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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 163 )

人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎(1898~1985)が、なぜ古陶を巡る贋作事件(1960年永仁の壺事件)に関わったのか‥目的はなんであったのか‥古陶贋作のメリットとリスクを推理してみました。
1.はじめに
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私は、古い陶器が好きで、六古窯のやきものを中心に、各地の美術館・博物館・資料館で多くの古陶(甕・壺・茶碗など)を見てきました。
古陶には、古美術品(骨董)としてずいぶん高価なものもありますが、そもそも昔の人たちの生活道具(日用品)として、当時の窯元で働く無名な職人たちが、土を練りロクロを回し、登り窯で焼いて生成したもので、普段の暮らしに使いやすいよう自然に創りあげた容器でした。
古陶がもつ用の美に、茶人や大名・数寄人たちは心奪われ、茶の湯の道具として見立て、逸品を得ると銘をつけ桐の箱に入れて、後生大事と身近に置いて愛でてきました。
私個人も、桃山陶それも古志野に魅了されますので、彼らの気持ちは理解でき‥さもありなんと思います。
2.古志野
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志野といえば、荒川豊蔵(1894~1985)が、美濃(岐阜県可児市)山中の古窯跡で見つけた陶片は、志野は古瀬戸という従来の常識を覆(くつがえ)す歴史的大発見となりました。
その証拠を徳川美術館(名古屋市)に所蔵されている古志野茶碗(銘筍)に見ることができます。
志野は、江戸時代初期忽然と歴史から消え、荒川豊蔵が古志野を再興するまで、どこの窯で作陶されたかさえ分からず、長い間古瀬戸の窯とされてきました。
古志野の窯が消えたのは、志野に不可欠な陶土「もぐさ土」が、何かの理由で当時の職人の手に入らなくなったからではないか‥志野にとってもぐさ土が命であることから、そう推理しています。
荒川豊蔵は、古志野の陶片があったその古窯跡近くに自分の窯を設営(水月窯と命名)し、古志野を再現して多くの志野の名品を残しました。
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水月窯に隣接して、現在荒川豊蔵資料館ができ一般公開されています。
加藤唐九郎にも志野茶碗の傑作(銘紫匂い)があり、他に数多くの傑作名作を残し、それは名古屋市守山区の翠松園(加藤唐九郎作品館)で見ることができます。
このお二人は、桃山時代の古志野窯に引けをとらない志野を創ることができた数少ない名陶工と思います。
3.加藤唐九郎
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加藤唐九郎について書きたいと思っていましたら、友人が、「永仁の壺事件」に関するメールをしてきました。
加藤唐九郎は、稀代の名匠(陶工)であり、真摯な陶器研究家でした。
彼が、編纂した原色陶器大事典には、陶器のすべてが網羅されており、その内容たるや半端ではなく、驚嘆すべき質と量です。
陶器を知りつくした知識と陶器への情熱、求道者でないと決してできない見事な大作事典です。
加藤唐九郎は、土を知りつくし弄りつくして暮らし生きてきた人であり、人物も相当ユニークな人だったろうと推察いたします。
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当時すでに人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎は、1960年永仁の壺贋作事件渦中の人として世の中の批判を一身に浴びます。
永仁二年(1294)と銘のある瓶子(へいし)が、瀬戸の古窯跡から発掘され、鎌倉時代の古瀬戸であるとして国の重要文化財に指定されました。
この指定を推薦したのが、当時文部省にあって古陶磁研究の専門家で第一人者でもあった小山富士夫(1900~1975)でした。
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この古陶の真贋について、美術界・骨董界がマスコミを巻き込み騒ぐ中、加藤唐九郎の長男峰男(当時まだ十代)が、瓶子(へいし)は自分が作り、父唐九郎が銘を入れたものだと名のり出たからたいへんです。
加藤峰男は、その後父唐九郎と対立し、名前を岡部嶺男と変え陶芸家となります。
驚くのは、当時まだ十代の彼が、真贋で専門家を惑わすくらい父親ゆずりの作陶技術をすでにもち、早熟な名陶工であったと思えることです。
加藤唐九郎は‥永仁の壺(瓶子)は、自分が作ったと主張し、以後一切口を閉ざします。
これにより人間国宝(無形文化財)の称号は剥奪されますが、唐九郎はそんな世俗世事に我関せずと、風評などお構いなく「無一物」と号し、自らの作陶に専念し志野・唐津・織部・黄瀬戸‥と傑作を次々に残し、ライフワークの原色陶器大事典の編纂に没頭し、生涯を終えました。
4.加藤唐九郎の悪戯
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当時すでに人間国宝であった加藤唐九郎には、陶芸界の重鎮として地位も名誉もコレクターも数多であったと思いますので、お金のために古陶の贋作を作る必要は、まったくなかったはずです。
では、なぜ鎌倉時代の永仁の壺(瓶子)の贋作に銘を入れ、世に送り出したのか‥時代を超えた名陶を知り、作陶できる技量をもった稀代の陶工加藤唐九郎の悪戯ではなかのだろうか‥と推理しています。
古陶の贋作の出来映えをおもしろがり、どうせいずれバレるだろうと茶目っ気たっぷりのことだったのではないかと推理しています。
あなたならいかが、推理されますか?
5.あやうきにあそぶ
a0212807_22333380.jpg古美術骨董の世界で一流の目利きや数寄人は、真贋の間にある「あやうきにあそぶ」ものとか‥贋物を弄(いじ)られない者に、本物も分からないのだそうです。
値札や箱書き・鑑定書で真贋論争をするなどは、金銭欲にかられて自分の審美眼を他人に預け委ねることと同じ、もし値札・箱書き・鑑定書などが真っ赤な贋作(精巧な贋物)であったら、あなたはどうしますか?
やはり自分の眼で選んだものが、本当に美しく価値ある本物です。
自分の好き=数寄を育てるためには、真贋構わずたくさんの現物を見ることでしょう。
その中ににはつまらない本物もあれば、すばらしい贋作・贋物もあることが、自ずと分かってくると思います。
加藤唐九郎の作陶した贋古陶が他にもあり、古美術骨董の世界にあるとしたら愉快と思いませんか。
小山富士夫も永仁の壺贋作騒ぎの責任をとり文部省関係の仕事を辞め、この事件について一切沈黙します。
小山富士夫の偉業は、出光美術館(丸の内)の陶片室に所蔵されている日本・中国・朝鮮をはじめ世界の古窯跡から発見された膨大な陶片コレクションにあり、その古窯発掘と収集は彼の手によるものです。
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日本のやきものでは、瀬戸・美濃・唐津・肥前磁器など代表的な古窯跡の陶片を収蔵しています。
古代エジプト・中近東の古代遺跡から出土した中国・東南アジア古窯の陶片もあり、古代交易の意外な広がりの歴史を実感することができます。
陶片室で古い陶片を眺めていると、時間の経つのを忘れます。
(付録)写真は、すべて加藤唐九郎作陶によるものです。
by blues_rock | 2011-06-17 22:34 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
140年前の1872年(明治5年)創設された最も古い国立博物館です。
上野公園にある国立西洋美術館・国立科学博物館の前を通り北の方角に抜けると道路の向う側に大きく立派な建物が現れます。
広大な敷地内に本館他4館があり、古美術・古工芸・古民芸などカテゴリー別に同館所蔵の骨董品コレクションを展示しています。

◇志野茶碗(しのちゃわん)‥銘 振袖(ふりそで)
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自分の好きな作品展示ギャラリーなら一日居ても厭きることはありません。
ここでは古えの天才も無名職人も等しく時代を超えた作品としてしっかり存在しています。
傑作か名品かは、いつの時代も見る側が決めること、ただ目の前にある作品をじっと見ていると創った古えの職人たちの魂(美意識や感性)が、作品を通して心に染み入ってきます。

◇鼠志野鶺鴒文鉢(ねずみしのせきれいもんはち)
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いま目の前に見てドキドキする物がある‥それに出遭えた、私にはそれだけで十分です。
もし、古今東西の作品が、時代を超えいつか人々から芸術品と呼ばれるのは、見る人の心に「トキメキの感動」を与えてくれるから‥ではないでしょうか。

◇志野橋文茶碗(しのはしもんちゃわん)‥銘 橋姫(はしひめ)
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芸術の品質は、見る人の感受性(美意識や感性)を超えて存在することはありません。
芸術なんて‥好きか嫌いかです、私はそう思います。

◇青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん)
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by blues_rock | 2011-06-13 20:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
漆工芸(陶芸)用語で、ヒビ・ワレ・カケなど壊れた陶磁器を修理する技術(の総称)を意味しています。
「金継ぎ」とは、壊れた道具に新たな生命を与えて、道具としてまた使えるよう補修する仕事・趣味のことで、金(青金)や銀(錫・梨子地)継ぎ、赤漆・黒漆だけのシンプルなもの、金の蒔絵を施した華麗なものまであります。
「金継ぎ」の技法には、壊れた陶磁器‥割れ・欠け・ヒビ・ニュウのある陶磁器を糊漆(のりうるし)や錆漆(さびうるし)で繕うものと「呼継ぎ」と呼ばれる陶片で欠けた部分を補う技術があります。
a0212807_16355559.gif完成までの作業は、「金継ぎ」の下地が、できたら、呂色漆を塗り、乾燥したら砥ぎ成らすを何度か繰り返し、下地が、きれい整ったら、赤漆を塗り、金(の粉)を蒔いて、乾燥させ、生正味漆(拭き漆)を塗り、すぐにふき取り乾燥したら最後に磨き粉できれいに磨き上げて、作品が、一つできあがりです。
その間早くても,1か月あまり‥漆を「塗り/乾かし/磨ぐ」という一つの工程に、それぞれ1週間くらい必要なので、焦りは、禁物です。
古来より、茶人・趣味人(数寄者)は、自分の愛用した貴重な道具が、壊れると、金継ぎ職人に依頼し、再生させて愛でつくすほど執着してきました。
大切な道具への先人の恐るべき愛着と執念、またその美的センスに驚くとともに恐れ入ります。
古陶には、優れた金継ぎ作品があります。
◇ まず「馬蝗絆(ばこうはん)」 国立東京博物館所蔵、重要文化財、中国南宋の龍泉窯の青磁の名品~室町時代の将軍足利義政所有の青磁茶碗にヒビが、入ったので、中国の龍泉窯に送り、これと同じものを送って欲しいと所望するも、これ以上の青磁茶碗は、ないとヒビを鎹(かすがい)で修理し送り返されてきました。
この鎹を蝗(いなご)が、馬にとまっている景色に見立て、茶の湯の席でその風情を楽しみました。
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詳しくは、東京国立博物館(こちら) ◇ 青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん) をご覧ください。
◇ 大井戸茶碗「十文字」 古田織部の破格の美意識が分かる逸品~大振りな大井戸茶碗を嗜好に合うよう十文字に割り一回り小振りし漆で接いだ大井戸茶碗です。
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◇ 「五十三次」 古志野の呼び継ぎ 筒茶碗、すばらしい芸術作品です。
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◇ 古伊賀名物水指「破袋」 五島美術館所蔵、重要文化財~古田織部は書状に‥誠に威厳があり力強い、大割れも大割れで窯の中でよくぞ崩れなかったものだ、今後またと出まいとその破格ぶり絶賛しています。
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◇ 伊賀水指「慾袋」 川喜田半泥子(1878-1963)作~「破袋」に感動、それに倣い自ら伊賀水指を作陶し見事な蒔絵金継ぎに仕上げました。
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(付録) 「金継ぎ工芸」(こちら)のほうも参考にしていただけると光栄です。
by blues_rock | 2011-06-08 00:08 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)