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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:映画(シネマの世界)( 858 )

アメリカの才気ある名監督 ウディ・アレン(1935~)の2008年作品「それでも恋するバルセロナ」(原題 Vicky Cristina Barcelona)を私は、長い間、いつものウディ・アレン流ウィットとギャグの効いたロマンティックコメディ
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映画だろうと勝手に決めつけ、そのうち見ようと今まで放っていました。
ある日、ユニークな映画評をする作家 東山彰良(1968~、福岡県小郡市在住、西南学院中学・高校・大学・大a0212807_13433449.jpg学院卒業)著「ありきたりの痛み」にある「それでも恋するバルセロナ」(P88~P89)を読み私の判断ミスをいたく反省すぐに‘お一人さまシアター’で鑑賞しました。
さすが、熟練の「愛のアナリスト(分析家)」であるウディ・アレン監督の作品(監督・脚本)です。
映画は、バルセロナを舞台に一人の男と三人の女の愛(ロマンス)が、軸となり彼らと関わる家族や友人たちも巻き込んでシリアス(辛辣)かつコミカル(軽妙)な人間模様を描いていきます。
スペイン、カタルーニャの古都(州都)バルセロナの風光明媚な景色を背景にして混沌とした愛の四角関係を名撮影監督 ハビエル・アギーレサロベ(1948~)が、美しい映像で撮っています。
アメリカの美人女優 レベッカ・ホール(1982~、2006年映画「プレステージ」で有名になる)と同 スカーレット・ヨハンソン(1984~、出
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演時19歳の2003年作品「真珠の耳飾りの少女」は、天下一品の美しさ)が、まず登場し、すぐにスペインの名優 ハビエル・バルデム(1969~、AC/DCの熱狂的ファンというのが好い、私は2004年鬼才アレハンドロ・アメナーバa0212807_13440963.jpgル監督作品=監督・脚本・製作・音楽の傑作「海を飛ぶ夢」で注目)の登場となります。
そして、しばらくしてスペインの美人女優 ペネロペ・クルス(1974~、この映画でアカデミー賞助演女優賞を受賞)が、現在の夫ハビエル・バルデム演じる画家の元妻役で登場、この時点でペネロペとハビエルは、結婚していないものの二人が、スペイン語と英語を交え辺りかまわず大声a0212807_13441815.jpgで怒鳴りあう元夫婦の痴話ゲンカシーンは、もう最高!(の名演)、この共演をきっかけに二人は、結婚、そしてオシドリ夫婦になるのですから人生おもしろいものです。
映画のストーリーは、前述した東山彰良著の「ありきたりの痛み」にある「それでも恋するバルセロナ」(P88~P89)が、秀逸ですので原文のまま掲載いたします。
a0212807_13442334.png『ロマンチックな街並み、美味しいワイン、哀愁をおびたスパニッシュギター。 ヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)がサマーバケーションに訪れたのは恋をするなというほうが無理な街、そう、バルセロナだ。 ヴィッキーは保守的で、婚約者のいる身。 かたやクリスティーナは芸術=自由=セックスだと思っている芸術家気取り。 そんな彼女たちの前にあらわれたのは、人生など無意味で快楽に溺れることa0212807_13443983.jpgこそ生き甲斐だと言わんばかりの画家、ファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)。 最初はこのニヒルな芸術家に反発していたヴィッキーだが、結局彼になびいてしまうのは、まあ、だれしも予想がつく。 一夜限りの関係を持ってしまったせいで気持ちは千々に乱れ、婚約者との間で揺れに揺れまくる。 そのあいだにも、ファン・アントニオはクリスティーナのこともちゃっかりa0212807_13444250.jpgいてこましてしまう。 そこへこの絵描きの前妻、狂気の化身のようなマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が乱入してくる。 かくて愛の定義をめぐる物語は、ウディ・アレン一流の饒舌なセリフまわしでばく進するのだ。 ウッディのやつが愛について一家言あるのは周知のことだが、彼の映画を観ているとどうにも煙にまかれているように感じてしまうのは俺だけa0212807_14103867.jpgじゃないはずだ。 が、この作品は構図がクッキリしている。 愛に対する立場がハッキリしているのだ。 だからこそ、観るものはどうあがいても感情移入してしまう登場人物を見つけ、なにかと身につまされることだろう。 何度も女性に「あんたはだれも愛せない人間よ」と言われてきた俺としては、愛のことがわかってるつもりのやつは是が否でも観とけと言いたい。 その自意識を針でチクa0212807_14103502.jpgチク刺されること請け合いだ。 もしもそこにウディ・アレンのいじわるな毒を感じとれたらこの東山が保証する、あなたは愛のことがちゃんとわかっている。』
映画の劇中、ファン・アントニオが、刹那の恋(一夜の恋)をためらうヴィッキーに(だったと思う)言う「未完の愛が、ロマンスだ」というセリフを聞き、改めて脚本を書いたウディ・アレン監督は、愛の分析スペシャリストだと思いました。

by blues_rock | 2018-01-13 13:13 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
世界映画界の名匠と呼んで良いポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督(1926~2016、1958年作品「灰とダイヤモンド」、2007年作品「カチンの森」など権力悪に抵抗する人間を描いた秀作多数)が、亡くなる前に撮った遺
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作(脚本・監督)が、2016年作品「残像」です。
主人公のポーランドの現代画家 ブワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893~1952、1934年ポーランド国立美術大a0212807_21251778.jpg学創始者のひとり)は、ナチスドイツ侵略から解放されたポーランドで‘表現の自由’を貫き、ヒトラーに代わるソ連の独裁者スターリンが、支配したポーランド共産党政権に抵抗、言論と表現を統制する当局から反体制のシンボルとして徹底的に睨(にら)まれ弾圧され孤独と極貧の中で死んだ実在の前衛画家で映画は、彼の後半生を描いた伝記映画です。
a0212807_21252563.jpgワイダ監督は、自らもポーランドが、社会主義国家であった共産党政権時代、反体制活動家であったため映画の製作は、常に監視され弾圧されているので、第一次世界大戦で祖国のために戦い、片手片足を失うも不自由な体でシャガールやカンディンスキーなど当時の前衛画家と交流しポーランド現代絵画に多大な貢献をしながら表現a0212807_19594768.jpgの自由を鉄の意思で主張したため名声も尊厳も奪われて失意と孤独の中で死んでいった画家ストゥシェミンスキの人生に強い共感と尊敬の念を抱いていました。
アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」は、過剰な演出が、なく何の衒(てら)いも余分な飾りもないシンプルかつストレートで人生の最期に魂をこめて敬愛する不屈の画家ストゥシェミンスキを描いた秀作映画です。
a0212807_19595087.jpg主人公のブワディスワフ・ストゥシェミンスキを演じる名優ボグスワフ・リンダ(1952~)のリアリティと撮影監督パベル・エデルマン(1958~)の映像が、実に秀逸です。
画家ストゥシェミンスキの娘ニカを演じたブロニスワバ・ザマホフスカ(2002~)ならびにストゥシェミンスキを慕う教え子の女学生ハンナ役のゾフィア・ビフラチュ(1995~)の二人も見事な演技でワイダ監督の演出に応えてa0212807_20002103.jpgいます。
全体主義(ファシズム)、社会主義(共産党の一党独裁)、軍国主義(宗教支配と他民族排他の暴力独裁)のデストピアは、ポピュリズムのなれの果てに誕生することを歴史は、繰り返し教えています、くわばら、くわばら。 (上写真 : ニカを演じたブロニスワバ・ザマホフスカに演技の指示をするワイダ監督)


by blues_rock | 2018-01-11 21:11 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
小津安二郎監督作品を愛し日本にもカウリスマキ・ファンの多いフィンランドの名匠 アキ・カウリスマキ監督(1957~)が、2011年作品「ル・アーヴルの靴みがき」に続く「難民3部作」の第2作として1人4役(=監督・製作・
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脚本・美術)で撮ったのが、現在、KBCシネマ(福岡市天神)にて公開中の新作「希望のかなた」です。
「ル・アーヴルの靴みがき」と同様、アキ・カウリスマキ監督の筋金入りの‘人間哲学’が、貫かれ‘すばらしい!’ a0212807_22184161.jpgの一言です。
カウリスマキ監督の名匠たる所以(ゆえん)は、映画を見る人に ‘これでもか’ と言わんばかりの、冷酷ならびに非人間的なシーンばかりを押しつける映画が、社会主義レアリズムを標榜する映画のような(プロバガンダ傾向映画のごとき)作品となり表現する力が、反って弱くなる(普遍性を喪失しつまらなくなる)ことを先刻ご承知でした。
a0212807_2219367.jpgカウリスマキ監督の演出は、社会の底辺で生きる様々な人たちの温かいやさしさと彼らの何気ない善意をブラックなユーモアや吹き出すようなギャグに塗(まぶ)しながら、この映画を見る人の心が、‘ほんわか’ なるように、そしてそんなヒューマンな彼らの対極にいる暴力的な連中の悪行を辛辣に描いています。
a0212807_22201124.jpg主人公であるシリア難民の青年カーリドを演じたシリア人俳優のシェルワン・ハジ(1985~、ダブリン国際映画祭最優秀男優賞を受賞)のリアリティある演技が、見事でカウリスマキ監督のキャストへの目利きは、相変わらず秀逸です。
劇中でシリア人難民のカーリドと関わるヘンテコなレストランのオーナーとなるヴィクストロムを演じたフィンランドの名優 サカリ・クオスマネン(1956~、a0212807_22284225.jpg2002年映画「過去のない男」)ほか登場する人物は、カウリスマキ映画の常連俳優たちで、ヘルシンキの街で暮らす、どこかヘンながら温かくやさしい心を持つ市井の人びと(庶民)を見事に演じています。
シリア内戦の被災都市アッポレで、家族を反政府軍のミサイルあるいはシリア政府軍かEU空軍の空爆で殺されたカーリドは、生き残った妹と二人、a0212807_2229349.jpg難民となり戦火を逃れシリア国境を越えるもハンガリーで妹と生き別れてしまいました。
内戦ですべてを失い、ただ一人の家族となった妹を捜しながら、難民を排斥する東欧諸国を転々としてカーリドが、追放され偶然逃げ込んだ貨物船は、石炭を積んだフィンランドのヘルシンキ港に向かう船でした。
a0212807_2230015.jpg積荷の石炭の中に匿(かく)ってくれた船員から「フィンランドは、善い人たちが、暮らす良い国だから」と聞かされていたカーリドでしたが、他のEU諸国と同様、フィンランド政府もまた木で鼻をくくるような態度で、あっさりとカーリドの難民申請を却下しシリアへ強制送還する措置を彼に宣告しました。
a0212807_22315122.jpgここから、カウリスマキ監督滋味の人間劇が、テンポ良く展開して行きます。
難民収容施設からの脱出を手伝うスタッフ女性、難民仲間のイラク人青年、街をさまようカーリドに手を差し伸べるレストラン主のヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)ほかやる気を感じない無愛想なレストランの従業員などのやさしさ、と同時に難民を排斥し暴力をふるう街のチンピラや難民の命を狙うネオナチらのいるヘルシンキで懸命に妹を捜すカーリドa0212807_22341272.jpgにイラク人青年からエストニアの難民センターに妹が、いるとの知らせを受けました。
映画の要所に流れるストリート・ミュージシャンの演奏するブルースが、効果的で私は、個人的になぜかレストランの壁に掛けられているジミ・ヘンドリックスの写真が、印象に残りました。
a0212807_2236322.jpg難民のカーリドに人に与えるお金などないのに彼が、ストリート・ミュージシャンや物乞いの女性に小銭をあげるシーンが、何度も登場します。
ここにもカウリスマキ流の人間哲学「自分にできることの実践」が、顕われています。
敢えて私の感想を述べれば、もう一人の主人公ヴィクストロムが、ポーカー賭博で大勝するシークエンスとヘンチクリンなスシ店にa0212807_10555254.jpgレストランを改装して当然失敗するシークエンスは、たいへん面白いのですが、カウリスマキ監督のサーヴィス精神過剰のように感じました。
映画のラストで妹に再会したカーリドが、ヴィクストロムから提供された隠れ部屋の前でネオナチに刺され重傷なのに、朝早く妹を難民申請センターに連れて行き別れるシーンと朝日の中で横たわりヘルシンキの海を見ながa0212807_2239816.jpgらタバコを吸うシーン ‥ そこにレストランで飼っていた犬のコイスティネン(カウリスマキ監督の愛犬だとか)が、彼を捜していたように駆け寄ってきて顔を舐めまわすシーンで映画は、終わります。
シリア難民の青年カーリドの「希望のかなた」を象徴するかのような実に上手いカウリスマキ監督脚色(監督の哲学表現)のエンディングで印象に残りました。
by blues_rock | 2018-01-09 01:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
映画も好きだけれど絵が、好きな私は、画家をモデル(プロット)にした映画が、公開されるといつもは、監督、脚本が、俳優は、とこだわるクセに画家を描いた映画となると委細構わずつい見てしまいます。
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子供の時から絵を見るのが、好きで‘絵描き’になることを夢想し成長するにつれわが才能のなさに気づき、やがて好きな画家の、好きな絵を見るだけになり、画家の映画を見ては、幼いころの叶わなかった夢に浸っている
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のかも知れません。
さて、今夜は、印象派の画家マネについての映画ですが、主人公は、印象派の画家マネのモデルでミューズでa0212807_0181440.jpgあった画家ベルト・モリゾ(1841~1895 マネの弟ウジェーヌと結婚)です。
モリゾもまた印象派の画家ですが、タイトルのとおり映画は、マネの創作にインスピレーションを与えたモデル‘画家モリゾ’の目を通して画家マネが、描かれています。
「画家とモデル」の関係は、必ず官能に導かれた性の琴線に触れ(つまり美の源泉に到り)、やがて両者が、行き着くのは、‘男と女’の性的関係です。
a0212807_0192392.jpgしかし、マネは、自分のミューズ(美の女神)であったモリゾを愛するも彼女と性的関係を結びませんでした。
マネは、若く美しいモデルのモリゾが、自分を愛していることに気付いていたものの当時ヨーロッパに蔓延し不治の病であった梅毒にマネは、感染していましたので愛するモリゾと一線を越えることなくモリゾも自分に恋するマネのa0212807_0201652.jpg実直な弟ウジェーヌの妻になりました。
当時、ヨーロッパの芸術家たち(文学者・音楽家・画家など)の多くが、梅毒に感染ており、たとえば、ボードレール46歳没、モーパッサン43歳没、フローベール59歳没、ハイネ58歳没、ドーデ57歳没、ドストエフスキー60歳没、ニーチェ56歳没、ゴーギャン54歳没、マネ51歳没、シューマン46歳没、スメタナa0212807_0205763.jpg60歳没、ロートレック36歳没など自由な生活で、その天賦の才能を開花させたものの皆な早死にしています。
閑話休題、映画「画家モリゾ マネの描いた美女」は、2010年の名作「神々と男たち」、2012年秀作「ハンナ・アーレント」などの撮影監督を務めたカロリーヌ・シャンプティエ(1954~)が、撮影と演出併せ長編映画を初監督した作a0212807_021446.jpg品です。
映画のストーリーは、パリ16区の裕福な家庭の令嬢であったベルト・モリゾ(マリーヌ・デルテルメ)と姉のエドマ(アリス・ビュト)は、結婚に目もくれず絵を描くことに没頭していました。
1865年、ベルトと姉のエルマは、ルーヴル美術館で模写をしているとき、ワイセツな絵としてサロンを騒がせていた「オランピア」の作者a0212807_0223459.jpgマネ(マリック・ジディ)と出遭い、数日経ったある日、マネからベルトに絵のモデルになって欲しいという依頼の手紙が、届きました。
画家としてのベルトは、アトリエで制作する旧態依然な絵に閉塞感を覚えていましたので、その頃台頭しつつあった‘光あふれる戸外で色彩豊かな自然を感じたままに描く’というマネたち印象派グループの絵画運動に共感、マネのアトリエでモa0212807_025096.pngデルになりながら先輩画家のマネから絵の指導を受けるようになりました。
拙ブログのシネマの世界では、先日からゴッホ、ルノワール、セザンヌ、そしてマネと同じ時代の空気を吸いながら生涯を新しい絵画の制作に捧げた画家たちを主人公にした映画をご紹介、年明け早々にゴーギャンの映画が、公開されますのでシネマの世界で取り上げたいと思います。
by blues_rock | 2018-01-05 00:05 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
新春、元日の今日は、アカデミー賞主演男優賞の名優 ロバート・デ・ニーロ(1943~、出演時41歳)と同主演女優賞の名女優 メリル・ストリープ(1949~、出演時33歳)が、偶然出遭った大人の(中年男女の)抑え切れない‘恋心’を切なく演じる1984年の名作「恋に落ちて」(Falling in Love)は、監督 ウール・グロスバード(1929~)、a0212807_126448.jpg脚本 マイケル・クリストファー(1945~)、撮影監督 ピーター・サシツキー(1941~)とのクインテットで奏でる極上のアンサンブル映画です。
ニューヨーク郊外に住むフランク(ロバート・デ・ニーロ)とモリー(メリル・ストリープ)は、クリスマスの日、家族へのプレゼントをマンハッタンの書店でショッピング、贈り物を抱えて帰る途中、混雑する店内で身体が、ぶつかりプレゼントを床にまき散らしてしまいました。
お互い笑いながら拾い自分のヘマを詫びて別れました。
家に帰り家族にプレゼントした本が、二人とも自分の買ったものと違い、相手のものあることに気づいたものの名前は、おろかどこに住むのかも分かりませんでした。
それから数日後、フランクとモリーは、偶然通勤電車の中で再会しました。
a0212807_133448.jpg家族(愛する妻と子供二人)と幸せに暮らすフランク、建築士の夫と二人静かに暮らすモリーは、車内での何気ない会話に、お互い相手を意識するようになりました。
これから行き帰りは、いつも同じ電車に乗ろうとフランクが、モリーに提案し彼女も躊躇いながらも承知しました。
いつしか二人は、電車の中で会い話すうちに少しずつ胸の中で相手へのときめき(Falling in Love)を感じるようa0212807_134238.jpgになりました。
それから二人は、配偶者に内緒でデートを重ねるようになりました。
フランクとモリーの恋は、二人とも相手への気持ちを抑えながらの精神的なものでしたが、次第に感情を抑えきれなくなっていきました。
それでも二人は、一線を越えることが、できませんでした。
フランクの様子が、変なことに気付いた妻は、夫に問い質します。
a0212807_1344610.jpg「モリーという好きな女性が、いる。 だが精神的なものだ。 彼女とは、何もない。」と答えるフランクに妻は、「それの方が、なお悪い。」と怒り、子供を連れて出て行きました。
一方、モリーの夫が、彼女の恋を責めることは、ありませんでした。
ヒューストンに転勤することになったフランクが、モリーに別れの電話をかけて来たのに自分に伝えず無言で切ったことを知ったモリーは、夫の制止を振り切って土砂降りの雨の中車で、空港に向かいますが、途中電車a0212807_1352339.jpgの遮断機にさえぎられ間に合いませんでした。
そして、フランクもモリーも離婚、二人が、別れて一年経ったクリスマスの日、運命に導かれるように二人は、偶然立ち寄ったマンハッタンの書店で再会しました。
笑顔で挨拶する二人 ‥ 「やあ久しぶり、元気?」とフランク、「あなたは?」とモリー、そして、二人は、「じゃ、ここで」と言って書店の前で別れ、ニューヨークの雑踏の中に消えていきました。ここからは、あくまで私の独断ながら、不毛な恋ばかりしてきた我が人生a0212807_1355515.jpgにおいて私が、至った結論は、「恋は自己中心で非常識」ということでした。
二律相反(矛盾)するかもしれませんが、私の中に「人生に価値あるものが、あるならば、それは、感動する心である。 ならば、恋こそ人生最高の感動ではないか!」ともう一人の私は、確信をもって喝破しています。
ともとあれ、小椋佳詩曲の「恋、してしまうもの」を聴き恋する者の心が、伝わる方ならば、きっと人生を無駄に過ごして来られなかった方と私は、推察いたします。
by blues_rock | 2018-01-01 01:11 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)
a0212807_20252459.jpgフランス近代画家の映画を続けますが、良い映画なのでお付き合いくださると光栄です。
今年(2017年)公開されたフランス映画「セザンヌと過ごした時間」のセザンヌは、いまでこそ‘近代絵画の父’と称賛されるポール・セザンヌ(1839~1906)その人ですが、画家としての人生は、不遇で銀行家の父親と中学校以来の親友であったフランスの文豪エミール・ゾラ(1840~1902)からの支援を受けて画家として生活していました。
「セザンヌと過ごした時間」は、タイトルから分かるとおりゾラの視点からセザンヌと過ごした人生の時間が、描かれています。
セザンヌは、フランス‘印象派’の画家たち、エドゥアール・マネ(1832~1883)、クロード・モネ(1840~1926)、a0212807_2027022.jpgオーギュスト・ルノワール(1941-1919)などと一緒に(反芸術アカデミー=サロン落選展グループの)‘印象派’運動を推進しますが、サロン展への出品を認めない反サロンのエドガー・ドガ(1834~1917)たちと対立、それ以降印象派展への出品を止めパリを去り故郷のエクス=アン=プロヴァンスに隠遁、そして生涯をそこで過ごしました。
a0212807_20302877.jpgちなみにセザンヌは、ゴッホに繋がる「ガッシュ博士」や「ダンギー爺さん」と親しかったようで劇中に画材店主だったダンギー爺さん(こと ジュリアン・フランソワ・タンギー 1825~1894)が、登場します。
パリ・コミューンにも参加した画材店主兼画商のダンギー爺さんは、当時すでに少しずつ売れ始めていた印象派の画家たちとまたa0212807_2031115.jpg違った強烈な個性(オリジナリティ=芸術の本質)をもつセザンヌやゴッホ、ゴーギャンなど売れない貧しい画家たち(とくに後年「後期印象派」と呼ばれた画家たち)の絵を買い上げ(というより画材提供の代わり絵を引き取っていた)経済的に彼らの制作と生活を支援していました。
a0212807_20314820.jpgゴッホやゴーギャンは、ダンギー爺さんの店でセザンヌが、置いて行った作品を見て絵の(とくに構図の)勉強していたとの言い伝えも残っています。
当時ほとんど絵の売れなかった極貧の画家たちの作品をどんどん購入したダンギー爺さんの目利きぶりは、現在彼らの絵が、1枚100億円単位で売り買い(オークションされている)ことをa0212807_20322892.jpg考えるとジャンケン後出しのコレクター(投資家)の多さに呆れ果てます。
ダンギー爺さんのような役割こそ真の美術コレクター(数寄者=資産家)なのですが、金あまりの現代においてもお目にかかれず残念至極 ‥ 貧乏人の歯軋りながら今は貧しくとも才能のある若き芸術家の作品を目利きし彼らのパトロンになることこそ美術コレクター究極の喜悦(よろこび)だろうと思います。
a0212807_2032588.jpgこの「セザンヌと過ごした時間」は、モナコ出身のダニエル・トンプソン監督(1942~)の演出とフランスの名撮影監督ジャン=マリー・ドルージュ(1959~、1999年「クリクリのいた夏」、2000年「フェリックスとローラ」、2007年「画家と庭師とカンパーニュ」など多数)のカメラが、コラボレーションした見事な映画で、当時のエクス=アン=プロヴァンスにタイムスリップしたような美しい映像は、映画を見る私たちもそこにいるような感動を与えてくれます。
a0212807_20332396.jpgエミール・ゾラ役が、ギョーム・カネ(1973~)、ポール・セザンヌ役は、ギョーム・ガリエンヌ(1972~)と二人のギョームが、演じる友情と対立の物語は、当時のフランスの歴史(フランス近代史=日本の幕末から明治中期)的背景を知る良い機会と思います。
by blues_rock | 2017-12-30 00:03 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
a0212807_2165131.jpg言わずと知れたフランスの画家オーギュスト・ルノワール(1841~1919)が、最晩年(1915年)に過ごしたプロヴァンス地方カーニュ=シュル=メールでの制作の様子を描いた映画です。
脚本と監督のジル・ブルドス(1963~)は、リューマチの悪化により、動かなくなった手に絵筆をしばり付けて最晩年の有名な絵「水浴びする女たち」などを描く画家ルノワールの日々をリアルに表現しています。
台湾の名撮影監督 李屏賓(リー・ピンビン 1954~)のカメラが、すばらしくリューマチによる満身創痍の体を奮い立たせて制作(美の創造)に執着する最晩年の画家ルノワールの姿をルノワール・カラーの美しい映像で撮っています。
a0212807_2203832.jpg映画には、登場しませんが、カーニュ=シュル=メールのルノワールのアトリエ(別荘)には、若き日のマチスやピカソ、ボナールなどベル・エポック時代のパリで活躍する絵描きたちが、集っていました。
余談ながら私の好きなルノワールの絵は、スイス、ウィンタートゥールのオスカーワインハルト美術館にある「眠る裸婦」ですが、門外不出なので日本では、見ること叶わずスイスのウィンタートゥールに行かなければ、見ることができません。
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映画は、病気のルノワール夫人が、亡くなる前に夫オーギュスト・ルノワール(ミシェル・ブーケ 1926~)のためにモデルの依頼をしていた美しい女性デデ(クリスタ・テレ 1991~)が、現われるところから始まります。
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ルノワール本人も彼の世話をする家政婦のガブリエル(ロマーヌ・ボーランジェ 1973~)の誰も知りませんでしたが、ルノワールは、デデの奔放な若さと美しさに惹かれ創作意欲を駆り立てられました。
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戦争に出征していた次男のジャン(ヴァンサン・ロティエ 1986~、2015年秀作映画「ディーパンの闘い」に出演)が、負傷し療養のために帰郷、リューマチで手足の不自由な父ルノワールの制作助手をするようになりジャンも
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またデデの美しさに惹かれ、二人は、愛し合うようになりました。
この映画に登場する次男のジャンは、後に有名な映画監督となるジャン・ルノワール(1894~1979)で、ルノワー
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ルのモデルとなったデデが、ジャンと結婚しジャン・ルノワール監督作品の主演女優を務めたカトリーヌ・エスラン(1900~1979)です。
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傷の癒えたジャンが、戦友を戦地に残して来た後ろめたさから空軍に志願し再度戦地に赴く決意をするとデデは、ジャンが、自分と映画を撮る約束したのに裏切られたと思い、ルノワールのモデルを辞めて出て行ってしまa0212807_2314618.jpgいました。
父ルノワールには、デデが、必要と考えたジャンは、彼女を説得、再びモデルとして呼び戻すと父ルノワールとデデをカーニュ=シュル=メールに残し戦地に赴き映画は、終わります。

(右絵 : ガブリエルとジャン)
by blues_rock | 2017-12-26 00:06 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
スペインの俳優にして脚本家ラウール・アレバロ(1979~)の初監督作品「静かなる復讐」(2013年スペイン映画原題「Tarde para la ira」 激怒するには遅すぎる)は、2014年のスペイン映画「マジカル・ガール」と同じタイプの
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ダークでノワールなサスペンス・スリラー映画です。 (下写真 : 撮影中のラウール・アレバロ監督)
「静かなる復讐」は、スペイン映画賞(ゴヤ賞)において、作品賞・脚本賞・助演男優賞・新人監督賞を受賞してa0212807_15441019.jpgいます。
映画で主人公のホセを演じた名優アントニオ・デ・ラ・トーレ(1968~、2013年秀作映画「カニバル」の演技もすばらしい)の怨念を心に秘め寡黙にして顔の表情ひとつ変えずに復讐していく演技は、見事でゴヤ賞の主演男優賞を受賞していないのが、不思議なくらいです。
a0212807_15525257.jpgストーリーは、章立てで展開、ホセの妊娠中の妻が、宝石店にいる時、眼出し帽をかぶった数人組の強盗と遭遇し犯人の一人が、理不尽に彼女を射殺しました。
主犯格の男は、捕ったものの共犯者が、逃亡し妻を射殺した犯人は、分からないままでした。
a0212807_155573.jpg愛する妻を失ったホセは、その日から犯人に復讐を誓うと同時に絶望感に苦悩する歳月を過ごしていました。
ある日、とある町の小さなバーを寡黙なホセが、訪ねそれ以来、ホセは、時おりそのバーに行き、バーを切り盛りする女性アナ(ルス・ディアス 1975~)を静かに見つめていました。
a0212807_160978.jpgアナもそれに気付き無視していましたが、寡黙なホセに興味をもち二人は、次第に親しくなり関係を持ちました。
やがて、アナの夫が、刑務所から出所するとホセは、バーでアナの夫に近付きました。
アレバロ監督は、ホセの怨念(復讐心)を渋いリベンジ・スリラーとして描きロード・ムービー風な筋立てで見ている者を惹き込んでいきます
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ホセを演じるアントニオ・デ・ラ・トーレの感情を押し殺しながら次第に怒りが、こみあげ爆発しそうになる目の表情(被害者遺族の物言わぬ‘怒り’の演技)は、リアリティ抜群です。
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アントニオ・デ・ラ・トーレは、無表情なホセの感情をすべて“目”で表現、スペインを代表する名優の真骨頂を見せています。
by blues_rock | 2017-12-24 00:04 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
ハリウッド(ワーナー・ブラザース)製作の新作韓国映画「密偵」(原題「The Age of Shadows」)を見てから2か月ばかり‥映画の見どころをどこに力点を置いて書こうか ‥ 日本と韓国の哀しい歴史か、日本警察と韓国独立組
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織義烈団とのスパイ・サスペンスかと迷っているうちに月日が、過ぎてしまいました。
「密偵(スパイ)」は、この夏見た「お嬢さん」と同じ旧帝国主義軍事国家の日本が、1910年朝鮮半島を領有(日a0212807_7405153.jpg韓併合=植民地)し、朝鮮総督府の統治のもと1945年の日本敗戦までの35年間、朝鮮半島を支配していた時代の歴史映画です。
現在も従軍慰安婦問題が、韓国と日本の外交問題として根深く刺さった瑕疵(トゲ)として残るのは、正しくこの時代の出来事です。
韓国では、今でも韓国併合の元凶(チンイルパ=国族、売国奴)として李完用(りかんよう 1856~1926、チンイa0212807_744178.jpgルパの代名詞、大韓帝国最後の内閣総理大臣)のほか親日反民族行為者として李氏朝鮮王族、閣僚、国会議員、朝鮮総督府官吏、日本軍将兵など1、000人余りの韓国人が、チンイルパ(国族、売国奴)として怨念と憎悪の対象になっています。
ともあれ、終戦時10歳だった方たちもいまや82歳、まして戦後(1945年)生まれの人も72歳、軍人や徴兵兵としてあの忌まわしい戦a0212807_7444849.jpg争に駆り出された人たちもほとんどが、鬼籍に入り従軍慰安婦問題も韓国と日本の‘戦争を知らない世代’間の不幸な対立(マスコミが煽るので余計深い溝)となっています。
誰が、誰に謝罪するのか ‥ この歴史の瑕疵を乗り越えなければ、永遠に両国間の友誼は、得られません。
a0212807_7453562.jpg対立と紛争に与するのは、戦争を煽る連中に加担することで好都合、良識ある韓国と日本の国民が、望んでいる未来の国の姿とは、思えません。
さて、前置きは、これくらいにして映画の紹介をしますと監督が、韓国映画を代表する巨匠キム・ジウン監督(1964~ 2010年「悪魔を見た」)、製作スタッフも撮影監督キム・ジヨンほか精鋭揃い(公式サイト こちら)です。a0212807_749912.jpg
主演は、朝鮮総督府の日本警察イ警部を名優ソン・ガンホ(1967~、1999年「シュリ」、2000年「JSA」、2002年「復讐者に憐れみを」、2009年「渇き」など韓国を代表する名監督作品に出演)、イ警部と対立するも心を通わせていく義烈団リーダーのキムにコン・ユ(1979 2013年「サスペクト 哀しき容疑者」)、そして二人に関わるのが、義烈団メンバーの女をハン・ジミン(1982~)、
a0212807_7501737.jpg義烈団を徹底して取り締まる日本警察の警務局部長ヒガシに鶴見辰吾(1964~)、ヒガシの部下で同僚のイ警部を密通者として疑うハシモト警部をオム・テグ(1983~)、義烈団の団長チョンに名優イ・ビョンホン(1970~)と見応えがあります。
ジウン監督は、大日本帝国の大韓帝国併合から10年経った1920年の京城(現ソウル)を舞台に大韓民族独立の地下組織義烈団とa0212807_7505919.jpg日本警察との熾烈なエスピオナージ(諜報活動)攻防を描き、日本警察イ警部(ソン・ガンホ)の祖国の支配に協力しなければならない哀しみと辛さそして怒りを義烈団リーダーのキム(コン・ユ)に向けていく様は、胸を打ちジウン監督が、演出するアクションは、スタイリッシュで美しくジヨン撮影監督のカメラワークが、秀逸です。
a0212807_7581536.jpg義烈団と日本警察の諜報活動が、活発になる中、義烈団は、日本の主要施設を破壊するための爆弾を上海から京城(現ソウル)へ向かう汽車に積み込みました。
それを察知した日本警察、内部情報が、漏れていることに気づいた義烈団も日本警察のイ警部へ接触するようになりました。
a0212807_7515255.jpg密偵(スパイ)は、一体誰なのか、互いの組織が、疑心暗鬼となり裏切り者を捜しながら大量の爆弾を積んだ汽車が、中国の国境を越えて京城へ向かっていました。
by blues_rock | 2017-12-20 07:30 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
映画としての質(脚本・演出・キャスト・映像ほか)と云い、心を和ませてくる娯楽性と云い、今年公開の秀作映画「Gifted(ギフティッド)」と比較して映画の質(脚本・演出・キャスト・映像ほか)では、互角の2013年の秀作映画
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「ショート・ターム 12」(大野城マイカルで朝一回上演)が、表現するプロット(主題)は、‘わが子への親の虐待’と「Gifted(ギフティッド)」の真逆の映画ながら虐待の被害者である子供の心の闇に鋭く迫る脚本を書き監督したa0212807_1352379.jpgデスティン・ダニエル・クレットン(1978~、「ショート・ターム 12」は2作目の長編映画)の演出が、秀逸で感動的です。
タイトルの「ショート・ターム12」とは、親から虐待された思春期(ティーンエイジャー)の子供たちを救済するためにある短期保護施設(ショート・ターム)の名前です。
a0212807_136227.jpg主人公は、グループホーム「ショート・ターム12」の若き女性ケアマネージャーのグレイス(ブリー・ラーソン 1989~、2015年映画「ルーム」でアカデミー賞主演女優賞受賞)を中心に、同僚でグレイスの恋人(パートナー)のメイソン(ジョン・ギャラガー・Jr. 1984~)、新人スタッフのネイト(ラミ・マレック 1981~)、そして、父親のa0212807_138185.jpg暴力による虐待を誰にも言わず、グレイスや他のスタッフの声かけも無視し自傷する少女ジェイデン(ケイトリン・ディーヴァー 1996~)、親からネグレクトされた自閉症の少年サミー(アレックス・キャロウェイ)、母親からの酷い虐待で心に深い傷を負い18歳というショート・ターム保護期限を前にして情緒不安定となり自殺しようとするマーカス(ラキース・スタンフィールド a0212807_1395038.jpg1991~)などほとんどの子供たちが、演技経験の浅いあるいは未経験のオーディションによる素人ながら本当に深い心の傷を抱えた少年少女のようなリアリティを漂わせそれぞれの役柄を見事に演じています。
ドキュメンタリーを撮るようなクレットン監督の非情緒的な演出を良く理解した撮影監督ブレット・ポーラックは、a0212807_143208.jpg手持ちカメラを一人ひとりに密着させ、親からネグレクトされ(虐待され)誰にも打ち明けずに、じっと自分の中に閉じ込めている心の闇の表情をカメラが、ビッグ・クローズアップでスクリーンに映し出し見ている者に彼らの絶望を教えていきます。
ケアマネージャーのグレイスを演じるブリー・ラーソンのリアリティが、実にすばらしく、少年少女たち一人ひとりの問題と真正面からa0212807_144859.jpg向き合うグレイスながら恋人のメイソンにも打ち明けられないで苦悩する深い心の傷(少女の頃に父親から受けた性的虐待と妊娠中絶の過去)を抱えていました。
自傷癖のある少女ジェイデンは、自分を決して見捨てないグレイスにだけ次第に心を開いていきます。
ジェイデンは、ある日グレイスに自分の作った絵本「タコのニーナ」の物語を読んで聞かせました。
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いつも一人ぼっちのタコの少女ニーナは、サメの青年と仲良くなり一緒に遊ぶようになりました。
穴から出て広い海(外の世界)を知りニーナは、とても幸せでした。
a0212807_1461616.jpg腹を空かせたサメの青年は、ある日タコの少女ニーナに「足が、8本あるのだから1本食べさせて欲しい。 友だちだろう?」と頼みました。
やさしいニーナは、「まだ7本あるから1本くらいいいな」とサメに与えました。
サメは、腹が、減るとニーナに残りの足を求めました。
8本あったタコのニーナの足も最後の1本になりましたが、サメの青年は、その1本も欲しがりました。
a0212807_1485046.jpgその「タコのニーナ」の物語を聞いていたグレイスは、ジェイデンが、父親から暴力による酷い虐待を受けていると確信しました。
グレイスは、所長へ「ジェイデンは、幼いころより父親の暴力による酷い虐待を受けており、父親に対し強い恐怖心を持ち、本当のことが、言えないのだ。」と報告しジェイデンと父親を引き離a0212807_1502419.jpgすべきだと提言しました。
しかし、ジェイデンの心理療法士(セラピスト)や児童福祉事務所の社会福祉士は、本人が、父親から虐待はないと証言する以上虐待を受けていると認めることはできないとしてグレイス不在の時にジェイデンを迎えに来た父親と共に彼女を自宅へ帰しました。
a0212807_1511066.jpgグレイスは、長年封印していた怒りが、爆発しました。
ここから映画は、佳境(クライマックス)に入り、ジェイデンの決断(虐待被害の告発)にシンクロするグレイス自身の少女期に父親から受けた性的虐待被害とその告発の記憶(父親は刑期10年服役)の苦悩、18歳となって施設を出た青年マーカスの社会生活、グレイスもまた自分の封印していた過去を恋人(パートナー)メイソンに洗いざらい打ち明けてお腹の中にいる子供
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の母となる決断をします。
映画は、それぞれ登場人物の身を切るような切なさの後に訪れる感動を描いてエンディングを迎えます。
by blues_rock | 2017-12-18 01:18 | 映画(シネマの世界) | Comments(2)