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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 168 )

門司の出光美術館は、平成12年(2000年)に出光美術館所蔵品(出光コレクション)を展示する美術館として北九州市の門司港レトロ地区に開館しました。
a0212807_747589.jpg「利休と桃山茶陶」の展覧会が、開催中(平成24年6月8日から8月26日まで)なのでこれに合わせて初めて訪ねました。
門司港レトロ地区の再開発に伴い大正時代に建てられた出光興産の旧い資材倉庫を美術館に改装・増築し門司の出光美術館が開館しました。
広い倉庫を生かし、快適な空間にリフォームした門司の出光美術館は、門司港レトロ地区にフィットしたセンスの好い美術館でした。
質量ともに充実した出光コレクション所蔵品の中から東京の出光美術館と作品の入れ替えを行ない展示しているので門司の出光美術館で出光コレクション数々の名品を見ることができるようになりました。
a0212807_7594379.jpg現在開催中の「利休と桃山茶陶」に展示されている作品(こちら)は、すべて出光美術館所蔵のもの、上質な桃山古陶の完品の数々に目を凝らして眺め入るばかりでした。
中でも私が、見惚れてしまったのは、志野茶碗2口、織部手鉢2口、朝鮮唐津徳利2口、伊賀・唐津・瀬戸の花生でした。
長谷川等伯の「松に鴉、柳に白鷺図屏風」六曲一双もあり、これも見応えのあるすばらしい作品でした。
美術館の前にひと際高くそびえる「門司港レトロビル」の31階(地上100m)展望スペースから眺める眼下の門司港、白波が立つ関門海峡と関門大橋、対岸に広がる下関は絶景です。
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古陶の逸品を堪能されたら、今度は地上100mの展望スペースで門司港地ビールを飲みながら天守閣の殿様気分を味わってください‥お薦めのスポットです。(写真 : 門司港レトロビル31階の窓から関門海峡を展望)
by blues_rock | 2012-08-21 00:38 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私が、ご本人の迷惑など一切顧みず「博多の白洲正子さん」と思っている方が、博多におられます。
福岡市早良区を流れる金屑川と室見川とが合流するあたり、明治通り沿いに瀟洒な古美術店(骨董店)があり、その店のご主人を「博多の白洲正子さん」と私は勝手にそう呼んでいます。
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彼女は、古美術品(骨董品)の審美眼に優れ、店内に並ぶ古陶磁・古道具類のどれも見ごたえあります。
店にある古陶磁や古い道具に特別な銘はなくとも、店主自ら手に取って自分の目で選ばれた品なので紛(まがい)いものや贋(にせ)ものの類いがありませんでした。
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良いものは、好い人のところに自然と集まるのかもしれません。
店が開いているのは、土曜日と日曜日だけ‥骨董・古美術を商ってはおられますが、元来あまり欲のない方なので‘本当は手放したくない’ といつも口グセのように言われています。
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お気に入りの古陶磁には、自分で金継ぎを施したり、大切な古陶の茶碗や茶入れには、古代裂(こだいぎれ)や金襴(きんらん)の仕覆(しふく)を着せたりして丁寧に扱われています。
古美術品(骨董品)の価格も手ごろで、街中の骨董店に比べたらグンと安く、やはり欲のない方のようです。
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古美術(骨董)に興味があり、時間と気持ちに余裕のある方は、ここで本物の古美術品(骨董品)を実見されることをお薦めいたします。
ただし、手に取ってご覧になる場合、必ず店のご主人の許可をもらい両手で包むようにそっと見てくださるようお願いします。
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キズを付けることは厳禁、くれぐれも取扱いには、ご注意ください。
もし万が一、キズを付けたら自己責任で解決する(引き取る)ことになりますが、絶望することはありません。
“金継ぎ”すれば、元には戻りませんが、また‘別の美しい器’に生まれ変わります。
古陶は、人に愛(め)でられ、弄られて美しくなっていくものです。
by blues_rock | 2012-08-17 01:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
六古窯のひとつ丹波窯は、800年くらい前、時代が平安から鎌倉に移るころ穴窯(あながま)による焼成で当時の生活必需品であった甕(かめ)や壺(つぼ)を多く生産しました。
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陶土を煉り紐状にして甕(かめ)や壺(つぼ)に成形し穴窯(あながま)に入れ、同時に多くを焼成する技術を発達させた丹波は、桃山時代まで400年くらい続きました。
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人々の暮らしの必需品であった米や塩を貯蔵し、水を汲んで貯め、梅干を漬けたりするのに不可欠であった甕や壺は、京都・大阪の庶民に広まり丹波窯を次第に有名にしていきました。
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その古丹波窯で焼成された古陶の数々を篠山市の丹波古陶館で見ることができます。
a0212807_21111670.jpg丹波古陶館が、所蔵している古丹波のコレクションは、どれもすばらしく年代別・形状別・釉薬別に分類され、そのうち312点が、兵庫県指定文化財になっています。
古丹波窯の特徴は、変化に富んだ緑色の自然釉(しぜんゆう)にあり、とくに自然釉三筋壺などは、古丹波の見どころでしょう。
丹波古陶館は、JR福知山線篠山口駅からバスに乗り篠山バス停下車、そこから徒歩3分のところにあります。
近くに篠山城跡があり、丹波古陶を堪能した後ゆっくり散策してみるのも良いでしょう。
by blues_rock | 2012-08-07 00:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
東アジア(日本・朝鮮・中国)の古陶磁・古窯の世界的な研究家であった小山富士夫(1900-1975)は、わが国の縄文・弥生土器から中世(平安・鎌倉時代)までの古陶を分類し、学術的に6か所の古窯で焼成された陶器であると「六古窯」という新しい古陶用語で呼びました。
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日本では、日本列島の先住民であった縄文人が、生活の中で土器という独特な“焼きもの”を発明しました。
それから弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)と“焼きしめ”による焼成技術が発達し、鎌倉時代になると高温で焼成した陶器が誕生しました。
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瀬戸窯で初めて釉(うわぐすり)をかけた陶器(古瀬戸)が焼成され、同じころ常滑・越前・信楽・丹波・備前でも同じような焼成技術を使って暮らしに必要な陶器をまとめて生産する穴窯・大窯が現われました。
a0212807_23251392.jpg南北朝から室町時代になると鎌倉時代、中国渡来の禅宗によってもたらされた喫茶の風習が公家・武家・商家にも広まり、中国との交流・交易も活発になり大陸の陶磁器が、渡来するようになりました。
さらに戦国の世を経て安土・桃山時代になると村田珠光・武野紹鴎の「茶の湯」が広がり、千利休に受け継がれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵により半島の陶器(生活雑器)が、大量に日本に渡来しました。
渡来品の中国陶磁器・朝鮮陶器の製陶技術は、日本独自の陶器を焼成していた「六古窯」に大きな影響を与え、窯・土・釉の研究・工夫・改良により桃山時代以降、日本の陶磁器生産は、技術革新しながら進歩し陶磁器を焼成する窯元も、良質な陶土と薪(赤松)を求めて全国各地に広がって行きました。
縄文土器の発明から1万数千年、日本の風土で育ち生粋の日本陶器を焼成した窯を学術的に「六古窯」と呼び中国・朝鮮古陶の影響を受けた桃山時代以降の窯と区別しています。
   ◆ 瀬戸(愛知県瀬戸市)
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瀬戸市の東南にある猿投山の山麓で焼きもの作りは始りました。
器の強度を高めるため釉(うわぐすり)をかけて焼くという本格的な技法をとっていたのは、当時の六古窯のなかで瀬戸だけでした。
他の窯では、焼きしめといって焼成温度を高めて堅くし吸水性がなくなるまで焼きしめていました。
   ◆ 古常滑(愛知県常滑市)
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古常滑と呼ばれる初期のものは歴史が古く、六古窯の中でも最も古く大規模でした。
須恵器の時代の平安末期までさかのぼり「壺や甕」が主な生産品でした。
   ◆ 古越前(福井県丹生郡織田町・宮崎村)
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古常滑と同じような歴史をもつのが、越前焼でした。
「壺や甕」が主な生産品なのは古常滑と同じですが、興味深いのは、室町時代以降、既婚女性用の「お歯黒壺」が盛んに作られました。
ロクロを用いない奇妙な形の小壺は、後年茶の湯に親しむ風流人に好まれ、一輪挿しなどに使われました。
時代とともに廃窯されて行き古越前焼の火が途絶えました
   ◆ 古信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)
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信楽焼は、紫香楽(しがらき)宮の屋根瓦を焼くために始まりました。
大火で都が消失した後「種もみ用の壺」などで細々と窯は維持されておりましたが、室町時代になり、野趣豊かな土味を生かした素朴な風合いが、茶人たちの目に止まり、茶陶の生産地として発展しました。
   ◆ 古丹波(兵庫県篠山市立杭)
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六古窯の他の窯と同じような生い立ちで、「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を生産していました。
やがて茶人小堀遠州の好みによって、味わいのある茶陶が焼かれるようになりました。
蛇窯という穴窯で長時間焼かれ出来る「灰かむり」は、ダイナミックで重厚です。
   ◆ 古備前(岡山県備前市伊部)
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今では名陶や陶芸品の代名詞ともなった備前焼も、六古窯のひとつでした。
平安時代末期に窯が開かれた頃は「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を焼く普通の窯でした。
室町時代になると高温に耐える良質の陶土を生かし、2週間におよぶ焼成で徹底して焼きしめ、その長時間の焼成中で起こる窯変が、茶人の評判となり盛んになりました。
やがて茶陶が衰退すると古備前窯も次第に消滅していきましたが、終戦後金重陶陽(1896~1967)・藤原 啓(1899~1983)などの名匠(人間国宝)の手で備前焼は再興され有名になりました。
by blues_rock | 2012-07-30 00:04 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
朝日新聞の創業者村山龍平が、蒐集した東洋の古美術コレクションを収蔵し一般公開している美術館です。
阪急神戸線の御影駅から歩いて5分の閑静な住宅街に香雪美術館(こちら)はあります。
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私が見たい古陶の数は、多くありませんでしたが、古志野の水指・李朝の井戸茶碗・仁清の鴨香炉・龍泉窯の砧青磁花入などの逸品をゆっくり鑑賞しました。
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緑も多く環境の良いエリアなので散歩を愉しみ、三ノ宮まで足を延ばして神戸南京街で中華料理に舌鼓打つのも一興かと思います。
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横浜の中華街に比べても味に遜色はなく、何より好いのは料理の値段が、格段に安く、口コミで評判の良い店であれば味に引けはとりません。
  ◇ 志野松籬絵水指(桃山)
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  ◇ 井戸茶碗(李朝)
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  ◇ 野々村仁清「鴨香炉」(江戸前期)
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by blues_rock | 2012-07-21 00:40 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
料亭「吉兆」の創業者湯木貞一(1901~1997)による茶道具の個人コレクションを収蔵展示する湯木美術館は、大阪市中央区平野町の市街地にあり、御堂筋の平野町3丁目交差点からすぐのところにあります。
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湯木貞一は、若いころ出会った松平不昧(茶人)の書物に大きな影響を受け茶の湯を始め、とくに茶懐石から日本料理の神髄を学びました。
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彼は、生涯に亘って日本料理と茶の湯(茶懐石)との融合に努め、日本料理を文化として芸術の域にまで高め、その研鑚の中で、日本を代表する茶人であり数寄者たちと出会い、自らの茶の湯を究めていきました。
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余談ながら「松花堂弁当」は、茶懐石の弁当をヒントに湯木貞一が、創作した弁当として有名です。
IBMは、その松花堂弁当箱から自社のノートパソコンThinkPad(シンクパッド)のデザインを考案しました。
by blues_rock | 2012-07-19 00:23 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
関西(京都・大阪・兵庫)には、茶を嗜(たしな)む数寄者の古美術コレクションを一般公開したメセナ美術館が、少なからずあります。
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私が関西で見た古美術の個人コレクションの中からお気に入りの「数寄者の美術館」を紹介いたします。
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北村美術館」は、京都上京区河原町今出川のすぐ横を鴨川が流れる閑静な住宅街にある個人美術館で、茶の湯に秀でた数寄者のコレクションというだけあって、茶碗をはじめとした茶道具に好いものがありました。
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私が訪ねたときは、残念ながら茶室のある庭に入れず、自分の眼でまだ見ていませんが、趣味人らしい見事な庭との評判です。
by blues_rock | 2012-07-18 00:50 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
a0212807_12512860.jpg私の敬愛する白洲正子さん(1910~1998)が亡くなられて早14年‥2000年に滋賀県甲賀信楽町で「白洲正子の世界」特別展が開催され見に行きました。
JR琵琶湖線の石山駅から美術館までバスに揺られて1時間くらい、甲賀信楽まで山越えしなければならない不便なところにある美術館ながらバスが長いトンネルを抜けるといきなり目の前にデンと大きな近代的な建物が出現します。
美術館の持ち主は、ナントカという新興宗教法人なので普段なら、それだけで足が遠のき敬遠しますが、この時ばかりは、白洲正子さんの遺品160点を一挙公開展示する特別展でしたので、何ものにも代え難く、ウサン臭い宗教を嫌悪するわが生理感は、この際ぐっとガマンすることにしました。
交通の便の悪い甲賀信楽町の山中に、現代的建築の立派な美術館を開館し「白洲正子の世界」特別展を企画、3か月半もの長い間、開催するチカラは、美術館を所有するナントカ新興宗教法人の中に古美術の目利きで自分の意のまま美術館を運営できる人がいるのではないかと推察いたします。   ◇ 武相荘炉縁と鉄瓶(江戸時代中期)
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何はともあれ、白洲正子さん自論の「ドキドキさせるものが美しい」のとおり、生前きっとドキドキされながら普段使いされていた愛用品をご覧ください。
  ◇ 白漆鉢(奈良時代)
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  ◇ 古唐津盃(桃山時代)
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  ◇ 古絵唐津茶碗(桃山時代)
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  ◇ 紅志野香炉(桃山時代)
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  ◇ 堅手盃(李朝時代初期)
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  ◇ 神猿面(鎌倉時代)
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  ◇ 瀬戸麦藁手向付(江戸時代中期)
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  ◇ 瀬戸鉄釉掛分片口・瀬戸麦藁手片口(江戸時代中期)
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(付録)白洲正子考‥筑紫里子さん(歌人)からの手紙
by blues_rock | 2012-07-17 00:24 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
昭和5年、荒川豊蔵((1894~1985没、享年91才)が、岐阜県可児市(美濃)山中の古窯跡で‘古志野陶片’を発掘するという歴史的な発見で美濃古窯の発掘と調査・研究が一気に進みました。
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そのきっかけは、荒川豊蔵が、懇意の古美術商から「古志野竹の子絵茶碗」を見せてもらった時、茶碗の高台内側にわずかに付着していた‘赤い陶土’でした。             (写真上・下 : 豊蔵資料館)
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荒川豊蔵は以前から、古志野が瀬戸古窯で焼かれたとする言い伝えに疑問を持っていました。
瀬戸周辺の古窯に志野を焼成した窯跡がなく、古窯のモノハラに志野の陶片が、発見されませんでした。
a0212807_13153255.jpg‘赤い陶土’を手がかりに美濃に出かけ、以前織部の陶片を見つけた大萱の牟田洞古窯跡を詳しく調査したところ、名古屋で見た「古志野竹の子絵茶碗」と同じ古志野の陶片を発見し、古志野が美濃で焼かれたことを確信しました。(詳しくはこちらの2.古志野を参照ください。)
それから美濃周辺にあった古窯跡が、次々に発見され、美濃古窯の全貌も明らかになりました。
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桃山時代の古志野に陶芸の原点を求めていた荒川豊蔵は、「古志野竹の子絵茶碗」の陶片を発見した大萱に、桃山当時と同じ半地上式穴窯を築き、古志野の再現のために作陶を重ね、「荒川志野」と呼ばれる新しい古志野を焼成しました。                         (写真上 : 荒川豊蔵志野、銘「随縁」)
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可児市久々利大萱の荒川豊蔵窯跡に「豊蔵資料館」が建設され、荒川豊蔵の偉大な足跡と作品を見ることができます。          (写真上 : 荒川豊蔵「志野ぐい呑み」、写真下 : 加藤唐九郎「織部手鉢」)
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加藤唐九郎(1897~1985没、享年88才)については、こちらに書きましたので省略いたしますが、名古屋市守山区の「唐九郎記念館」と「愛知県陶磁器資料館」・「豊蔵資料館」の3館を巡る旅は、古陶ファンには、至福の時間と思います。                 (写真下 : 鼠志野茶碗、銘「峯紅葉」 五島美術館蔵)
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時間に余裕のある方は、少し足を延ばし土岐市の美濃陶磁歴史館に行くと、古唐津焼の流れをくむ元屋敷窯跡(国指定史跡)から出土した古志野や古織部など桃山陶の名品を見ることができます。
多治見市・可児市内にも古窯跡の発掘品と推察される古陶の名品が、小さな施設の片隅に何気なく展示されており「何でこんなところに」とビックリしました
by blues_rock | 2012-07-15 12:58 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
佐賀県有田市とならびわが国の二大磁器生産地である愛知県瀬戸市に愛知県陶磁資料館があります。
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2002年に見た「館蔵中世陶器<つぼ・かめ・すりばち>展」は、この美術館ならではの見事な展覧会でした。
陶磁器好きの人にとつて、ここは一日中いても退屈しない陶磁器の博物館です。
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とくに2階の陶片展示室には、壮観で美濃・瀬戸・常滑などを中心に全国各地の古窯跡や周辺のモノハラ(上写真)から発掘された陶片類が、部屋いっぱいに展示されていて、古陶磁と古窯に興味のある方には、数少ない絶好の研究場所(ここ以外で私は東京の出光美術館くらいしか知りません)です。
a0212807_2573066.jpg室町から安土・桃山時代にかけて村田珠光・武野紹鴎・千利休と受け継がれた“茶の湯”の作法と精神は、室町以前の喫茶(きっちゃ)で使われた端正な中国磁器から「わびさび」に美を求める茶の湯のために朝鮮古窯の雑器を見立て、同時に茶人の注文した日本独自の陶器を生み出しました。
当時の茶人たちの注文に応じ、瀬戸や美濃(土岐・多治見・可児)を始め伊賀・信楽、唐津などの古窯は、数多くの桃山陶の傑作を今に残しました。
江戸時代になると茶の湯も武家茶になり‘きれいさび’と呼ばれ、美濃焼の人気も下火となり陶工たちの自由奔放な「土と火と釉」の芸術性は失われ、窯も廃れ、やがて忘れ去られて窯跡さえも分からなくなり、歴史の中から消えて行きました。
a0212807_3121849.jpg後世に残された桃山古陶の中でとくに私が心魅かれるのは「古志野」です。
とにかく美しい‥昭和初期まで「古志野」は、窯跡も不明のまま瀬戸で焼成されたと言い伝えられてきました。
昭和初期、「古志野」の窯跡を発見し、現代に志野焼を再興したのが、荒川豊蔵(1894~1985、人間国宝)です。
この続きは、明日「豊蔵資料館と唐九郎記念館」で書きたいと思います。
by blues_rock | 2012-07-14 10:12 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)