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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:映画(シネマの世界)( 762 )

世界映画史に残るイタリア希代の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督 が、1963年に発表した傑作「山猫」の‘4K完全修復版’を中洲の大洋映画劇場で見ました。
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15世紀に人間復興(ルネサンス)をテーゼに完成した人類史上最高の芸術である絵画と同等の芸術的価値をもつ20世紀の人類(人間)が、発明した映画という表現技術(道具とスキル)は、人類に新たな芸術を誕生させました。
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芸術としての映画が、完成したとは、まだ言い切れませんが、ルキノ・ヴィスコンティ作品は、間違いなく人類(人間)の文化遺産と言っていいだろうと思います。
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そう遠くない未来の映画界に、AI(Artificial Intelligence)監督が、登場し画期的なプロット(ストーリー)と斬新な映像で映画を撮り、IoT (Internet of Things)を道具にして、AI映画関係者(プロデャーサーもインターネット配給もAI)は、
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全世界の映画ファンに、いつでも誰でもどこででも自作を見てもらえるようにするでしょう。
不世出の奇才スタンリー・キューブリック監督が、「2001年宇宙の旅」を発表したとき、宇宙船ディスカバリーの
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機能すべてをコントロールするAIコンピューター(HAL 9000) は、また空想(SF)の世界でした。
AIの研究に熱心なイギリスの鬼才映画監督アレックス・ガーランドは、「エクス・マキナ」 で人間の感情を理解a0212807_10455788.jpgする頭脳明晰な(聡明な)ガイノロイド AVA の誕生を予言しています。
閑話休題、ルキノ・ヴィスコンティ監督生誕110年(没後40年)を記念して最新デジタル技術により完全修復されたヴィスコンティ監督の初期ネオリアリズモ作品から‘滅び’を美学にまで昇華した耽美作品に至る作品までが、一挙公開されています。
a0212807_10464355.jpgイタリア映画希代の巨匠にして世界映画史の至宝ルキノ・ヴィスコンティ監督映画を一度も見たことのない若い映画ファンやネオリアリズモ(ヌーベルヴァーグ、アメリカン・ニューシネマ、アートシアター・ギルド)に熱狂した往年の映画ファンには、千載一遇のチャンスです。
「山猫」の舞台は、1860年代のシチリアです。
a0212807_10591923.jpgイタリアが、群雄割拠した時代、統一国家としての体をなさず混乱、軍事家ガリバルディ(1807~1892)率いるイタリア統一義勇軍のパレルモ進軍で、ナポリ・シチリア王国の貴族たちは、心中穏やかではありませんでした。
シチリア王国の貴族 サリーナ公爵(バート・ランカスター 1913~1994)は、豪奢な貴族の暮らしに浸りながらも貴族身分の終焉が、近いことも感じていま
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した。
サリーナ公爵は、貴族ながらガリバルディ義勇軍に参加した甥のタンクレディ(アラン・ドロン 1935~)にサリーa0212807_1115498.jpgナ一族の安寧を委ねることにしました。
サリーナ公爵は、タンクレディに平民の旧友の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ 1938~)を紹介しました。
タンクレディは、美しいアンジェリカに一目惚れし結婚を申し込みました。
シチリア貴族新旧の世代交代を通してルキノ・ヴィスコンティ監督が、描いた‘滅びの美学’の一大叙事詩です。
劇中に登場する豪奢な貴族の館の設えや有名な大舞踏会のシークエンスは、豪華絢爛そのもの、元貴族ヴィスコンティ監督ならではの壮麗な撮影セット(プロダクションデザイン)も必見です。
当時のヨーロッパ映画界で、フランスの美人女優 BB(ベベ)ことブリジット・バルドー(1934~)と人気を二分したイタリア新鋭の美人女優 CC(シシ)ことクラウディア・カルディナーレの美しいこと、イタリア美人女性の若いときは、本当に美しくルネサンス絵画から抜け出してきたような美貌と気品が、漂っています。
by blues_rock | 2017-02-04 00:00 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
黒澤明監督を師と仰ぐアメリカの名アクション映画監督アントワーン・フークア(1966~「イコライザー」、「サウスポー」)は、1954年の黒澤作品「七人の侍」をベースに1960年ウェスタンとしてリメイクされた西部劇の名作「荒野
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の七人(The Magnificent Seven)」を56年後の2016年に今度は、「荒野の七人」をフークア監督が、スパイスを効かせた演出で超弩級の西部劇「マグニフィセント・セブン(新荒野の七人)」としてリメイクしました。
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現在公開中の「マグニフィセント・セブン」は、「七人の侍」の落ちぶれサムライの毅然とした矜持(ダンディズム)と「荒野の七人」のガンマンのかっこよさ、この二つの旧作映画のコンセプト(おもしろさ)をきちんと押さえ極めてa0212807_17583510.jpgシンプルな‘勧善懲悪’西部劇として撮られていますが、ストーリー(プロット)は、きちんと組み立てられラスト・シーンで賞金稼ぎの主人公サムが、なぜならず者のガンマン6人を集め、立ち寄っただけの小さな町を暴力と無法で支配する冷酷な非道な悪の親玉ボーグに立ち向かうのか明かされます。
されど、何と云ってもこの映画「マグニフィセント・セブン」のメイン(見どころ)は、超弩級のガンファィトです。
a0212807_1759387.jpg主人公の賞金稼ぎサムを演じるのが、名優デンゼル・ワシントン(1954~)でフークア監督とは、「イコライザー」でタッグを組んでおり、その時演じたデンゼル・ワシントンのクールな無頼さそのままに登場した感じでした。
ほかのならず者 6人もそれぞれ個性的でイーサン・ホーク(1970~ 脇で渋い演技を披露)、クリス・プラット(1979~)、ヴィンセント・ドノフリオ(1959~)、イ・ビョンホン(1970~ 2011年韓国映画「悪魔を見た」)など名優たち揃い、ぜひスクリーンでその雄姿をご覧ください。
a0212807_1812170.jpg理不尽な暴力に支配されて恐怖におびえる臆病な町民をまとめる未亡人エマ役のヘイリー・ベネット(1987~ 雰囲気がどことなくジェニファー・ローレンス似)や冷酷な悪の親玉ボーグ役のピーター・サースガード(1971~)も好演しています。
フークア監督映画の演出は、いつもテンポ良くクール&ドライなので極悪非道な悪の親玉ボーグの凄味が、やや希薄に感じられa0212807_1821151.jpgました。
悪の権化のようにボーグが、「ケープ・フィアー」(1991、マーティン・スコセッシ監督)でロバート・デ・ニーロ演じたような‘理不尽、粗暴、サイコ、凶悪’ であったなら無報酬の正義のために命をかけて戦うサムライ・ガンマンたちマグニフィセント・セブンに対する観客の感情移入は、もっと高まったかもしれません。
a0212807_1823745.jpg音楽は、飛行機事故死で亡くなる前、ジェームズ・ホーナー(「サウスポー」参考のこと、同映画の音楽監督)が、フークア監督にナイショで、すでに作曲していたそうで1960年の「荒野の七人」の音楽を懐い出すような箇所(アレンジして挿入)もありうれしく思いました。
by blues_rock | 2017-01-31 00:01 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_526299.jpg元キリシタンの長崎奉行所通辞(浅野忠信 1973~)は、目の前の凄しい拷問に眉を潜ませながらも司祭ロドリゴに繰り返し棄教する(転ぶ)ことを説得、教会の教義に従い自らの信仰を頑なに守り殉教するのか、自己(の信仰)を犠牲にしてキリスト教信徒の命を救うのか‥ロドリゴが、ついに決心して踏み絵のイエスの顔に足を近づけると彼の足に激しい痛みが、走りました。
a0212807_5484389.jpgそのとき踏み絵のイエスが、ロドリゴに「踏むがよい。 おまえのその足の痛みを私が、いちばんよく知っている。 その痛みを分かつために私は、この世に生まれ、十字架を背負ったのだ。」と語りかけました。
もし、キリストが、ここにいたら目の前で苦しむ信徒のために転んだだろう、それが、神の愛(信仰)なのだ、と映画は、私に語りかけていました。
a0212807_55071.jpgロドリゴは、踏み絵のイエス像を踏み棄教、岡田三右衛門と名乗り妻を娶り幽閉40年の生涯を日本で終えました。
フェレイラ神父も司祭ロドリゴの前に現われたとき、すでに沢野忠庵と名を変え過っての教え子ロドリゴに「この国でキリスト教は、育たない。」と一言、静かに言いました。
a0212807_604115.jpgスコセッシ監督「沈黙(サイレンス)」に出演している日本人俳優たちが、いずれも秀逸で、リアリティ(実在感)にあふれスコセッシ監督の演出とセッションしているような名演技で ‘すばらしい!’ の一言です。
窪塚洋介演じるキチジローもキリシタンで司祭ロドリゴを手引きしながら一方で簡単に踏み絵を踏み密告、そんなキチジローを軽蔑するロドリゴに付きまとい‘弱い自分a0212807_61157.jpgの罪’を認め、神の赦しを乞う告解を何度も求めます。
信仰心厚い隠れキリシタンのモキチ(塚本晋也 1960~ 右写真)、長老のイチゾー(笈田ヨシ 1933~ 上写真)、信仰を捨てないため見せしめに斬首されるジュアン(加瀬亮 1974~)、簀巻きにして海に投げ入れられるモニカ(小松菜奈 1996~)などの存在も光ります。
a0212807_614097.jpgイエスは、再びキチジローの顔を通してロドリゴに「私は、沈黙していたのではない。 おまえたちと共に苦しんでいたのだ。 弱いものが、強いものよりも苦しまなかったと誰が、言えるのか?」と語りかけます。
神の教えの意味を知ったロドリゴは、踏み絵することで棄教した自分が、いまもなお、この国で最後のキリスト教司祭であることを悟りました。
a0212807_624912.jpg映画を見ると「沈黙 サイレンス」製作にかけるスタッフ、ラインプロデューサー・プダクションデザイン・コスチュームデザインなど製作陣の情熱と努力が、よく分かり名撮影監督ロドリゴ・プエトロ(1965~)の映像も秀逸です。
「沈黙 サイレンス」は、傑作ですので、ぜひ一人でも多くの方に見ていただきたいとおもいます。 (上写真 : 撮影中のマーティン・スコセッシ監督)
a0212807_643111.jpg1971年公開の篠田正浩監督作品「沈黙」(左ポスター)も傑作ながら、いまDVDでも見れないのが、残念です。
この映画の脚本は、原作者遠藤周作が、篠田監督と共同で書き、撮影監督は、撮影の名匠宮川一夫、音楽監督が、作曲家武満徹、キチジロー役は、日系アメリカ人俳優のマコ岩松、転んだ女キク(洗礼名モニカ)を篠田監督夫人にして名女優の岩下志麻(1941~)が、演じていました。
by blues_rock | 2017-01-29 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
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1974年映画「アリスの恋」、1976年映画「タクシー・ドライバー」(カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品)からマーティン・スコセッシ監督(1942~)の主要な作品は、見て来ましたが、最新作「沈黙 サイレンス」は、スコセッa0212807_4515854.jpgシ監督が、遠藤周作(1923~1996)の歴史小説「沈黙」を読んで以来28年間ずっと映画化を夢見て来たというだけにキリスト教(カトリック)徒スコセッシ監督渾身の傑作映画です。
2017年1月21日の封切り初日、さつそく見て来ましたが、「すばらしい!」の一言、これからも時おり見ようと思っています。
a0212807_4581735.jpg映画は、暗闇の静寂の中で鳴く虫の音から始まり 2時間39分の歴史ドラマが、終わると同じ暗闇の静寂の中でまだ鳴き続ける虫の音を聴きながら終わります。
スコセッシ監督の演出は、遠藤周作小説「沈黙」に忠実に‘神の沈黙’を描いていきます。
徳川幕府(長崎奉行所)の厳しいキリスト教弾圧の中、息を潜め極貧と過酷な環境に耐えながら‘信仰により神a0212807_53587.jpgの国(天国)に行ける’と信じ‘神の救いとキリストの声’にすがる隠れキリシタンと日本最後のキリスト教司祭(二人のパードレ)に長崎奉行井上筑後守は、容赦なく棄教(踏み絵)を迫ります。
1633年、徳川幕府の鎖国令(キリスト教禁止令の徹底)による長崎のキリスト教信徒への弾圧は、容赦のないもので残酷な拷問により棄教させて(転ばせて)いました。
a0212807_534299.jpg1637年、キリシタンの天草四郎時貞を農民一揆の指導者とした島原の乱も圧倒的な幕府軍の武力で鎮圧(原城篭城の女子供などの非戦闘員1万3千人も入れ死者3万7千人)されました。
「沈黙 サイレンス」は、その直後の長崎が、舞台です。
a0212807_5133499.jpg主人公の司祭ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィルド 1983~)は、司祭ガルペ (アダム・ドライバー 1983~)と共にマカオで知り合ったキリシタンの日本人キチジロー(窪塚 洋介 1979~)に案内されて日本(長崎)に密入国しました。
ポルトガルの教会で教えを受けたフェレイラ神父(リーアム・ニーソン 1952~)の消息が、途絶え生死不明ながらフェレイラ神父は、日本で棄教し生きてa0212807_519172.jpgいるという噂を信じない司祭ロドリゴとガルペの二人は、志願して日本行きを強行しました。
そして二人の若い司祭が、日本の長崎の島々で見たものは、長崎奉行井上筑後守(イッセー尾形 1952~)によるキリスト教信徒(キリシタン)へ強く棄教を迫る(イエス像を彫った銅板の踏み絵を踏ませる)拷問でした。
a0212807_5194330.jpg鬼と恐れられている長崎奉行井上筑後守を演じるイッセー尾形が、正に井上筑後守その人のようにすばらしく、奉行井上筑後守は、柔和な笑顔で棄教をやさしく諭すかと思えば、冷酷な態度で残酷な拷問を行ない、信仰心厚く棄教しない(転ばない)キリシタンと分かれば容赦なく処刑しました。
a0212807_5235878.jpg元キリシタンで棄教した井上筑後守は、棄教させる(転ばせる)ためなら清濁併せた手練手管の狡猾さと人間の真実を見抜く慧眼をもって司祭ロドリゴに「そなたが、転べは、あの者たちは、助かるのだぞ。」とロドリゴを拷問せず時間を与え目の前で信徒のキリシタンが、拷問され処刑されるさまを見せ続けます。(後編へ続く)
by blues_rock | 2017-01-27 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
a0212807_1343314.jpg今夜は、アメリカのアントニー・フークア監督(1966~ アクション映画「イコライザー」の監督)の新作でボクシング映画の秀作「サウスポー」(2016年公開)を紹介します。
映画のプロットとストーリーに新しさは、ないもののフークア監督演出のすばらしさもさるものながら何と言っても栄光の絶頂から奈落の底に転落しどん底から這い上がってくる主人公のライト・ヘビィ級世界チャンピオン、ビリー・ホープを演じた36歳の若さながら名優の域にあるジェイク・ギレンホール(1980~)が、ボクサーの肉体に改造しボクシングの全ファイトシーンに自ら挑んだド迫力のリアルな演技とそれを撮った撮影監督マウロ・フィオーレ(1964~ 「アバター」の撮影監督)の見事なカメラ・ワークは、必見です。
a0212807_135759.jpgジェイク・ギレンホールは、主演が、決まると毎日2回、一日も休まず8か月の間、ボクサーとして肉体改造トレーニングを行ない当時にボクシングスキルを学び筋肉と体力、ボクシング能力を身に付けた(‘デニーロ・アプローチ’を実践した)そうで希代の名優ロバート・デ・ニーロの遺伝子を受け継ぐ俳優の一人であることを証明しました。
a0212807_1355473.jpg前作の「ナイトクーラー」でも減量しガリガリに痩せ、大きな目をさらにギョロ目にして狂気を孕んだ不気味なキャラクターを怪演、俳優としての凄さを見せてくれました。
共演した俳優(女優)陣の演技もすばらしく、ビリーの最愛の妻モーリーンを演じたレイチェル・マクアダムス(1978~)もまたボクサーの妻を演じるに当たって、その心情を理解するためにボクシングのトレーニンa0212807_149494.jpgグに参加して激しく打ち合う闘いのリアリティを体験して臨んだそうです。
映画の中盤(52分くらい)からどん底の元世界チャンピオン ビリーが、再起のために助けを求めたダウンタウンのボクシングジム・トレーナーを演じたフォレスト・ウィテカー(1961~ 「ラストキング・オブ・スコットランド」でアカデミー賞主演男優賞受賞)存在感も抜群でした。
a0212807_149489.jpgビリーの愛娘レイラ役のウーナ・ローレンス(2002~)も天才子役少女ぶりを発揮、レイラは、自分と破滅的な父ビリーをいつも見守ってきた最愛の母モーリーンが、短気な父ビリーのケンカに巻き込まれ殺され、その喪失感から自暴自棄になった父ビリーを突き放し児童養護施設で、父ビリーの人間(父親)として、そしてボクサーとしての再起(自覚)を願う健気な少女レイラをa0212807_1534544.jpg名演していました。
映画タイトルの「サウスポー」は、左利きのこと、攻撃な打ち合いを得意とし自分も血だらけになりながら勝ち続けて来た右利きのビリーが、どん底でトレーナーから‘自分を守る’ことの大切さ(亡き妻モーリーンが、ビリーに「あなたは打たれ過ぎている」と言い続けたこと)を教わり、それまでの攻撃的に打ち合うボクシングから我が身と自分の大切なものを守るため右利きの自分に打ち克つ「サウスポー」に変わることを意味しています。
a0212807_1541842.jpg音楽監督を務めた映画音楽の名作曲家ジェームズ・ホーナー(1953~2015)は、映画製作予算不足のためノーギャラで作曲、完成した映画を見ないまま飛行機事故で亡くなりました。
フークア監督は、映画のエンドクレジットに「ジェームズ・ホーナーは思い出の中に」と追悼メッセージしていました。
a0212807_1545095.jpgフークア監督の最新作(2017年近日公開、黒澤明監督「七人の侍」のリメイク)「マグニフィセント・セブン」のために亡き音楽監督ジェームズ・ホーナーは、飛行機事故で亡くなる前、フークア監督にナイショで「マグニフィセント・セブン」の音楽を事前に作曲していたことが、分かりました。
a0212807_1552968.jpgアントニー・フークア監督と作曲家ジェームズ・ホーナーの映画を通した強い信頼関係と厚い友情が、分かる逸話だと思い紹介しました。
by blues_rock | 2017-01-23 00:23 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
1994年のアメリカ映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」(ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演)で、主人公のフォレストが、「人生は、チョコレートの箱、開けてみるまで分からない。」と言いました。
a0212807_9471474.jpg歩行補助器を付けた少年だったフォレストが、ガンプ(ウスノロやマヌケを意味するアラバマ地方の方言)と呼ばれ、イジメに遭いながらも艱難辛苦の人生を走り続け幼馴染の女性ジェニーを生涯愛し、その波乱万丈の人生をバス停で見知らぬ人に話す‘邯鄲夢の枕’のような物語でした。
韓国の名監督ユン・ジェギュン(1969~)の作品「国際市場(いちば)で会いましょう」は、ゼメキス監督が、「フォレスト・ガンプ/一期一会」で描いた寓話的な演出手法をとらずドグスという一人の男の人生を1950年の朝鮮戦争時代から現代までのリアルな韓国現代史として描きました。
ジェギュン監督は、丁寧な歴史考証をふまえ、今まで韓国映画が、描かなかった1950年の朝鮮戦争による民族a0212807_948331.jpg分断の悲劇と数多の一家離散家族の現実に向い合いました。
ユン・ジェギュン監督の演出のもと製作スタッフ陣とくに撮影のチェ・ヨンファン、プロダクション・デザイン(美術)のリュ・ソンヒ、コスチューム・デザイン(衣装)のクォン・ユジンなど優秀なスタッフの手抜きのない徹底した歴史考証(仕事ぶり)は、秀逸です。
a0212807_9494722.jpgそれでも主人公ドグス(ファン・ジョンミン 1970~「新しき世界」主演)の波乱万丈の人生は、フォレスト・ガンプに重なり、ドグスの妻ヨンジャ(キム・ユンジン 1973~、2000年映画「シュリ」主演)が、フォレストの永遠の女性ジェニーに、ドグス生涯の友人ダルグ(オ・ダルス 1968~)は、さしずめフォレストの人生にとってのバッバとダン中尉かもしれません。
a0212807_951162.jpg朝鮮戦争からの韓国50年史の大河ドラマ「国際市場で会いましょう」は、韓国の老若男女の琴線に触れ大ヒット、韓国映画史上第2位の観客動員数を記録しました。
映画は、ドグス少年の家族が、北朝鮮軍支援のために参戦した中国軍の攻撃で朝鮮半島 興南港(現在北朝鮮)から脱出するところから始まります。
a0212807_9553828.jpgドグス少年は、港に押し寄せた難民の大混乱で父と妹と離ればなれになり父が、ドグス少年に再会する場所として伝えた釜山の国際市場(いちば)に母と弟もう一人の妹4人で向かいました。
1950年~2000年代の韓国社会が、激動する中でドグスは、父から厳命されたされたとおり一家の長として家族を最優先して生きてきました。
a0212807_9571112.jpg歳月を経て老人となったドグスは、艱難辛苦の末、手に入れた釜山の国際市場(いちば)にある小さな店が、韓国近代化開発の波で強制立ち退きを迫られても頑固に立ち退こうとしませんでした。
離散した父には、再会できなかったものの戦災孤児としてアメリカ人の養女となってロスアンゼルスで暮らしていた妹に再会、ヨンジャとの間にできた子供たちも皆な成人しa0212807_9574828.jpg孫たちにも恵まれましたが、ドグスの居場所は、父の写真が、置かれた狭い自分の部屋でした。
2017年現在、いまだに韓国の政情不安収まらず大統領は、国民から弾劾され罷免、韓国を代表する世界的大企業の経営者が、背任(横領・収賄容疑)で告発されるなど騒乱は、収まりそうもありません。
韓国に潜在する内なる分断国家の不穏な影(対立の社会背景)と映画「国際市場(いちば)で会いましょう」に大a0212807_9583612.jpg涙する韓国国民の深層心理を理解しない限り、戦後72年曲がりなりにも統一国家として平和に暮らしてきた私たち日本人にとって韓国は、いましばらく理解できない近くて遠い国のままかもしれません。
韓国の国民的映画「国際市場(いちば)で会いましょう」は、日本人が、韓国国民の屈折した深層心理を理解する一助になる映画ではないかと私は、思いました。
by blues_rock | 2017-01-21 00:01 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
当時、7歳の少女ドリュー・バリモア(1975~ ポスターの下写真)は、「E.T.」(1982)に出演し、そのあどけないキュートな容姿で一躍人気子役になりました。
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それから10年、少女から17歳の娘盛り(ティンエイジャー)になり容姿端麗なフェロモンあふれる女性に成長したドリュー・バリモアは、1992年にエロティック・スリラー映画「ボディヒート」(原題 Poison Ivy =蔦漆、北アメリカに分a0212807_22143128.jpg布、毒性が強く触れるとかぶれる)に主演、毒のある妖しげな女子高生アイヴィを好演しました。
映画は、この美しくエロティックな少女の面影を残す女子高生アイヴィにより破壊されていく家族の悲劇を描いています。
監督・脚本は、女優出身のカット・シー・ルーベン監督(1957~)で17歳の美人女優ドリュー・バリモア(下写真)を瑞々しく描き、ドリュー・バリモアの鮮度a0212807_22162624.jpgを最高に引き出しています。
ドリュー・バリモアは、若く(17歳)して波瀾万丈な人生を送り、9歳のときに飲酒や喫煙で補導され、10歳になるとマリファナ、12歳でコカイン、14歳のとき自殺未遂、15歳になると共依存であった母親から完全に独立するため裁判を起こし勝訴、アルバイトで生計を立てながらオーディションを受け、メディアに女優の自分を売るため夜な夜なパーティに顔を出し破天荒な振る舞いを繰り返していました。
ドリュー・バリモアは、この映画の主人公アイヴィのような奔放な少女時代を過ごしていました。
女優でもあるルーベン監督は、自分も人も傷つけながら生きる17歳の‘Bad Girl’ドリュー・バリモアにインスパイヤーされて「Poison Ivy(ボディヒート)」の脚本を書いたと推察します。
a0212807_22165335.jpg当然、ルーベン監督は、主人公の‘Bad Girl’アイヴィにドリュー・バリモアを起用、この蔦(アイヴィ)に触れると酷い炎症を起こす‘ポイズン・アイヴィ’として毒々しくエロティックに美しく17歳の美女ドリュー・バリモアを撮っています。
映画の冒頭、木の枝からロープを吊るしただけのブランコに揺られながらスクリーンに映るセクシーなドリュー・バリモアは、必見です。
このスリラー映画は、少女から女へ移ろう十代の美人女優ドリュー・バリモアが、見どころの映画ながら一見の価値は、あります。
今や42歳になったドリュー・バリモア(右写真)は、体内から毒気が、抜けたように女優業と併せ映画監督・プロデューサー・実業家として堅実に活動、また2児の母でもあり、アフリカの子供たちを救う飢餓撲滅運動に貢献しています。
脚にアイヴィ(蔦)の刺青をしていたことからブランコをしていた同級生を‘アイヴィ’(映画は素性と本名不明のまa0212807_22191862.jpgま)と呼び、アイヴィから利用される女子高生シルヴィにサラ・ギルバート(1975~)、アイヴィから誘惑され性的関係をもつシルヴィの父ダリルをトム・スケリット(1933~ 1992年映画「リバー・ランズ・スルー・イット」で当時新人俳優ブラッド・ピットの父親を演じる)、病弱で嫉妬深くアイヴィに殺されるシルヴィの母ジョージィにシェリル・ラッド(1951~)もそれぞれ個性を発揮して好演しています。
a0212807_2241798.jpg当時、無名のレオナルド・ディカプリオ(「ギルハート・グレイプ」に出演する前年で当時18歳)の名前もクレジットにありますが、端役どころかどこに出演しているのか最後まで分かりませんでした。
by blues_rock | 2017-01-17 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
白血病で余命わずかなスペインの少女アリシア(ルシア・ポシャン)は、日本アニメのヒロイン「魔法少女ユキコ」に憧れ、ユキコのコスチュームを着て踊るのが、夢でした。
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娘の最期の望みを叶えるため元国語教師で失業中の父ルイス(ルイス・ベルメホ)は、そのコスチュームを買ってあげようとインターネット・ショップで調べたら高額(日本円にして80万円)であることが、分かりました。
a0212807_12183755.jpg唯一の財産である書籍を売りますが、受け取ったのは、わずかな金額でした。
実直に生きて来たルイスですが、ついに宝石店強盗を決意しました。
そこから2014年スペイン映画「マジカル・ガール」は、心に深い闇を抱えた女性バルバラ(バルバラ・レニー 1984~、バルバラ役でスペイン版アカデミー賞ゴヤ賞の主演女優賞を受賞)や過去に教え子のバルバラを守るために殺人事件を起こし刑務所から出所しa0212807_12201466.jpgたばかりのワケありそうな元数学教師ダミアン(ホセ・サクリスタン 1937~)などを巻き込みながら、それぞれが、関わることになる摩訶不思議な運命を描いています。
監督・脚本は、スペインの新鋭カルロス・ベルムト(1980~)、この秀作映画「マジカル・ガール」が、長編映画監a0212807_12205624.jpg督デビュー作品で、前夜ご紹介したギリシャのヨルゴス・ランティモス監督と共に優れた才能をもった逸材が、ヨーロッパに現れました。
「籠の中の乙女」が、長文でしたので「マジカル・ガール」は、見どころだけ簡単に紹介いたしますので、ぜひご自分の目で、この映画の素晴らしさをa0212807_12295976.jpg堪能していただきたいと思います。
「マジカル・ガール」は、映画を三つの章で構成し「世界(MUNDO)」、「悪魔(DEMONIO)」、「肉(CARNE)」と日本アニメのファンタジー、ミステリアスなサスペンス、ヒューマンな心理ドラマといろいろなプロット(要素)を持ちながら、ベルムト監督のa0212807_12321830.jpgクールな‘ネオ・ノワール’と呼ばれる演出で奇想天外なストーリーを一つにまとめています。
映画に漂うヒンヤリした空気感とブラックなユーモアセンスは、撮影監督サンティアゴ・ラカハの映像と相俟って完成度の高い映画です。
a0212807_12341175.png主人公の女性バルバラ(バルバラ・レニー)ともう一人の主人公の少女アリシア(ルシア・ポシャン)が、一緒に映画に登場するシーンは、なかったものの自虐的で奇妙な女性バルバラと不治の病でいくばくもない純真な少女アリシアの対照(コントラスト)が、秀逸です。
a0212807_1235076.jpg映画ラストのシークエンスで、アリシアを演じるルシア・ポシャンが、父ルイス(ルイス・ベルメホ)を殺し、さらに自分を殺そうとするダミアン(ホセ・サクリスタン)をじっと凝視する長回しのシーンは、胸に迫るものがあり、精神を病んだバルバラ・レニーの狂気漂わせた名演技と併せルシア・ポシャンのアニメ少女ユキコの寓意的な存在感もこの映画の見どころです。
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(右写真 : 子供のころから日本文化とくにマンガやアニメ、日本映画に親しみ、現在1年のうち4、5か月は、日本に滞在して新宿コールデン街浅草などの下町が、好きというスペイン映画新進気鋭のカルロス・ベルムト監督)
by blues_rock | 2017-01-13 00:13 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
両親は、愛する子供たちが、‘外の世界の汚らわしい影響’を受けないよう出生時から徹底的に外界との接触を避け、シツケと教育の絶対的家長(管理支配者)である父(クリストス・ステルギオグル 1952~)は、自分の決め
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た厳格かつ奇妙なルールで、成人の子供たちを数十年支配し逆らえば、暴力による体罰、従順なら褒美を与え洗脳しコントロールしていました。 (参考:偏向した厳格な父親が、子供を絶対支配する様子は、オーストリア映a0212807_10215382.jpg画「白いリボン」にも登場します。)
思考停止の母(ミシェル・ヴァレイ)は、そんな邪悪な父を愛し命令に盲従する管理支配の厳格な実践者でした。
成人の子供たち三人は、仲が良くお互い幼児のように屈託なく無邪気に遊んでいますが、長女(アンゲリキ・パプーリァ 1975~)、a0212807_10223354.jpg次女(マリア・ツォニ)、長男(クリストス・パサリス)の容姿は、どう見てもアラフォー(30歳代半ばから後半)で、見ていて気色の悪い光景です。
この成人三姉弟が、家族以外と接触するのは、長男の性欲処理係として父が、連れてくるクリスティナ(アナ・カレジドゥ)という父の
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会社で働く従業員の女性だけ、目隠しされて連れて来られたクリスティナは、長男とのセックスを手短に済ますと長女に関心を示し自分の性処理の相手をさせ褒美として長女が、クリスティナのバッグの中で見つけた映画のa0212807_1024770.jpgビデオ数本を貸すことにしました。
これが、外の世界をまったく知らなかった長女に変化をもたらし、奇怪な家族の秩序も次第に軋み始めました。
それまで父は、外に興味を示す子供たちに「外は、危険だ。犬歯が、生え変わったら外の世界に出られる。」と教え家族の共通言語a0212807_1033733.pngも「海のことをアームチェア、塩は電話、女性器をキーボード」など呼んでいましたが、映画ビデオを見てから長女は、名前をブルースと名乗るようになり、父親の誕生パーティで奇妙なダンス(ビデオにあった映画「フラッシュ・ダンス」の真似)を狂ったように踊り両親を驚かせました。
a0212807_10335519.jpg原因が、クリスティナにあると知った父は、彼女をビデオデッキで殴り解雇しました。
長男の性処理相手を失った両親は、長男に長女か次女のどちらか選ばせようと相談、長男が、長女を選ぶと母親は、長女の髪をきれいに梳いてやり長男の部屋に連れて行くシークエンスとa0212807_10361861.jpg母親が、近親相姦の手引きをするシーンのおぞましさは、オカルトも顔負けのホラーです。
「籠の中の乙女」は、“疑うこと、考えること”が、できない人間の狂気、さらに思考停止した人たちの暮らす社会(家庭・共同体・国家)の危険性をしっかりと見せてくれる秀作映画なので機会あれば、ぜひ勇気をもって見てください。

(左写真 : ギリシャ映画‘新しい奇妙な波’世代監督を代表する ヨルゴス・ランティモス監督)
by blues_rock | 2017-01-12 00:12 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_21312986.jpg先日ご紹介した「ロブスター」を撮ったギリシャの異才(奇才)監督ヨルゴス・ランティモス(1973~)が、2009年に発表した切っ先に毒を塗ったシュールでブラックなコメディ映画「籠の中の乙女」を今夜は、マニヤックな映画が、好きな‘カルト映画ファン’に限定して紹介したいと思います。
‘笑えない’コメディ映画をコメディと呼ぶかどうか分かりませんが、「籠の中の乙女」は、上映時間1時間半の冒頭からギリシャのある裕福で幸せそうな家庭(家族5人)の‘でもどこか何かヘンだよね’という不穏な雰囲気(映像から伝わる空気感)を漂わせながら次第に普通じゃない‘おぞましく異様な家族の姿’を浮かびあがらせていきます。
2009年ギリシャ映画「籠の中の乙女」(原題「Dogtooth 犬歯」)は、映画ポスターの中央にある「健全な家庭に狂気は宿る」そのままに現代の人間社会(いや過去も含めて)を痛烈に批判し嗤い飛ばしています。
a0212807_23404189.pngたとえば、ヒトラーとナチスを選挙で選んだ旧ドイツ市民、言論や思想の自由を弾圧する中国や北朝鮮の不条理かつ理不尽な圧政に奴隷のごとき人民、宗教(教団や組織)に盲従し愚劣な指導者の非科学的な命令に唯々諾々と従い死んでいく信者たち(信仰は、「生者の特権」なのa0212807_2341482.pngに)、さらにアメリカやヨーロッパ諸国の国民に、これから起きるであろう不幸な事件と、この映画を重ね合わせるとアイロニーとブラックな笑い(引き攣った嗤い)に満ちたおぞましいコメディ映画であることが、お分かりいただけると思います。 (参考 : ランティモス監督インタヴュー
a0212807_2147634.jpgデンマークの名匠にして奇才ランス・フォン・トーリア監督の名言「映画は、靴の中の小石でなければならない」を彷彿とさせる映画です。
ヌードやセックスシーンもやたら多い(R18+)のですが、これまた何とも笑えるセックスばかりでエロテックでもなく官能的でもイヤらしくもありません。
a0212807_21521530.jpgどのシーンも固定カメラで撮影しているので見ている者は、ただじっとその光景を眺めているような感覚です。
「籠の中の乙女」は、カンヌ国際映画祭で新進気鋭の監督作品を対象にした‘ある視点’部門でグランプリを受賞しています。
この映画の好さや見どころは、なかなか言葉では説明し切れないところも多く、映画を見ていただくのが、一番ながら粗筋のポインa0212807_11554594.jpgトだけ述べれば、ギリシャの富裕な家庭の一見やさしく愛情溢れる両親と子供三人が、主人公でプールのある邸宅は、高い外壁で囲まれ、家族にそれぞれの名前がなく、お互いを父・母・長女・次女・長男と呼んでいました。(後編に続く)
by blues_rock | 2017-01-11 00:11 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)