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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 157 )

金継ぎ工芸会の作品展が、福岡市天神のアクロス福岡(2階匠ギャラリー)で今週の月曜日6月25日から始まり日曜日の7月1日まで開催されています。                   (説明1 :下写真4枚、私の作品)
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金継ぎ工芸を始めて2年‥壊れた(ワレたりカケたりした)古い茶碗や皿を糊漆で繕って、呂色漆を塗っては乾かし、砥いで、時には漆にかぶれ猛烈な痒みに耐えて、また漆を塗って乾かし砥いでの繰り返しです。
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この一連の作業を繰り返すこと10~20回、その後やっと金を蒔いて乾かし仕上げ漆を塗って角粉で磨いて、やっと一つ出来上がり、この間、早くて1か月くらいかかります。
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古陶に興味のない友人は、首をひねりながら「そんな薄汚れ割れた茶碗にテマ・ヒマ・カネかけて、バカしゃないの?ワレた茶碗かかえ下向いて、ただ黙々作業している姿は気持ち悪い、見ていて暗い。新しい茶碗を買え
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ば‥」と言いたい放題です。
しかし、なんと言われても平気、古陶のカケラを弄っている時間が、楽しいのです。
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有名デパートの棚にならぶ銘入り箱付の立派で高価な陶磁器に、私はまったく興味ありません。
旧知の陶芸家から一昨年秋に、窯開きの案内があり窯元を訪ねました。
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彼の窯で焼いた器は、旧くから気に入り使ってきましたので7寸皿を2枚買いました。
それから1年あまり、気に入って買ったはずなのに食事していても、どうしてもしっくり来ないのです。
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気に入って買った皿なので、どうにかしようと思い、2枚の丸皿ともペンチで皿のふちを7~8㎝壊し、カケたところをパテで繕い、現在金継ぎ(梨子地)中です。
陶器に興味のない友人には、まだ黙っていますが、このことを話したらきっと呆れてしまうでしょうね。
by blues_rock | 2012-06-28 00:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
金継ぎ技法のひとつに「呼び継ぎ」という技術があります。
いまこれに挑戦し取り組んでいます。
数百年前の古窯で生産された生活陶器・・甕(かめ)・壷(つぼ)・茶碗・皿類で窯キズやカケ・ワレなど商品にならない陶器陶片類は、当時古窯跡の近くの“モノハラ”(陶片を廃棄した場所)に棄てられていました。平安から鎌倉時代に中国から禅宗仏教が伝来し、併せて「禅の喫茶」も始まり、次第に喫茶は広まりました。
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室町時代になると「草庵の茶」が始まり、創始者 村田珠光(1422~1502、室町中期の禅僧)と「侘茶」の実践者 武野紹鴎(1502~1555、室町後期、堺の豪商)、そして桃山時代「茶の湯」の祖 千利休(1522~1591)に受け継がれ、侘茶は、中国伝来品のコピーであった日本の作陶を一変させ精神性の高い「茶の湯」の道具にしました。
当時の陶工たちは、良質な「土(原料用陶土)」と「薪(生成用燃料)」を求めて・・美濃・瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽・備前・唐津などの山里に窯を移しながら移動していました。
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窯も山の傾斜を利用した「登り窯」でしたので、移動していくうちに古い窯跡は朽ち果て所在すら分らなくなっていました。
「茶の湯」は、江戸時代になると古田織部・小堀遠州・松平不昧に受け継がれていきました。
明治時代岡倉天心の「茶の本」により「茶の湯」の精神が再評価され、古陶古窯の見直しも始まりました。
古陶・古窯の名品類や完品は大名物・名物と称され、銘が付けられて所有者の家宝として納まっていました。
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明治・大正・昭和になると高麗・李朝時代の古い朝鮮陶器も注目され、数奇者(目利きの愛好家)の収集対象となりました。
そのような時代背景もあり、中国・朝鮮・日本各地に点在する古窯の調査が始まりました。
発見発掘された古窯の窯跡やモノハラから数多く出土した古い陶片が、役人の言う学術調査や文化財保護法など役所の都合で未だにコンテナに入れられたまま倉庫の奥に埋もれています。
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これでは、山里の土の下に埋もれていても、都会のコンクリート施設の中にあっても古窯の陶片が埋もれていることに変わりありません。
出光美術館(東京)では、小川富士夫が中国・日本の古窯跡で発掘した多くの陶片類を見ることができます。
愛知県陶磁器資料館(愛知県瀬戸市)には、猿投・美濃・瀬戸・常滑の古窯跡から発掘された古陶磁の陶片類が、広いフロアーいっぱいに展示されています。
a0212807_0333491.jpg私たちの公的財産ならそれくらいのことはしてもらいたいと思います。
さて、「呼び継ぎ」についてですが、① まず古窯の同じ窯跡・モノハラから出土した陶片を手に入れます。
② その陶片の中から、同じような絵柄・色合いのものを数枚選び出します。
③ 出来上がりをイメージしながら組み合わせ、電動カッターとグラインダーで整形します。
④ そして整形した陶片を組み合わせ、糊漆でつなぎ、刻苧(こくそ)・切粉(きりこ)・錆漆(さびうるし)の順できれいに継ぎ合わせます。
⑤ 下地が、きちんと固まったら呂漆を塗り乾いたら砥石(サンド・ペーパーなど)で磨き、また漆を塗り乾かし磨き‥
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を繰り返し、⑥ 最後に金を蒔いて磨きあげ、新しい器に仕上げます。
これを「呼び継ぎ」と言い、完品にはない個性的で美しい‘オンリーワン’の陶器が、出来上がります。博多は、唐津に近いので今でも時どき、古唐津の陶片を手に入れることができます。
割れたり欠けたりした陶片を手の中で組み合わせながら、古唐津の陶工たちの感性と「新しい古唐津」の姿を想像するのも「呼び継ぎ」の楽しい作業の一つと思います。
(画像コメント)下2つの画像は「骨董じじばば」のコレクションです。
by blues_rock | 2012-05-15 00:15 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
上野の森で見た展覧会で忘れられないのが、2008年の大琳派展です。
尾形光琳生誕350年を記念して「大琳派展」が、東京国立博物館(平成館)で開催されました。
本阿弥光悦・俵屋宗達から尾形光琳・乾山兄弟そして酒井抱一・鈴木其一師弟に到るまでの琳派300年譜系の展覧会です。
◇ 俵屋宗達作:国宝「風神雷神屏風図」(1624年)‥「風神雷神屏風図」の原本、桃山時代に始まり江戸時代末期まで250余年続く「琳派」の象徴(シンボル)とも云える絵図です。(京都建仁寺蔵)
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◇ 尾形光琳作:重要文化財「風神雷神屏風図」(1710年)‥86年後、敬愛する俵屋宗達の原本を時間と手間をかけて正確に複写、光琳の宗達に対する畏敬の念が良く表れています。(東京国立博物館蔵)
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◇ 酒井抱一作:「風神雷神屏風図」(1821年)‥光琳作のさらに111年後、光琳複写図を模写、俵屋宗達の原本は見ていないようです。(出光美術館蔵)  鈴木其一は、酒井抱一作の風神雷神屏風図を見て模写しました。
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琳派の人気は高く混雑した展覧会でしたが、日本美術のシンボルというべき琳派芸術の見事な展覧会でした。
とくに俵屋宗達の「風神雷神屏風図」、尾形光琳が心酔した俵屋宗達の同屏風図を模写した尾形光琳作「風神雷神屏風図」、その光琳模写の同屏風図に大きな影響を受けた酒井抱一作の「風神雷神屏風図」、酒井抱一作同屏風図を手本にした抱一の愛弟子鈴木其一の「風神雷神屏風図」と4枚の「風神雷神屏風図」が、一堂に並んだのは圧巻でした。
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2006年9月出光美術館(丸の内)の特別企画「風神雷神屏風図」展で、宗達・光琳・抱一3枚の「風神雷神屏風図」が並んだのは66年ぶりだったとか‥大琳派展で4枚の「風神雷神屏風図」が、一堂に並ぶのは画期的なことでした。
本阿弥光悦(1558~1637、79才没)と俵屋宗達(生没年不詳、1580~1643推定)とは共同制作の作品が数多くあることから、この二人の天才は、同じ時代を生き親しい間柄で、相当の交流があったと推察します。
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本阿弥光悦は、刀剣を家業とする本阿弥家に生まれますが、早く出家し徳川家・朝廷との関わりも深く、京都洛北に本阿弥一族や町衆・職人たちと光悦村を造り、終生美術工芸の制作に励みました。
制作依頼(と交流)が、公家・武士・僧など広範におよび本阿弥光悦は「天下の重宝」と称賛されました。
俵屋宗達は、京都で「俵屋」という絵画工房を営み、主に扇絵を制作し販売していました。
a0212807_23584847.jpgその俵屋宗達天性の画才を見出したのが、本阿弥光悦でした。
俵屋宗達の迫力ある作品を見て、天才本阿弥光悦は、俵屋宗達の天才ぶりに感動しました。
光悦は、茶の湯について千利休を批判し、古田織部を師として茶の湯を学びました。
そのことは、彼が作陶した赤楽・黒楽茶碗に見る個性とセンス溢れる数々の名碗で理解できるように思います。
本展には、本阿弥光悦の名碗「黒楽茶碗銘雨雲」・「赤楽茶碗銘峯雲」・「飴釉楽茶碗銘紙屋」が展示され魅入ってしまいました。
千利休の茶の湯「侘び茶」は、長次郎の黒楽茶碗で表現されています。
イタリアルネッサンス期と同じ時代、戦国争乱の日本にあって本阿弥光悦の書・陶・漆や俵屋宗達の絵が、日本に存在していたことに感激します。
by blues_rock | 2012-04-09 00:21 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(6)
a0212807_184549.jpg福岡市美術館に展覧会を見に行かれたら、ぜひ古美術室にも足を延ばされるようお勧めいたします。
1階左奥にある古美術室には、古美術の逸品が、そろい見応えがあります。
福岡市は、アジア貿易の交易港「博多」として、古くから中国大陸、アジア圏との交流が盛んでしたので、仏教関係の古美術(石像・仏像)も、多く残されています。
近代の数寄者で茶人の松永耳庵(1985~1971)寄贈の古陶類、さらに茶の湯の古道具(芦屋釜など)も素人目にも本物の美しさを感じました。
松永コレクションの古陶は、東京国立博物館にもありますので、東京へお出かけの時にご覧になられると良いと思います。(上野の東京国立博物館のことは、別の機会に詳しく書きたいと思います。)
a0212807_185512.jpg日本の陶磁器の歴史は、古代中国大陸や高麗・李朝の朝鮮半島からの伝来品のコピーに始まり、安土桃山時代の渡来人の手によって六古窯が生まれました。
六古窯の陶工(匠)たちは、作陶のために、土(良質な陶土)と火(薪=赤松)を求めつねに移住しました。
良質な土と薪(赤松)を発見すると登り窯を築き、父から子へ作陶技術を伝え、登り窯周辺の土と薪を使い果たすと、また新しい場所に登り窯を築くために土と薪を求めて移住‥こうして日本各地のさまざまな窯元で、作陶技術の伝承が行われてきました。
九州各地の山里には、今でも歴史ある窯元が、ひっそりと点在しています。
桃山時代の茶人が、好んだ古唐津や小堀遠州趣味による古高取には、ホレボレする古陶が、数多く現存しています。(上写真:江戸時代初期の古高取、取手付大皿)
by blues_rock | 2012-02-18 02:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
a0212807_2032034.jpg金の価格が、世界市場で高値を続けています。
原因は、ドル・ユーロなど世界先進国のマネーを金融市場が信用せず、マネーの価値が下落しているからです。
金は、所有していてもそれ自体利息が付くわけでもないので、原油・天然ガス・鉄鉱石など資源国の巨額資産(ソプリンファンド)を運用するヘッジマネーが、資金の逃避先として金を利用しているのも要因です。
金は、古代エジプト王朝の装飾遺品類、百済の宝飾品、豊臣秀吉の黄金の茶室などから、庶民の装身具まで王侯貴族や庶民を魅了してきましたので、きっと金には人間の感性を魅惑する普遍的な美しさがあるのでしょう。   (上・下写真 : 金継ぎ工芸会の天神教室工房)
私個人は、金の延べ棒や金塊に興味ありませんが、壊れた(あるいは欠けた)古陶を繕うために、金を使った「金継ぎ」や古陶磁の欠片(陶片)をウルシでつなぎ新しい器にした「呼び継ぎ」には、大いに興味があります。
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新しい陶磁器にはない美しさが、古陶磁器にはあります。
しかし、心を魅了する古道具のほとんどは、博物館・美術館のガラスケースの中か、個人所有の蔵の中なので、この手に持ってしみじみ弄り眺めることができません。
ならばせめて、手に入る壊れた古陶磁・古陶の欠片(かけら)があれば、気に入ったものを選んで「金継ぎ」してみたいと長年思い続けていました。    (下写真 : 本阿弥光悦 銘「雪峯」金繕い)
a0212807_2084483.jpg幸運にも福岡に「金継ぎ工芸会」があり、金継ぎの門前の小僧くらいにはなりたいと、一年半前に入会しました。
見よう見まねの手習いですが、古陶の土くれを弄りながら、古えの陶工の魂に触れられれば、それで満足です。
by blues_rock | 2011-12-26 00:23 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
毎週水曜日の午前中、福岡金継ぎ工芸会(福岡市天神)の金継ぎ教室に通っています。
金継ぎの中でも手間のかかる「呼継ぎ」に、一念発起しトライしたものの1年が過ぎ‥まだ一つの作品も出来上がりません。
a0212807_0121021.jpg普段の怠けグセを反省し今週は、「呼継ぎ」作業の砥ぎに取り組みました。
昨年秋、骨董商でもある私の先生から「呼継ぎ」用として古唐津の陶片(割れた陶器のカケラ)を「お皿にすると3枚分くらい」を分けていただいていました。
唐津周辺のモノハラ(古陶のワレ・カケを廃棄し埋めた場所)から出土した古陶のカケラを、形状・色合い・厚さなど比較しながら、完成品のイメージを思い浮かべ、「呼継ぎ」作品に必要な分を選び出すのが、最初の難しいところです。
a0212807_016650.jpgそのワレ・カケの陶片を、お互いの相性(印象)で組み合わせ、完成イメージを頼りに必要な部分に目印をつけます。
その目印に沿って、電動カッターで整形していると、作業の途中でパリッと割れたり、ポキッと折れたりして、なかなか作業がイメージどおりに進みません。
電動カッターが、舞い上げる400余年前の陶土の粉塵(ホコリ)を頭から被り、部屋の至る所に白いホコリが降り積もるので、後片付けも大変でした。
整形した数個から十数個のカケラを、特殊なパテとウルシで強固に接着し、一枚の作品(たとえば古唐津の五寸小皿)の生地を作ります。
a0212807_04861.jpg現在、その接着部分にウルシを塗り、乾燥させ紙ヤスリで砥ぎ上げる作業工程です。
それを1~2か月くらい繰り返し(4~5回)続けます。
最後に赤ウルシを塗り、その上に金(粉)をまき乾燥させ、仕上げウルシを塗り、丁寧に拭きあげ乾燥したら、最後に磨き粉で丁寧に磨き、金地部分を鯛牙(たいき)でキラキラに磨きあげて、晴れて「呼び継ぎ」作品の出来上がりです。
しかし思わぬ障害が、目の前に現れました。
a0212807_0403333.jpg金の高騰で、金継ぎに必要な金粉価格もウナギのぼり‥現在1グラム7,560円となり懐(ふところ)を直撃です。
それならばと、金から銀へシフトし、銀を蒔くことにしました。
これも金継ぎ技法のひとつで「梨子地」と言います。
土くれのカケラを、一人黙々と弄(いじ)っている様子は‥なんとも不気味な光景かもしれませんが、時間を忘れ、我を忘れていますので、やはり性に合い、好きなんだろうと思います。
参考:写真は、私の「金継ぎ」・「うるし塗り(竹カゴ)」作品です。
by blues_rock | 2011-12-17 00:52 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
今年の1月半ば、2年ぶりに東京に行きました。
a0212807_11444245.jpg東京に住んでいたころ、私がよく行ったのは「美術館・博物館・映画館」の三つでした。
今回、出光美術館を訪ねて、改めて私の人生に「東京の三館(美術館・博物館・映画館)」の占める位置の大きさを感じました。
そのひとつに出光美術館がありました。
昨日12月13日のブログ「東京の古陶磁美術館」の続編(付録)として出光美術館について書きたいと思います。
日本の古陶の名品を堪能したかったら、ここを訪れると時間の経つのを忘れます。
とくに、優れた古陶を生み出した全国各地の古窯(のモノハラ)から発掘された陶片の数々は、中国古窯の磁器片収集と併せて質量ともに見事なコレクションです。
a0212807_12495458.jpg美術館(帝劇ビル9階)休憩室の大きな窓から目の前に広がる江戸城跡の石垣とお堀の緑は、四季折々に美しく、無料サービスの飲み物を飲みながら東京の空と景色を眺めるのも心地よいものです。
出光美術館を訪ねた時、幸運なことに新年企画「麗しのうつわ-日本やきもの名品選」展(2011年1月9日~3月22日)が、始まったばかりで140点くらいの名品を見ることができました。
一番感激したのは、桃山時代美濃窯で焼かれた「古志野13点」‥ただうっとり、とにかくすばらしい名品でした。
桃山時代の美濃窯で焼かれた志野の器は、私の心を惹きつけます。
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この企画展は、奈良時代の猿投(さなげ)~室町時代の灰釉(かいゆう)・古瀬戸・古唐津・鍋島・古九谷・柿右衛門・野村仁清(9点)・尾形乾山(15点)など名品選と銘打ったとおり数々の逸品を見ることができました。
a0212807_12512130.jpg東京で暮らしていたころ、いつでも見に行けると甘く考えて見逃した貴重な展覧会・映画を憶い出しては、今更ながら悔しくて「覆水、盆に返らず」の格言をしみじみ噛みしめています。

出光美術館:本館(丸の内)
by blues_rock | 2011-12-14 21:09 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
東京には、近代の数寄者が、古陶磁に心を奪われ収集した名品揃いの個人コレクションが、いくつかあります。
その個人コレクションを展示した古陶磁美術館を訪ねては、古陶磁の名品を見てきました。
a0212807_15741.jpg出光美術館(千代田区丸の内)は、JR有楽町駅からすぐ帝国劇場の9階にあります。
美術館の大きな窓からは、江戸城跡の松の緑が、四季折々に美しく、仙崖和尚(1750~1837博多の聖福寺禅僧)の書画千点に及ぶコレクションは、貴重です。
仙崖和尚については、11月2日「絵の話‥□△○(仙崖)」に書きましたので興味のある方は、そちらをご覧ください。
出光美術館の古陶片資料室へは、幾度となく足を運び眺めてきましたが(たぶん)世界のどこにもない古陶磁片の貴重なコレクションと推察します。
a0212807_0423474.jpg日本・中国・朝鮮を始め、世界の著名な窯跡や古代都市遺跡から発見された古陶磁片を時代と場所(古代の国)別に、体系的に区分整理しているので、古陶磁の学術的な実物資料館としても、超一流です。
他にも、絵唐津、中国龍泉窯青磁などの古陶磁の逸品は、必見です。
根津美術館(港区南青山)の収蔵品もまたすばらしく、必見の価値があります。
尾形光琳の燕子花図はじめ国宝7点、重要文化財指定32点、古陶磁コレクションは言うに及ばず、仏典・書跡・墨蹟など考古資料の収集などいったいどれくらいあるのか分かりません。
a0212807_0433014.jpg日本庭園も美しく南青山の住宅街の中に静寂な場所を提供しています。
五島美術館(世田谷区上野毛)にも、根津美術館と同様、国宝・重要文化財が、数多くあります。
庭園は、広大で美しく、東京に古(いにしえ)の日本の自然が、異空間のように存在しています。
初めて大井戸茶碗「喜左衛門」(国宝、京都大徳寺の孤蓬庵所蔵)を見たのも、この美術館でした。
古伊賀水指・中国龍泉窯・鼠志野茶碗(峰紅葉)は、垂涎の逸品です。
畠山美術館(港区白金台)には、茶陶を中心とした見事なコレクションがあります。
風流茶人が、自らの数寄のまま数寄を極めていくと‥どこまで至るのか、稀代の数寄者に問うてみたいものです。
静嘉堂文庫美術館(世田谷区岡本)へは、東急田園都市線二子玉川駅からバスに乗り静嘉堂文庫バス停で降りると正門があり、森の小道をしばらく歩くと岡本の広大な自然の中にようやく美術館の建物が見えてきます。
a0212807_049170.jpgこの美術館の厖大なコレクションは、日本・中国中心の古美術品で、岩崎弥之助(号静嘉堂)・小弥太親子が収集したものです。
とくに「曜変天目茶碗(稲葉天目)」は、中国南宋時代(12~13世紀)の建窯で生成されたもので大名物です。
世界に現存する曜変天目茶碗は、わずか3点‥いずれも日本にあり、3碗いずれも国宝です。
京都の大徳寺(龍光院)と大阪の藤田美術館が、各1碗所蔵しています。
a0212807_0565718.jpg曜変は、耀変とも書き、星の瞬き(輝き)を意味する耀の字が、当てられていました。
作者は不詳ですが、形状や大きさが良く似ていることから同じ陶工(同一人物)の作ではないかと推察されています。
時空を超えて作品だけが、目の前に存在し、その芸術品に宿る名もなき陶工の魂に、大いに感動いたしました。
by blues_rock | 2011-12-13 22:19 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
福岡県八女市黒木(くろぎ)町の樹齢600年という“大藤”は、国の天然記念物に指定されており、昔から「黒木の大藤」として有名です。
a0212807_0225127.jpgとくに大藤の開花シーズンともなると大勢の花見行楽の人たちで騒がしくなるので、雑踏の花見もなかろうと長い間行きませんでした。
今年ついに観念し予想通りの喧騒の中で初めて「黒木の大藤」を見ました。
風に吹かれ揺れる古木の藤を見上げていると、儚(はかな)く散った桜のあとを追うように咲く藤の、少し青みがかった薄紫色の美しい花に風情を感じました。
花見の喧騒から逃れ黒木町の山道を北へ向かい、上陽町からさらに東へ行くと山間(やまあい)に星野村はあります。
先日友人が、「土泥棒」という一冊の本と、星野焼(星野源太窯)陶器の大皿をプレゼントしてくれましたので早速本を読みました。
本の著者は山本源太さん(1942~)、星野村で明治初期に途絶えた星野窯を再興し、幻といわれた“夕日焼”を再現した方で、「土泥棒」を読み無性に「星野村」の窯元に行きたくなりました。
突然訪れた初対面の私にイヤな顔もされず源太さんは、気さくに話に応じてくださいました。
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まわり山に囲まれた庭でお茶(‥星野村は緑茶の産地として有名)をいただいているとお菓子の入った小皿に目がとまりました。
白い椿の花を想わせるカタチに少し窯キズがありました。
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その窯キズに「金継ぎ」をしたら美しいだろうな‥とダメ元で「金継ぎしたいので譲ってください」とお願いしたところ苦笑いされながら快く了解していただきました。(「金継ぎ工芸」はこちら
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それから話題は「金継ぎ」に移り、ご自分の陶器勉強のために集められた古唐津茶碗・中国龍泉窯青磁皿・李氏朝鮮白磁碗など奥から持ち出され見せていただきました。
山本さんは言葉少ないながらも、長年「土・釉・窯・火」の研究に没頭されてきたことが、よく分かりました。
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長居したお礼を言い帰ろうとしていると「金継ぎするなら‥」と、縁の欠けた茶碗と夕日焼のグイ呑みをお土産にいただきました。
普通名の知れた陶芸家(山本さんは自分を陶工と言われますが)は、満足した完品のほかは、破壊して物原(ものはら:陶器の墓場)に捨て、自分の窯の銘柄(ブランド)を守ろうとします。
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山本さんには、そんな考えも気持ちもないようで、融通無碍で悠々としておられました。
白椿輪花皿の窯キズの「金継ぎ」に加え、縁の欠けた「茶碗とグイ呑み」二品の「金継ぎ」が、ようやくできましたので山本さんに批評していただこうと思っています。
by blues_rock | 2011-11-21 01:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
「金継ぎ」(こちら)とは、割れたり・壊れたり・欠けたりした大切な陶磁器を修理し再生する技術のことです。
ご飯粒を糊にした続飯(そくい)に、砥粉(とのこ)・生漆(きうるし)・刻苧綿(こくそめん)を混ぜ合わせた刻苧(こくそ)で、割れたり・壊れたり・欠けたりした器を繕い補正しながら、さらに漆を塗り乾かし磨(と)ぎながら塗り重ねて行きます。
きれいに仕上がったら、最後に赤漆を塗り金をまいて乾かし、生正味(きじょうみ)漆で拭きあげ再度乾かしたら丁寧に金を磨(みが)き、鯛牙(たいき)で金を発色させたら出来上がりです。
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                             古唐津 金継ぎ
壊れた古陶に、質面倒くさい手間と暇‥漆の乾燥工程に一週間、さらにお金‥金の粉1グラム6,800円の費用、をかけて、いったい何が面白いんだ‥新しい器を買えば良いではないかと友だちは、私をからかいます。
当の私は新しい陶磁器に関心はなく、古陶磁ばかりに興味があります。
どんなに高価で著名な作家の新しい器でも、手に持ち弄ってみてもドキドキしないのです。
確かに月3回水曜日午前中2時間の金継ぎ教室のために、車でわざわざ人で混雑する都心(福岡市天神)で駐車場を探しながら通うのですから、我ながらご苦労様としか言いようがありません。
壊れた古陶こそが“金継ぎ”の大切な素材、室町・桃山・江戸の時代に、良質な陶土と燃料薪の豊かな山里の登り窯で、無名な陶工職人たちが精魂込めて作陶した作品の名残りだからです。
窯の中で割れたり、欠けて捨てられた美しい古陶磁器が、灌木や草に覆われ人目に付かなくなった山里の古窯跡のまわりに数多く残存していました。
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                           初期伊万里 本銀継ぎ
そんな古窯のモノハラ(陶片を捨てた場所)も発掘され尽くし、古い陶片もだんだん手に入らなくなりました。
そんな今、焦る気持ちで400年~500年前の古陶磁の破片をかき集め、個性ある「共継ぎ」・「呼び継ぎ」にトライし、稚拙ながら私だけの‘オンリーワン’金継ぎ作品を創りたいと思い続けています。
参考:写真は「骨董じじばば」コレクション(所有)から貼付しました。
このページ右下の外部リンクで「骨董じじばば」にアクセスできますので古美術に興味のある方はご覧ください。
by blues_rock | 2011-09-27 05:26 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)