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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 168 )

「金継ぎ」(こちら)とは、割れたり・壊れたり・欠けたりした大切な陶磁器を修理し再生する技術のことです。
ご飯粒を糊にした続飯(そくい)に、砥粉(とのこ)・生漆(きうるし)・刻苧綿(こくそめん)を混ぜ合わせた刻苧(こくそ)で、割れたり・壊れたり・欠けたりした器を繕い補正しながら、さらに漆を塗り乾かし磨(と)ぎながら塗り重ねて行きます。
きれいに仕上がったら、最後に赤漆を塗り金をまいて乾かし、生正味(きじょうみ)漆で拭きあげ再度乾かしたら丁寧に金を磨(みが)き、鯛牙(たいき)で金を発色させたら出来上がりです。
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                             古唐津 金継ぎ
壊れた古陶に、質面倒くさい手間と暇‥漆の乾燥工程に一週間、さらにお金‥金の粉1グラム6,800円の費用、をかけて、いったい何が面白いんだ‥新しい器を買えば良いではないかと友だちは、私をからかいます。
当の私は新しい陶磁器に関心はなく、古陶磁ばかりに興味があります。
どんなに高価で著名な作家の新しい器でも、手に持ち弄ってみてもドキドキしないのです。
確かに月3回水曜日午前中2時間の金継ぎ教室のために、車でわざわざ人で混雑する都心(福岡市天神)で駐車場を探しながら通うのですから、我ながらご苦労様としか言いようがありません。
壊れた古陶こそが“金継ぎ”の大切な素材、室町・桃山・江戸の時代に、良質な陶土と燃料薪の豊かな山里の登り窯で、無名な陶工職人たちが精魂込めて作陶した作品の名残りだからです。
窯の中で割れたり、欠けて捨てられた美しい古陶磁器が、灌木や草に覆われ人目に付かなくなった山里の古窯跡のまわりに数多く残存していました。
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                           初期伊万里 本銀継ぎ
そんな古窯のモノハラ(陶片を捨てた場所)も発掘され尽くし、古い陶片もだんだん手に入らなくなりました。
そんな今、焦る気持ちで400年~500年前の古陶磁の破片をかき集め、個性ある「共継ぎ」・「呼び継ぎ」にトライし、稚拙ながら私だけの‘オンリーワン’金継ぎ作品を創りたいと思い続けています。
参考:写真は「骨董じじばば」コレクション(所有)から貼付しました。
このページ右下の外部リンクで「骨董じじばば」にアクセスできますので古美術に興味のある方はご覧ください。
by blues_rock | 2011-09-27 05:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
九州陶磁文化館は、佐賀県西松浦郡有田町にある佐賀県立の有田古窯の陶磁美術館です。
愛知県陶磁資料館(愛知県瀬戸市)とならび古陶磁器の資料館(古陶磁のコレクション)として有名です。
古陶の名品・逸品コレクションなら東京の五島美術館・畠山美術館・根津美術館がすばらしく、日本・中国の古窯陶片の収集では、出光美術館(東京)にかなう美術館はありません。
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九州陶磁文化館の地下室には、初期伊万里・古伊万里・古鍋島陶磁の1万数百点におよぶ柴田コレクションから常時数千点が展示されており、実に見ごとです。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島どの作品もすばらしく見応えがあります。
イギリス大英博物館にも5百数十点の柴田コレクションがあるとのことなので、ぜひ一度見てみたいものです。
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有田窯の始まりは、16世紀の終わり日本に渡来した朝鮮陶工の李参平が、有田で良質の陶土を発見し初期伊万里・古伊万里を焼いたのが始まりでした。
初期伊万里・古伊万里・古鍋島が、古陶にあって“茶の湯”と無縁なのは「利休茶の湯のわび・さび・ものがれ」から遠くにあり、磁肌の釉があまりに艶っぽく美しすぎるからでしょうか。
有田なのに伊万里と称される由来は、江戸時代に有田窯で焼かれた陶磁器を有田に近い伊万里港からヨーロッパ向けに積み出していたからです。
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余談ながら当時ヨーロッパで高価に取引された日本の陶磁器が、海路による遠距離輸送で破壊しないよう包装材(クッション)として和紙を利用し、陶磁器を大事に梱包していました。
その陶磁器を包んだ和紙こそが「浮世絵」でした。
当時のヨーッロパの人々は、歌麿・写楽・北斎・広重などの美しい浮世絵が、輸出用の陶磁器を包む包装紙として使用されていたのですから、びっくり仰天しました。
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現在の私たちが、壊れ物を新聞紙で包みダンボール箱に入れる感覚で、浮世絵を包装紙に利用し茶箱に入れてヨーロッパへ運んでいたわけですから、当時の日本人の生活にさぞ驚いたことでしょう。
浮世絵は、やがて日本様式ジャポニスムのシンボルとしてヨーロッパを席巻し、ゴッホ・ゴーギャン・マネ・モネなど近代絵画に影響を与え、エミール・ガレなどアールヌーボー様式の美術工芸にも大きな影響を与えました。
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そんな日本とヨーロッパの美術史を思いながら九州陶磁文化館の初期伊万里・古伊万里・古鍋島を見ていると感慨深いものがあります。
九州陶磁文化館は、初期伊万里・古伊万里・古鍋島に興味のある方にとって必見の価値がある美術館です。
by blues_rock | 2011-09-21 20:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
水の都大阪の中央を流れる大川(旧淀川)の河口にある中の島公園の中に、大阪市立東洋陶磁美術館はあります。
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難波橋(なにわばし:通称ライオン橋)の北浜側すぐ近くに美術館(最下段写真の林の中)はあり、難波橋の西天満側に私の職場がありましたので良く行きました。
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1982年(昭和57年)に、高麗・李朝の朝鮮古陶磁と中国古陶磁器の収集で有名であった「安宅コレクション」を展示するため、大阪市が東洋陶磁美術館を設立、現在2千点余を所蔵しています。
どれをとっても逸品ぞろいで、ひとつひとつ見やすいように丁寧に展示されています。



「油滴天目茶碗(12~13世紀南宋建窯)」・「飛青磁花生(13~14世紀元龍泉窯)」は、何度見てもうっとりと見とれてしまいます。
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家業の総合商社を倒産(安宅産業の経営破綻はザ・商社としてドラマ化され有名)させるほど、当時国内外のコレクターが所蔵していた東洋古陶磁の名品・逸品収集に心血を注ぎ、執念を燃やした創業家二代目安宅英一の魂は、「安宅コレクション(国宝2点・重要文化財13点合計965点)」として、大阪市立東洋陶磁美術館に永久に遺りました。
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仕事の合間、時折訪ねては、古陶磁に見とれていました。
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東洋古陶磁を堪能した後は、美術館近くの淀屋橋から淀川周遊の遊覧ボート(パリのセーヌ川遊覧ボートに似ている)が出ていますので、遊覧ボートから風情のある大阪の街並みや大阪城を眺めながら、難波(なにわ)の夢の続きを楽しまれることをお薦めいたします。
by blues_rock | 2011-08-08 07:18 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
骨董や古美術を扱う店には、なかなか入りにくいもの、通りすがり外からウインドウ越しに店内に並べてある骨董品・古美術品を眺めるのが、常でした。
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時々勇気を出して、冷やかし(買う気はないのに)に入ることもありますが、ノドから手が出るくらいに欲しい品(もの)に出遭うことは、あまりありませんでした。
東京の日本橋・京橋・青山や大阪の老松町には、有名な骨董・古美術店が並んでいます。
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界隈の店には、勇気を出して入ろうにも懐に相応の金子がないと気おくれがして、冷やかす気持ちでは(買う気のない者には)なかなかは入れません。
骨董・古美術・古道具を扱う店は、全国にゴマンとありますが、ほとんどは古物ガラクタの類(たぐい)を売買する店です。
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勇気を出してドアを開け、店内に入ると室内の空気で骨董や古美術を扱う方(店主)のセンスが分かり、店内の骨董のレベルや価値を感じます。
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私は“好き嫌い”だけで、骨董・古美術・古道具を見る独り善がり者なので、ドキッとする品(もの)に出遭うとそっと手に取りし、げしげと眺めてそっと元に戻します。
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もちろんお店の方にお断りしてからですが‥その時骨董品の裏に小さく「時代・古窯名・価格など」も見ることができるので、驚いて取り落とさないよう、そっと(しっかり)元に戻します。
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先ごろ福岡金継ぎ工芸会でご一緒する方が、店主の骨董店「骨董じじばば」(福岡市早良区室見1-1-1)を訪ねました。
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突然の訪問でしたが、ゆっくり2時間‥古陶類や仏像などの骨董を多数拝見させていただきました。
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僭越ながら、店主は相当の目利きと推察、長年時間をかけ、自分のお目がねに適った骨董ばかりをコレクションされてきたのが、良く分りました。
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骨董品は、それぞれ適度の間を空け並べられていますので、一点を集中して見ることができます。
私は、古陶類の趣味の良さに感服、とくに心魅かれたのは、古唐津・李朝の陶器類‥酒盃や大振りな器は、欲しくて仕方ありませんでした。
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願えば叶う‥どうかいつか願いが叶いますようにと、日ごろ信心のない私もこんな時にはお祈りします。
(付録)
写真は「骨董じじばば」のコレクションの一部で、転載許可を受けています。
古美術に興味があり「骨董じじばば」に関心ある方は、こちらをご覧ください。  
by blues_rock | 2011-07-22 21:12 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
川喜多半泥子(1878~1963享年85才)は、実業家で趣味人ながら、彼の手と窯から創られた数々の陶器は、資産家の道楽ではありません。
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多忙な日常にあっても、書画骨董・茶の湯・作陶・俳句・写真など多彩な趣味をもち、そのどれもカタチに囚われない自由な姿勢で遊んでいることです。
自宅に窯を築いて、自らの作陶を楽しみ‥戦前の千歳山では、二、三万は作った、戦後の廣永で一万斗(陶土の量)はあるから合わせるとかなりの数になると、晩年の手紙に書いています。
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半泥子の号は「半ば泥みて、半ば泥まず」という意味とか、他に無茶法師(むちゃほうし)、莫加野(耶)廬(ばかやろう)、鳴穂堂(なるほどう)主人、反古大尽(ほごだいじん)などの号もありますから、精神も相当柔軟な自由人で、ユーモア溢れる人であったと想像されます。
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桃山陶を復興した荒川豊蔵(1894~1985)、古備前復興の金重陶陽(1896~1967)、古萩復興の三輪休和(1895~1981後の休雪)とは、若い頃から交わり一緒に作陶の研究を重ねていますので、生半可な趣味の作陶ではありませんでした。
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加藤唐九郎・小山富士夫・中里無庵とも、親密に交遊し作陶しています。
彼の作陶センスは、数奇の極にあって芸術作品です。
桃山陶本阿弥光悦へのオマージュとして自ら土を弄り、庭の窯で焼いた数々の陶器はどれも新しく融通無碍の精神を感じることができます。
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窯から出た割れ・カケ・崩れの失敗作もモノハラに棄てず、半泥子自身その変形・異形・破壊の具合を楽しみ、むしろ生かそうと親しい金継ぎ師に送り、陶器に新しい生命を吹き込み唯一無二の個性ある陶器を創造しました。
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川喜多半泥子は、生涯自分の作品を売ることはなく、作陶したら惜しげもなく親しい友人・知人に与えていましたので趣味の作陶と素人扱いでした。
彼の作品が、芸術性高く破格の趣を放つのは、彼がすぐれた芸術愛好家で数寄者であったからと思います。
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今でこそ彼の作陶は「昭和の光悦」と絶賛され、書画では「昭和の仙崖」と賞賛される川喜多半泥子ですが‥彼は1歳で親をなくし伊勢の豪商川喜田家を継ぎ、自分を育ててくれた祖母政子の教えを守り、終生心に留めていたからかもしれません。

己を褒めるものは、悪魔と思うべし
我を誹(そし)るものは、善・知識と思うべし
by blues_rock | 2011-06-26 14:27 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎(1898~1985)が、なぜ古陶を巡る贋作事件(1960年永仁の壺事件)に関わったのか‥目的はなんであったのか‥古陶贋作のメリットとリスクを推理してみました。
1.はじめに
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私は、古い陶器が好きで、六古窯のやきものを中心に、各地の美術館・博物館・資料館で多くの古陶(甕・壺・茶碗など)を見てきました。
古陶には、古美術品(骨董)としてずいぶん高価なものもありますが、そもそも昔の人たちの生活道具(日用品)として、当時の窯元で働く無名な職人たちが、土を練りロクロを回し、登り窯で焼いて生成したもので、普段の暮らしに使いやすいよう自然に創りあげた容器でした。
古陶がもつ用の美に、茶人や大名・数寄人たちは心奪われ、茶の湯の道具として見立て、逸品を得ると銘をつけ桐の箱に入れて、後生大事と身近に置いて愛でてきました。
私個人も、桃山陶それも古志野に魅了されますので、彼らの気持ちは理解でき‥さもありなんと思います。
2.古志野
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志野といえば、荒川豊蔵(1894~1985)が、美濃(岐阜県可児市)山中の古窯跡で見つけた陶片は、志野は古瀬戸という従来の常識を覆(くつがえ)す歴史的大発見となりました。
その証拠を徳川美術館(名古屋市)に所蔵されている古志野茶碗(銘筍)に見ることができます。
志野は、江戸時代初期忽然と歴史から消え、荒川豊蔵が古志野を再興するまで、どこの窯で作陶されたかさえ分からず、長い間古瀬戸の窯とされてきました。
古志野の窯が消えたのは、志野に不可欠な陶土「もぐさ土」が、何かの理由で当時の職人の手に入らなくなったからではないか‥志野にとってもぐさ土が命であることから、そう推理しています。
荒川豊蔵は、古志野の陶片があったその古窯跡近くに自分の窯を設営(水月窯と命名)し、古志野を再現して多くの志野の名品を残しました。
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水月窯に隣接して、現在荒川豊蔵資料館ができ一般公開されています。
加藤唐九郎にも志野茶碗の傑作(銘紫匂い)があり、他に数多くの傑作名作を残し、それは名古屋市守山区の翠松園(加藤唐九郎作品館)で見ることができます。
このお二人は、桃山時代の古志野窯に引けをとらない志野を創ることができた数少ない名陶工と思います。
3.加藤唐九郎
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加藤唐九郎について書きたいと思っていましたら、友人が、「永仁の壺事件」に関するメールをしてきました。
加藤唐九郎は、稀代の名匠(陶工)であり、真摯な陶器研究家でした。
彼が、編纂した原色陶器大事典には、陶器のすべてが網羅されており、その内容たるや半端ではなく、驚嘆すべき質と量です。
陶器を知りつくした知識と陶器への情熱、求道者でないと決してできない見事な大作事典です。
加藤唐九郎は、土を知りつくし弄りつくして暮らし生きてきた人であり、人物も相当ユニークな人だったろうと推察いたします。
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当時すでに人間国宝(無形文化財)の加藤唐九郎は、1960年永仁の壺贋作事件渦中の人として世の中の批判を一身に浴びます。
永仁二年(1294)と銘のある瓶子(へいし)が、瀬戸の古窯跡から発掘され、鎌倉時代の古瀬戸であるとして国の重要文化財に指定されました。
この指定を推薦したのが、当時文部省にあって古陶磁研究の専門家で第一人者でもあった小山富士夫(1900~1975)でした。
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この古陶の真贋について、美術界・骨董界がマスコミを巻き込み騒ぐ中、加藤唐九郎の長男峰男(当時まだ十代)が、瓶子(へいし)は自分が作り、父唐九郎が銘を入れたものだと名のり出たからたいへんです。
加藤峰男は、その後父唐九郎と対立し、名前を岡部嶺男と変え陶芸家となります。
驚くのは、当時まだ十代の彼が、真贋で専門家を惑わすくらい父親ゆずりの作陶技術をすでにもち、早熟な名陶工であったと思えることです。
加藤唐九郎は‥永仁の壺(瓶子)は、自分が作ったと主張し、以後一切口を閉ざします。
これにより人間国宝(無形文化財)の称号は剥奪されますが、唐九郎はそんな世俗世事に我関せずと、風評などお構いなく「無一物」と号し、自らの作陶に専念し志野・唐津・織部・黄瀬戸‥と傑作を次々に残し、ライフワークの原色陶器大事典の編纂に没頭し、生涯を終えました。
4.加藤唐九郎の悪戯
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当時すでに人間国宝であった加藤唐九郎には、陶芸界の重鎮として地位も名誉もコレクターも数多であったと思いますので、お金のために古陶の贋作を作る必要は、まったくなかったはずです。
では、なぜ鎌倉時代の永仁の壺(瓶子)の贋作に銘を入れ、世に送り出したのか‥時代を超えた名陶を知り、作陶できる技量をもった稀代の陶工加藤唐九郎の悪戯ではなかのだろうか‥と推理しています。
古陶の贋作の出来映えをおもしろがり、どうせいずれバレるだろうと茶目っ気たっぷりのことだったのではないかと推理しています。
あなたならいかが、推理されますか?
5.あやうきにあそぶ
a0212807_22333380.jpg古美術骨董の世界で一流の目利きや数寄人は、真贋の間にある「あやうきにあそぶ」ものとか‥贋物を弄(いじ)られない者に、本物も分からないのだそうです。
値札や箱書き・鑑定書で真贋論争をするなどは、金銭欲にかられて自分の審美眼を他人に預け委ねることと同じ、もし値札・箱書き・鑑定書などが真っ赤な贋作(精巧な贋物)であったら、あなたはどうしますか?
やはり自分の眼で選んだものが、本当に美しく価値ある本物です。
自分の好き=数寄を育てるためには、真贋構わずたくさんの現物を見ることでしょう。
その中ににはつまらない本物もあれば、すばらしい贋作・贋物もあることが、自ずと分かってくると思います。
加藤唐九郎の作陶した贋古陶が他にもあり、古美術骨董の世界にあるとしたら愉快と思いませんか。
小山富士夫も永仁の壺贋作騒ぎの責任をとり文部省関係の仕事を辞め、この事件について一切沈黙します。
小山富士夫の偉業は、出光美術館(丸の内)の陶片室に所蔵されている日本・中国・朝鮮をはじめ世界の古窯跡から発見された膨大な陶片コレクションにあり、その古窯発掘と収集は彼の手によるものです。
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日本のやきものでは、瀬戸・美濃・唐津・肥前磁器など代表的な古窯跡の陶片を収蔵しています。
古代エジプト・中近東の古代遺跡から出土した中国・東南アジア古窯の陶片もあり、古代交易の意外な広がりの歴史を実感することができます。
陶片室で古い陶片を眺めていると、時間の経つのを忘れます。
(付録)写真は、すべて加藤唐九郎作陶によるものです。
by blues_rock | 2011-06-17 22:34 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
140年前の1872年(明治5年)創設された最も古い国立博物館です。
上野公園にある国立西洋美術館・国立科学博物館の前を通り北の方角に抜けると道路の向う側に大きく立派な建物が現れます。
広大な敷地内に本館他4館があり、古美術・古工芸・古民芸などカテゴリー別に同館所蔵の骨董品コレクションを展示しています。

◇志野茶碗(しのちゃわん)‥銘 振袖(ふりそで)
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自分の好きな作品展示ギャラリーなら一日居ても厭きることはありません。
ここでは古えの天才も無名職人も等しく時代を超えた作品としてしっかり存在しています。
傑作か名品かは、いつの時代も見る側が決めること、ただ目の前にある作品をじっと見ていると創った古えの職人たちの魂(美意識や感性)が、作品を通して心に染み入ってきます。

◇鼠志野鶺鴒文鉢(ねずみしのせきれいもんはち)
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いま目の前に見てドキドキする物がある‥それに出遭えた、私にはそれだけで十分です。
もし、古今東西の作品が、時代を超えいつか人々から芸術品と呼ばれるのは、見る人の心に「トキメキの感動」を与えてくれるから‥ではないでしょうか。

◇志野橋文茶碗(しのはしもんちゃわん)‥銘 橋姫(はしひめ)
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芸術の品質は、見る人の感受性(美意識や感性)を超えて存在することはありません。
芸術なんて‥好きか嫌いかです、私はそう思います。

◇青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん)
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by blues_rock | 2011-06-13 20:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
漆工芸(陶芸)用語で、ヒビ・ワレ・カケなど壊れた陶磁器を修理する技術(の総称)を意味しています。
「金継ぎ」とは、壊れた道具に新たな生命を与えて、道具としてまた使えるよう補修する仕事・趣味のことで、金(青金)や銀(錫・梨子地)継ぎ、赤漆・黒漆だけのシンプルなもの、金の蒔絵を施した華麗なものまであります。
「金継ぎ」の技法には、壊れた陶磁器‥割れ・欠け・ヒビ・ニュウのある陶磁器を糊漆(のりうるし)や錆漆(さびうるし)で繕うものと「呼継ぎ」と呼ばれる陶片で欠けた部分を補う技術があります。
a0212807_16355559.gif完成までの作業は、「金継ぎ」の下地が、できたら、呂色漆を塗り、乾燥したら砥ぎ成らすを何度か繰り返し、下地が、きれい整ったら、赤漆を塗り、金(の粉)を蒔いて、乾燥させ、生正味漆(拭き漆)を塗り、すぐにふき取り乾燥したら最後に磨き粉できれいに磨き上げて、作品が、一つできあがりです。
その間早くても,1か月あまり‥漆を「塗り/乾かし/磨ぐ」という一つの工程に、それぞれ1週間くらい必要なので、焦りは、禁物です。
古来より、茶人・趣味人(数寄者)は、自分の愛用した貴重な道具が、壊れると、金継ぎ職人に依頼し、再生させて愛でつくすほど執着してきました。
大切な道具への先人の恐るべき愛着と執念、またその美的センスに驚くとともに恐れ入ります。
古陶には、優れた金継ぎ作品があります。
◇ まず「馬蝗絆(ばこうはん)」 国立東京博物館所蔵、重要文化財、中国南宋の龍泉窯の青磁の名品~室町時代の将軍足利義政所有の青磁茶碗にヒビが、入ったので、中国の龍泉窯に送り、これと同じものを送って欲しいと所望するも、これ以上の青磁茶碗は、ないとヒビを鎹(かすがい)で修理し送り返されてきました。
この鎹を蝗(いなご)が、馬にとまっている景色に見立て、茶の湯の席でその風情を楽しみました。
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詳しくは、東京国立博物館(こちら) ◇ 青磁茶碗(せいじちゃわん)‥銘 馬蝗絆(ばこうはん) をご覧ください。
◇ 大井戸茶碗「十文字」 古田織部の破格の美意識が分かる逸品~大振りな大井戸茶碗を嗜好に合うよう十文字に割り一回り小振りし漆で接いだ大井戸茶碗です。
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◇ 「五十三次」 古志野の呼び継ぎ 筒茶碗、すばらしい芸術作品です。
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◇ 古伊賀名物水指「破袋」 五島美術館所蔵、重要文化財~古田織部は書状に‥誠に威厳があり力強い、大割れも大割れで窯の中でよくぞ崩れなかったものだ、今後またと出まいとその破格ぶり絶賛しています。
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◇ 伊賀水指「慾袋」 川喜田半泥子(1878-1963)作~「破袋」に感動、それに倣い自ら伊賀水指を作陶し見事な蒔絵金継ぎに仕上げました。
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(付録) 「金継ぎ工芸」(こちら)のほうも参考にしていただけると光栄です。
by blues_rock | 2011-06-08 00:08 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)