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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:金継ぎ/古美術/漆芸( 173 )

漆(うるし)の語源は、麗(うるわ)しいの「麗し(うるわし)」に由来すると言い伝えられています。
木地に漆を塗った漆器のことを英語で‘JAPAN’と言い、陶磁器のことを‘CHINA’と言います。
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世界最古の漆器は、日本の縄文時代9000年前の遺跡から発見されました。
中国最古の漆器が6000年前なので、漆器は、古代日本人(縄文人)が、生活道具として発明したものを古代a0212807_2351195.jpg中国に伝えたのだと思います。
漆の木は、日本全域を始めとして東アジア地域(中国・朝鮮・台湾・ヴェトナムほか東南アジア)地域に生育する樹木です。
漆の木の樹液に含まれる漆(ウルシオール成分)は、真夏くらいの温度と梅雨時くらいの湿度があれば、ラッカーゼ酵素の作用で化学反応を起こし1週間程度で強力に凝固する性質をもっています。   (右写真:輪島塗蒔絵)
1万年も前に、漆の不思議なチカラを発見し、蔓(つる)を編んでカゴを作り、漆で塗り固めた生活道具(縄文カゴ=縄文ポシェット)を使っていた縄文人の知恵は、偉大です。
以前から漆芸には、興味はありましたが、今まで見たと言えるのは、松田権六(1896~1986)と黒田辰秋(1904~1982)の作品くらいでした。                       (下写真:根来足付盤、平安時代後期)
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金継ぎをするようになってから漆への興味が、だんだん膨らみ古い漆器も見るようになりました。
その中でも「根来塗り」の美しさに出会えたのはラッキーでした。 (下写真:根来練行衆盤、鎌倉時代)
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漆の成分には、塗料や接着効果以外にも、防虫や殺菌(滅菌)の効能があると知っていた日本人は、木地を漆で強化し、虫喰い防止と生活で長年使用できるよう意匠(デザインと装飾)にも工夫を凝らしました。
縄文時代から続く日本の伝統漆工芸は、科学的根拠と芸術性を合わせ持った日本文化の象徴です。
          
by blues_rock | 2013-03-20 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
九州国立博物館の4階では、フィンランドの「クレス印籠コレクション展」も開催されていて「ボストン美術館特別展」と併せて見ることができ幸運でした。
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フィンランドの実業家ハインズ・クレス、エルセ・クレス夫妻は、ドイツで偶然見た日本の印籠のすばらしさに魅入られ1979年から印籠コレクションを始めたそうです。
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30数年の間に、今やその数3万点とか、日本を40回以上訪れ、大の日本贔屓(ひいき)になられました。
それにしてもすごい情熱、このように日本古来の伝統工芸品(漆芸品)を愛される方々にコレクションされるので
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あれば、世界のどこにあっても一向に構わないと私は思います。
クレス印籠コレクションから展示された124点の印籠を見ていて、江戸時代の木地細工職人、漆芸職人による
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「匠の技」の魂は、日本産業の町工場の職人たちに受け継がれ、現代日本の先端技術や精密工作の超絶技法の中に生き続けていることを実感しました。
by blues_rock | 2013-03-07 00:30 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
九州国立博物館(大宰府天満宮隣り)で開催(平成25年1月1日~3月17日)の「ボストン美術館特別展‥日本美術の至宝」を見ました。
ボストン美術館の日本美術コレクションは、10万点にも及び、明治維新の激動期に日本美術を愛したアーネスト・フェノロサ、ウィリアム・ビゲロー、岡倉天心が、保存のため努力して収集したものです。
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その中から今回のボストン美術館特別展に46点が、出品展示されています。
日本美術の至宝が、日本にないのは残念ながら、あの混乱の時代にあって必死で日本美術を守ろうとした三守護神がいなければ、ほとんど散逸したか戦災などで消滅していたろうと思います。
ボストン美術館歴代の学芸員に大切に保存されて来たからこそ日本美術の10万点が、現存しています。
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キリスト教プロテスタントのクリスチャンであったフェノロサとビグロー(フェノロサもビグローも後に仏教に帰依し日本で永眠)が、日本の古い仏教美術や華麗な琳派芸術に感動し、その作品を愛でる心をコレクションに具現したことに芸術の本質を思います。
     ◇ 長谷川等伯「龍虎図屏風」
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     ◇ 尾形光琳「松島図屏風」
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     ◇ 曽我蕭白(しょうはく)「雲竜図」
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by blues_rock | 2013-03-06 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
「岡山県備前陶芸美術館」は、備前市伊部にあります。
JR赤穂線伊部駅を出てすぐ(徒歩1分くらい)の分かりやすい4階建ビルなので‘備前’が、好きな方は、途中下車されて1時間くらい見学されると良いと思います。
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備前は、六古窯の一つで千年の歴史を持っています。(六古窯についてはこちらをご覧ください。)
備前陶芸美術館では、古備前から現代までの作品を展示、備前窯の歴史・窯(登窯・大窯)の特長・陶土と焼成技法について各フロアーごとに見学者に分かりやすく工夫されています。
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1階は、備前窯焼成工程の説明で、採土から窯出しまでをパネルで紹介しています。
2階は、古墳時代の須恵器(すえき)、平安時代に生産が始まった生活日用器、桃山時代の茶陶、江戸時代の備前など古備前の名品が、陳列展示されています。   (室町時代後期の古備前耳付壺)
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3階、4階では、金森陶陽など人間国宝の作品や現代作家の代表的な作品などを見ることができます。
時間に余裕のある方は、伊部の街を少し歩くと備前陶器店が、いくつもありますので店に入り、備前陶器を自分の手にとって‘備前の土と火’の感触を楽しまれることをお薦めいたします。
by blues_rock | 2013-01-09 00:14 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
伊万里市の松浦鉄道伊万里駅2階に「伊万里・鍋島ギャラリー」があります。
江戸時代、肥前国(佐賀県・長崎県)は、磁器の生産地として栄え発展しました。
中国では、明朝時代、景徳鎮を中心に窯業が栄え、陶磁器をアジア・ヨーロッパに大量に輸出していました。
1644年明朝が滅び、清朝になると中国陶磁器の海外輸出を禁止しました。
a0212807_082372.jpg当時、中国陶磁器貿易で利益をあげていたオランダ東インド会社(1602年設立、世界最初の株式会社)はあわてて、中国(景徳鎮窯)に代わる磁器の生産地として日本の肥前国に目を付けました。
日本との貿易独占権を得たオランダ東インド会社は、有田から伊万里川沿いの窯で焼成された磁器を伊万里の津(伊万里川河口)に集め、伊万里港からヨーロツパに向け輸出しました。
肥前磁器(有田焼)の輸出港として栄えた伊万里の津には、陶器貿易商の家が、軒を連ねていました。
当時ヨーロッパでは、伊万里港から船積みされた磁器類は、すべて“伊万里焼”と呼び高級ブランド品でした。
a0212807_084933.jpg王侯貴族を中心にヨーロッパの富裕層は、伊万里ブランドの磁器を自分の城や邸宅の室内を飾る美術品として競って購入、“伊万里焼”は、ヨーロッパ文化の中に溶け込んでいきました。
余談ながら、当時輸出のために磁器を梱包する紙として使用されたのが‘浮世絵’で、この梱包紙の浮世絵にヨーロッパの人々は、ビックリ仰天‥‘日本は、何んという国だ、芸術品(浮世絵)で茶碗や皿を包んでいるぞ’と驚きました。
‘浮世絵’は、当時のヨーロッパ画壇を席巻し、マネ・モネに代表される印象派、ゴッホ・ゴーギャンの後期印象派絵画を生み、ヨーロッパ美術のジャポニスム・アールヌーボー芸術・ウィーン象徴派絵画に大きな影響を与えました。(これについてはこちらこちらをご覧ください。)
伊万里市立「伊万里・鍋島ギャラリー」は、鍋島・古伊万里を290点所蔵しています。(上写真 : 初期鍋島)
by blues_rock | 2012-10-05 00:04 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
門司の出光美術館は、平成12年(2000年)に出光美術館所蔵品(出光コレクション)を展示する美術館として北九州市の門司港レトロ地区に開館しました。
a0212807_747589.jpg「利休と桃山茶陶」の展覧会が、開催中(平成24年6月8日から8月26日まで)なのでこれに合わせて初めて訪ねました。
門司港レトロ地区の再開発に伴い大正時代に建てられた出光興産の旧い資材倉庫を美術館に改装・増築し門司の出光美術館が開館しました。
広い倉庫を生かし、快適な空間にリフォームした門司の出光美術館は、門司港レトロ地区にフィットしたセンスの好い美術館でした。
質量ともに充実した出光コレクション所蔵品の中から東京の出光美術館と作品の入れ替えを行ない展示しているので門司の出光美術館で出光コレクション数々の名品を見ることができるようになりました。
a0212807_7594379.jpg現在開催中の「利休と桃山茶陶」に展示されている作品(こちら)は、すべて出光美術館所蔵のもの、上質な桃山古陶の完品の数々に目を凝らして眺め入るばかりでした。
中でも私が、見惚れてしまったのは、志野茶碗2口、織部手鉢2口、朝鮮唐津徳利2口、伊賀・唐津・瀬戸の花生でした。
長谷川等伯の「松に鴉、柳に白鷺図屏風」六曲一双もあり、これも見応えのあるすばらしい作品でした。
美術館の前にひと際高くそびえる「門司港レトロビル」の31階(地上100m)展望スペースから眺める眼下の門司港、白波が立つ関門海峡と関門大橋、対岸に広がる下関は絶景です。
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古陶の逸品を堪能されたら、今度は地上100mの展望スペースで門司港地ビールを飲みながら天守閣の殿様気分を味わってください‥お薦めのスポットです。(写真 : 門司港レトロビル31階の窓から関門海峡を展望)
by blues_rock | 2012-08-21 00:38 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
私が、ご本人の迷惑など一切顧みず「博多の白洲正子さん」と思っている方が、博多におられます。
福岡市早良区を流れる金屑川と室見川とが合流するあたり、明治通り沿いに瀟洒な古美術店(骨董店)があり、その店のご主人を「博多の白洲正子さん」と私は勝手にそう呼んでいます。
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彼女は、古美術品(骨董品)の審美眼に優れ、店内に並ぶ古陶磁・古道具類のどれも見ごたえあります。
店にある古陶磁や古い道具に特別な銘はなくとも、店主自ら手に取って自分の目で選ばれた品なので紛(まがい)いものや贋(にせ)ものの類いがありませんでした。
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良いものは、好い人のところに自然と集まるのかもしれません。
店が開いているのは、土曜日と日曜日だけ‥骨董・古美術を商ってはおられますが、元来あまり欲のない方なので‘本当は手放したくない’ といつも口グセのように言われています。
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お気に入りの古陶磁には、自分で金継ぎを施したり、大切な古陶の茶碗や茶入れには、古代裂(こだいぎれ)や金襴(きんらん)の仕覆(しふく)を着せたりして丁寧に扱われています。
古美術品(骨董品)の価格も手ごろで、街中の骨董店に比べたらグンと安く、やはり欲のない方のようです。
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古美術(骨董)に興味があり、時間と気持ちに余裕のある方は、ここで本物の古美術品(骨董品)を実見されることをお薦めいたします。
ただし、手に取ってご覧になる場合、必ず店のご主人の許可をもらい両手で包むようにそっと見てくださるようお願いします。
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キズを付けることは厳禁、くれぐれも取扱いには、ご注意ください。
もし万が一、キズを付けたら自己責任で解決する(引き取る)ことになりますが、絶望することはありません。
“金継ぎ”すれば、元には戻りませんが、また‘別の美しい器’に生まれ変わります。
古陶は、人に愛(め)でられ、弄られて美しくなっていくものです。
by blues_rock | 2012-08-17 01:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
六古窯のひとつ丹波窯は、800年くらい前、時代が平安から鎌倉に移るころ穴窯(あながま)による焼成で当時の生活必需品であった甕(かめ)や壺(つぼ)を多く生産しました。
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陶土を煉り紐状にして甕(かめ)や壺(つぼ)に成形し穴窯(あながま)に入れ、同時に多くを焼成する技術を発達させた丹波は、桃山時代まで400年くらい続きました。
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人々の暮らしの必需品であった米や塩を貯蔵し、水を汲んで貯め、梅干を漬けたりするのに不可欠であった甕や壺は、京都・大阪の庶民に広まり丹波窯を次第に有名にしていきました。
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その古丹波窯で焼成された古陶の数々を篠山市の丹波古陶館で見ることができます。
a0212807_21111670.jpg丹波古陶館が、所蔵している古丹波のコレクションは、どれもすばらしく年代別・形状別・釉薬別に分類され、そのうち312点が、兵庫県指定文化財になっています。
古丹波窯の特徴は、変化に富んだ緑色の自然釉(しぜんゆう)にあり、とくに自然釉三筋壺などは、古丹波の見どころでしょう。
丹波古陶館は、JR福知山線篠山口駅からバスに乗り篠山バス停下車、そこから徒歩3分のところにあります。
近くに篠山城跡があり、丹波古陶を堪能した後ゆっくり散策してみるのも良いでしょう。
by blues_rock | 2012-08-07 00:06 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
東アジア(日本・朝鮮・中国)の古陶磁・古窯の世界的な研究家であった小山富士夫(1900-1975)は、わが国の縄文・弥生土器から中世(平安・鎌倉時代)までの古陶を分類し、学術的に6か所の古窯で焼成された陶器であると「六古窯」という新しい古陶用語で呼びました。
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日本では、日本列島の先住民であった縄文人が、生活の中で土器という独特な“焼きもの”を発明しました。
それから弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)と“焼きしめ”による焼成技術が発達し、鎌倉時代になると高温で焼成した陶器が誕生しました。
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瀬戸窯で初めて釉(うわぐすり)をかけた陶器(古瀬戸)が焼成され、同じころ常滑・越前・信楽・丹波・備前でも同じような焼成技術を使って暮らしに必要な陶器をまとめて生産する穴窯・大窯が現われました。
a0212807_23251392.jpg南北朝から室町時代になると鎌倉時代、中国渡来の禅宗によってもたらされた喫茶の風習が公家・武家・商家にも広まり、中国との交流・交易も活発になり大陸の陶磁器が、渡来するようになりました。
さらに戦国の世を経て安土・桃山時代になると村田珠光・武野紹鴎の「茶の湯」が広がり、千利休に受け継がれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵により半島の陶器(生活雑器)が、大量に日本に渡来しました。
渡来品の中国陶磁器・朝鮮陶器の製陶技術は、日本独自の陶器を焼成していた「六古窯」に大きな影響を与え、窯・土・釉の研究・工夫・改良により桃山時代以降、日本の陶磁器生産は、技術革新しながら進歩し陶磁器を焼成する窯元も、良質な陶土と薪(赤松)を求めて全国各地に広がって行きました。
縄文土器の発明から1万数千年、日本の風土で育ち生粋の日本陶器を焼成した窯を学術的に「六古窯」と呼び中国・朝鮮古陶の影響を受けた桃山時代以降の窯と区別しています。
   ◆ 瀬戸(愛知県瀬戸市)
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瀬戸市の東南にある猿投山の山麓で焼きもの作りは始りました。
器の強度を高めるため釉(うわぐすり)をかけて焼くという本格的な技法をとっていたのは、当時の六古窯のなかで瀬戸だけでした。
他の窯では、焼きしめといって焼成温度を高めて堅くし吸水性がなくなるまで焼きしめていました。
   ◆ 古常滑(愛知県常滑市)
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古常滑と呼ばれる初期のものは歴史が古く、六古窯の中でも最も古く大規模でした。
須恵器の時代の平安末期までさかのぼり「壺や甕」が主な生産品でした。
   ◆ 古越前(福井県丹生郡織田町・宮崎村)
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古常滑と同じような歴史をもつのが、越前焼でした。
「壺や甕」が主な生産品なのは古常滑と同じですが、興味深いのは、室町時代以降、既婚女性用の「お歯黒壺」が盛んに作られました。
ロクロを用いない奇妙な形の小壺は、後年茶の湯に親しむ風流人に好まれ、一輪挿しなどに使われました。
時代とともに廃窯されて行き古越前焼の火が途絶えました
   ◆ 古信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)
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信楽焼は、紫香楽(しがらき)宮の屋根瓦を焼くために始まりました。
大火で都が消失した後「種もみ用の壺」などで細々と窯は維持されておりましたが、室町時代になり、野趣豊かな土味を生かした素朴な風合いが、茶人たちの目に止まり、茶陶の生産地として発展しました。
   ◆ 古丹波(兵庫県篠山市立杭)
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六古窯の他の窯と同じような生い立ちで、「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を生産していました。
やがて茶人小堀遠州の好みによって、味わいのある茶陶が焼かれるようになりました。
蛇窯という穴窯で長時間焼かれ出来る「灰かむり」は、ダイナミックで重厚です。
   ◆ 古備前(岡山県備前市伊部)
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今では名陶や陶芸品の代名詞ともなった備前焼も、六古窯のひとつでした。
平安時代末期に窯が開かれた頃は「壺・甕・すり鉢」などの生活雑器を焼く普通の窯でした。
室町時代になると高温に耐える良質の陶土を生かし、2週間におよぶ焼成で徹底して焼きしめ、その長時間の焼成中で起こる窯変が、茶人の評判となり盛んになりました。
やがて茶陶が衰退すると古備前窯も次第に消滅していきましたが、終戦後金重陶陽(1896~1967)・藤原 啓(1899~1983)などの名匠(人間国宝)の手で備前焼は再興され有名になりました。
by blues_rock | 2012-07-30 00:04 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)
朝日新聞の創業者村山龍平が、蒐集した東洋の古美術コレクションを収蔵し一般公開している美術館です。
阪急神戸線の御影駅から歩いて5分の閑静な住宅街に香雪美術館(こちら)はあります。
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私が見たい古陶の数は、多くありませんでしたが、古志野の水指・李朝の井戸茶碗・仁清の鴨香炉・龍泉窯の砧青磁花入などの逸品をゆっくり鑑賞しました。
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緑も多く環境の良いエリアなので散歩を愉しみ、三ノ宮まで足を延ばして神戸南京街で中華料理に舌鼓打つのも一興かと思います。
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横浜の中華街に比べても味に遜色はなく、何より好いのは料理の値段が、格段に安く、口コミで評判の良い店であれば味に引けはとりません。
  ◇ 志野松籬絵水指(桃山)
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  ◇ 井戸茶碗(李朝)
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  ◇ 野々村仁清「鴨香炉」(江戸前期)
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by blues_rock | 2012-07-21 00:40 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)