野村はあります。
先日友人が、「土泥棒」という一冊の本と、星野焼(星野源太窯)陶器の大皿をプレゼントしてくれましたので早速本を読みました。
本の著者は山本源太さん(1942~)、星野村で明治初期に途絶えた星野窯を再興し、幻といわれた“夕日焼”を再現した方で、「土泥棒」を読み無性に「星野村」の窯元に行きたくなりました。
突然訪れた初対面の私にイヤな顔もされず源太さんは、気さくに話に応じてくださいました。
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まわり山に囲まれた庭でお茶(‥星野村は緑茶の産地として有名)をいただいているとお菓子の入った小皿に目がとまりました。
白い椿の花を想わせるカタチに少し窯キズがありました。
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その窯キズに「金継ぎ」をしたら美しいだろうな‥とダメ元で「金継ぎしたいので譲ってください」とお願いしたところ苦笑いされながら快く了解していただきました。(「金継ぎ工芸」はこちら
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それから話題は「金継ぎ」に移り、ご自分の陶器勉強のために集められた古唐津茶碗・中国龍泉窯青磁皿・李氏朝鮮白磁碗など奥から持ち出され見せていただきました。
山本さんは言葉少ないながらも、長年「土・釉・窯・火」の研究に没頭されてきたことが、よく分かりました。
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長居したお礼を言い帰ろうとしていると「金継ぎするなら‥」と、縁の欠けた茶碗と夕日焼のグイ呑みをお土産にいただきました。
普通名の知れた陶芸家(山本さんは自分を陶工と言われますが)は、満足した完品のほかは、破壊して物原(ものはら:陶器の墓場)に捨て、自分の窯の銘柄(ブランド)を守ろうとします。
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山本さんには、そんな考えも気持ちもないようで、融通無碍で悠々としておられました。
白椿輪花皿の窯キズの「金継ぎ」に加え、縁の欠けた「茶碗とグイ呑み」二品の「金継ぎ」が、ようやくできましたので山本さんに批評していただこうと思っています。
by blues_rock | 2011-11-21 01:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
「金継ぎ」(こちら)とは、割れたり・壊れたり・欠けたりした大切な陶磁器を修理し再生する技術のことです。
ご飯粒を糊にした続飯(そくい)に、砥粉(とのこ)・生漆(きうるし)・刻苧綿(こくそめん)を混ぜ合わせた刻苧(こくそ)で、割れたり・壊れたり・欠けたりした器を繕い補正しながら、さらに漆を塗り乾かし磨(と)ぎながら塗り重ねて行きます。
きれいに仕上がったら、最後に赤漆を塗り金をまいて乾かし、生正味(きじょうみ)漆で拭きあげ再度乾かしたら丁寧に金を磨(みが)き、鯛牙(たいき)で金を発色させたら出来上がりです。
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                             古唐津 金継ぎ
壊れた古陶に、質面倒くさい手間と暇‥漆の乾燥工程に一週間、さらにお金‥金の粉1グラム6,800円の費用、をかけて、いったい何が面白いんだ‥新しい器を買えば良いではないかと友だちは、私をからかいます。
当の私は新しい陶磁器に関心はなく、古陶磁ばかりに興味があります。
どんなに高価で著名な作家の新しい器でも、手に持ち弄ってみてもドキドキしないのです。
確かに月3回水曜日午前中2時間の金継ぎ教室のために、車でわざわざ人で混雑する都心(福岡市天神)で駐車場を探しながら通うのですから、我ながらご苦労様としか言いようがありません。
壊れた古陶こそが“金継ぎ”の大切な素材、室町・桃山・江戸の時代に、良質な陶土と燃料薪の豊かな山里の登り窯で、無名な陶工職人たちが精魂込めて作陶した作品の名残りだからです。
窯の中で割れたり、欠けて捨てられた美しい古陶磁器が、灌木や草に覆われ人目に付かなくなった山里の古窯跡のまわりに数多く残存していました。
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                           初期伊万里 本銀継ぎ
そんな古窯のモノハラ(陶片を捨てた場所)も発掘され尽くし、古い陶片もだんだん手に入らなくなりました。
そんな今、焦る気持ちで400年~500年前の古陶磁の破片をかき集め、個性ある「共継ぎ」・「呼び継ぎ」にトライし、稚拙ながら私だけの‘オンリーワン’金継ぎ作品を創りたいと思い続けています。
参考:写真は「骨董じじばば」コレクション(所有)から貼付しました。
このページ右下の外部リンクで「骨董じじばば」にアクセスできますので古美術に興味のある方はご覧ください。
by blues_rock | 2011-09-27 05:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
九州陶磁文化館は、佐賀県西松浦郡有田町にある佐賀県立の有田古窯の陶磁美術館です。
愛知県陶磁資料館(愛知県瀬戸市)とならび古陶磁器の資料館(古陶磁のコレクション)として有名です。
古陶の名品・逸品コレクションなら東京の五島美術館・畠山美術館・根津美術館がすばらしく、日本・中国の古窯陶片の収集では、出光美術館(東京)にかなう美術館はありません。
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九州陶磁文化館の地下室には、初期伊万里・古伊万里・古鍋島陶磁の1万数百点におよぶ柴田コレクションから常時数千点が展示されており、実に見ごとです。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島どの作品もすばらしく見応えがあります。
イギリス大英博物館にも5百数十点の柴田コレクションがあるとのことなので、ぜひ一度見てみたいものです。
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有田窯の始まりは、16世紀の終わり日本に渡来した朝鮮陶工の李参平が、有田で良質の陶土を発見し初期伊万里・古伊万里を焼いたのが始まりでした。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島が、古陶にあって“茶の湯”と無縁なのは「利休茶の湯のわび・さび・ものがれ」から遠くにあり、磁肌の釉があまりに艶っぽく美しすぎるからでしょうか。
有田なのに伊万里と称される由来は、江戸時代に有田窯で焼かれた陶磁器を有田に近い伊万里港からヨーロッパ向けに積み出していたからです。
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余談ながら当時ヨーロッパで高価に取引された日本の陶磁器が、海路による遠距離輸送で破壊しないよう包装材(クッション)として和紙を利用し、陶磁器を大事に梱包していました。
その陶磁器を包んだ和紙こそが「浮世絵」でした。
当時のヨーッロパの人々は、歌麿・写楽・北斎・広重などの美しい浮世絵が、輸出用の陶磁器を包む包装紙として使用されていたのですから、びっくり仰天しました。
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現在の私たちが、壊れ物を新聞紙で包みダンボール箱に入れる感覚で、浮世絵を包装紙に利用し茶箱に入れてヨーロッパへ運んでいたわけですから、当時の日本人の生活にさぞ驚いたことでしょう。
浮世絵は、やがて日本様式ジャポニスムのシンボルとしてヨーロッパを席巻し、ゴッホ・ゴーギャン・マネ・モネなど近代絵画に影響を与え、エミール・ガレなどアールヌーボー様式の美術工芸にも大きな影響を与えました。
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そんな日本とヨーロッパの美術史を思いながら九州陶磁文化館の初期伊万里・古伊万里・古鍋島を見ていると感慨深いものがあります。
九州陶磁文化館は、初期伊万里・古伊万里・古鍋島に興味のある方にとって必見の価値がある美術館です。
by blues_rock | 2011-09-21 20:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
水の都大阪の中央を流れる大川(旧淀川)の河口にある中の島公園の中に、大阪市立東洋陶磁美術館はあります。
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難波橋(なにわばし:通称ライオン橋)の北浜側すぐ近くに美術館(最下段写真の林の中)はあり、難波橋の西天満側に私の職場がありましたので良く行きました。
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1982年(昭和57年)に、高麗・李朝の朝鮮古陶磁と中国古陶磁器の収集で有名であった「安宅コレクション」を展示するため、大阪市が東洋陶磁美術館を設立、現在2千点余を所蔵しています。
どれをとっても逸品ぞろいで、ひとつひとつ見やすいように丁寧に展示されています。



「油滴天目茶碗(12~13世紀南宋建窯)」・「飛青磁花生(13~14世紀元龍泉窯)」は、何度見てもうっとりと見とれてしまいます。
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家業の総合商社を倒産(安宅産業の経営破綻はザ・商社としてドラマ化され有名)させるほど、当時国内外のコレクターが所蔵していた東洋古陶磁の名品・逸品収集に心血を注ぎ、執念を燃やした創業家二代目安宅英一の魂は、「安宅コレクション(国宝2点・重要文化財13点合計965点)」として、大阪市立東洋陶磁美術館に永久に遺りました。
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仕事の合間、時折訪ねては、古陶磁に見とれていました。
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東洋古陶磁を堪能した後は、美術館近くの淀屋橋から淀川周遊の遊覧ボート(パリのセーヌ川遊覧ボートに似ている)が出ていますので、遊覧ボートから風情のある大阪の街並みや大阪城を眺めながら、難波(なにわ)の夢の続きを楽しまれることをお薦めいたします。
by blues_rock | 2011-08-08 07:18 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
骨董や古美術を扱う店には、なかなか入りにくいもの、通りすがり外からウインドウ越しに店内に並べてある骨董品・古美術品を眺めるのが、常でした。
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時々勇気を出して、冷やかし(買う気はないのに)に入ることもありますが、ノドから手が出るくらいに欲しい品(もの)に出遭うことは、あまりありませんでした。
東京の日本橋・京橋・青山や大阪の老松町には、有名な骨董・古美術店が並んでいます。
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界隈の店には、勇気を出して入ろうにも懐に相応の金子がないと気おくれがして、冷やかす気持ちでは(買う気のない者には)なかなかは入れません。
骨董・古美術・古道具を扱う店は、全国にゴマンとありますが、ほとんどは古物ガラクタの類(たぐい)を売買する店です。
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勇気を出してドアを開け、店内に入ると室内の空気で骨董や古美術を扱う方(店主)のセンスが分かり、店内の骨董のレベルや価値を感じます。
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私は“好き嫌い”だけで、骨董・古美術・古道具を見る独り善がり者なので、ドキッとする品(もの)に出遭うとそっと手に取りし、げしげと眺めてそっと元に戻します。
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もちろんお店の方にお断りしてからですが‥その時骨董品の裏に小さく「時代・古窯名・価格など」も見ることができるので、驚いて取り落とさないよう、そっと(しっかり)元に戻します。
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先ごろ福岡金継ぎ工芸会でご一緒する方が、店主の骨董店「骨董じじばば」(福岡市早良区室見1-1-1)を訪ねました。
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突然の訪問でしたが、ゆっくり2時間‥古陶類や仏像などの骨董を多数拝見させていただきました。
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僭越ながら、店主は相当の目利きと推察、長年時間をかけ、自分のお目がねに適った骨董ばかりをコレクションされてきたのが、良く分りました。
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骨董品は、それぞれ適度の間を空け並べられていますので、一点を集中して見ることができます。
私は、古陶類の趣味の良さに感服、とくに心魅かれたのは、古唐津・李朝の陶器類‥酒盃や大振りな器は、欲しくて仕方ありませんでした。
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願えば叶う‥どうかいつか願いが叶いますようにと、日ごろ信心のない私もこんな時にはお祈りします。
(付録)
写真は「骨董じじばば」のコレクションの一部で、転載許可を受けています。
古美術に興味があり「骨董じじばば」に関心ある方は、こちらをご覧ください。  
by blues_rock | 2011-07-22 21:12 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
川喜多半泥子(1878~1963享年85才)は、実業家で趣味人ながら、彼の手と窯から創られた数々の陶器は、資産家の道楽ではありません。
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多忙な日常にあっても、書画骨董・茶の湯・作陶・俳句・写真など多彩な趣味をもち、そのどれもカタチに囚われない自由な姿勢で遊んでいることです。
自宅に窯を築いて、自らの作陶を楽しみ‥戦前の千歳山では、二、三万は作った、戦後の廣永で一万斗(陶土の量)はあるから合わせるとかなりの数になると、晩年の手紙に書いています。
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半泥子の号は「半ば泥みて、半ば泥まず」という意味とか、他に無茶法師(むちゃほうし)、莫加野(耶)廬(ばかやろう)、鳴穂堂(なるほどう)主人、反古大尽(ほごだいじん)などの号もありますから、精神も相当柔軟な自由人で、ユーモア溢れる人であったと想像されます。
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桃山陶を復興した荒川豊蔵(1894~1985)、古備前復興の金重陶陽(1896~1967)、古萩復興の三輪休和(1895~1981後の休雪)とは、若い頃から交わり一緒に作陶の研究を重ねていますので、生半可な趣味の作陶ではありませんでした。
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加藤唐九郎・小山富士夫・中里無庵とも、親密に交遊し作陶しています。
彼の作陶センスは、数奇の極にあって芸術作品です。
桃山陶本阿弥光悦へのオマージュとして自ら土を弄り、庭の窯で焼いた数々の陶器はどれも新しく融通無碍の精神を感じることができます。
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窯から出た割れ・カケ・崩れの失敗作もモノハラに棄てず、半泥子自身その変形・異形・破壊の具合を楽しみ、むしろ生かそうと親しい金継ぎ師に送り、陶器に新しい生命を吹き込み唯一無二の個性ある陶器を創造しました。
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川喜多半泥子は、生涯自分の作品を売ることはなく、作陶したら惜しげもなく親しい友人・知人に与えていましたので趣味の作陶と素人扱いでした。
彼の作品が、芸術性高く破格の趣を放つのは、彼がすぐれた芸術愛好家で数寄者であったからと思います。
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今でこそ彼の作陶は「昭和の光悦」と絶賛され、書画では「昭和の仙崖」と賞賛される川喜多半泥子ですが‥彼は1歳で親をなくし伊勢の豪商川喜田家を継ぎ、自分を育ててくれた祖母政子の教えを守り、終生心に留めていたからかもしれません。

己を褒めるものは、悪魔と思うべし
我を誹(そし)るものは、善・知識と思うべし
by blues_rock | 2011-06-26 14:27 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)