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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:ビートルズ(Beatles)( 42 )

ファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の4ヵ月後にレコーディングされ1963年11月にリリースされたのが、セカンド・アルバム「ウイズ・ザ・ビートルズ」です。
「プリーズ・プリーズ・ミー」と同じ収録構成で、8曲をビートルズのオリジナル曲、6曲をモータウンのR&Bカヴァー曲、計14曲が収録されています。
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アルバムのヒット・チャート第1位を30週続けていたビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」に代わり、31週目に第1位になったのが、ビートルズのセカンド・アルバム「ウイズ・ザ・ビートルズ」でした。
「ウイズ・ザ・ビートルズ」もレノン=マッカートニーの曲をメインに収録した構成ながら、ビートルズでのジョージ・ハリスンの存在が、次第に大きくなり、彼自作の1曲と併せ、リード・ヴォーカルで4曲を歌っています。
当時、ビートルズの勢いと人気はすざましく、シングル・ヒットチャートの第1位から第5位までビートルズの曲が占めていました。
by blues_rock | 2012-08-19 00:54 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
1962年10月にレコード・デビューしたビートルズのファースト・LPアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」(1963年3月リリース)です。
このアルバムに収録されたのは、すでにシングル盤でレコード発売されていた4曲に、新たに10曲を加えた全14曲でした。
ビートルズは、新しく10曲をレコーディングするため、アビイ・ロードのEMIスタジオ内でライブを行ないました。
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レコーディングは“一発録り”で、収録に要した時間は10時間だったそうです。
14曲のうち8曲が、レノン=マッカートニーのオリジナル曲で、他の6曲は、モータウンのR&Bとロックンロールのカヴァーでした。
ファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」は、メロディ・メーカー誌のチャート・ランキング第1位を30週間独占、31週目にトップの座を奪ったのは、ビートルズのセカンド・アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」でした。
by blues_rock | 2012-08-09 00:43 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ビートルズは、ロックンロールの本家本元アメリカでも熱狂的に受け入れられました。
アメリカのマスコミは、ティーンエイジャーに吹き荒れるビートルズ旋風を‘イギリスの侵略’と騒ぎ立てました。
a0212807_2155899.jpg1964年ワシントンDCのコンサート会場ワシントン・コロシアムのステージは、四方から観客が中央のビートルズを囲むようにセットされました。
ビートルズの4人は、四方の観客(ファン)のために、自分たちでステージのドラム・セットやマイク・スピーカーの位置を動かし演奏する方向を変えました。
このファンサービス精神は、ロックンロール・バンドとして長い下積み時代があったからだろうと思います。
このコンサートでは、リンゴのテンションが高く、気合いの入ったドラミングを見せています。
ポールのMCもいつになく多く ステージの上でジョンが、ジョージに何か冗談を言いはしゃいでいました。
ワシントン・コロシアムを大きなライブ・ハウスにして自分たちもステージを楽しんでいるのが分かります。
a0212807_2254265.jpgビートルズの音楽が進化し前衛的な音作りと相俟ってビートルズの音楽はもうライブでは再現できなくなりました。
1966年8月サンフランシスコでの野外コンサートを最後にビートルズは、ロックンロール・バンドから録音スタジオにこもり新しいロック音楽を創造するグループ「ビートルズ」として活動を始めました。
1967年ビートルズのマネージャー(束ね役)であったブライアン・エプスタインが、プールで突然事故死(溺死)すると4人のビートルズへの気持ちが次第にバラバラになり、毎年1枚のアルバムを発表するのが精一杯となりました。
a0212807_12591318.pngそして1970年のアルバム「Let it be」の発表を最後に解散しました。
ビートルズは、8年間に12枚のアルバムを発表しましたが、どのアルバムも傑作で、発表当時は言うに及ばず1970年グループ解散以降も世界中さまざまなジャンルのミュージシャンに影響を与えました。
ビートルズが解散して42年が経った今もなおビートルズは、健在です。
by blues_rock | 2012-07-29 01:07 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ミック・ジャガーとデヴィット・ボウイが、カヴァーしたマーサ&ザ・ヴァンデラスのヒット曲「ダンシング・イン・ザ・ストリート」と併せローリング・ストーンズ50周年のワールドツアーの話題を紹介しました。
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ビートルズは、1962年のメジャー・デビューなので50周年ですが、1960年には「ビートルズ」としてリバプールのキャバーン・クラブで活躍していましたので結成52周年になります。(上写真 : 1958年頃のジョンとポール)
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ジョン・レノン(1940~1980享年40才)・ポール・マッカトニー((1942~70才)・ジョージ・ハリスン(1943~2001享年58才)・リンゴー・スター(1940~72才)の4人が、もし今も元気だったらメジャー・デビュー50周年のセッションくらいしたかもしれませんね。 (上写真 : 1959年頃当時まだバンド名はシルバー・ビートルズ)
a0212807_0293253.jpgデビューしたころのビートルズは、アメリカのロックンロール、リズム&ブルースの名曲を数多くカヴァー、シングル・ヒットさせアルバムにも収録しています。
プリーズ・ミスター・ポストマン」もその一曲で、大ヒットしました。
1963年のテレビ映像なので収録ではコードレスでクチパクながらデビュー当時のロックンロールバンド「ビートルズ」を窺(うかが)い知ることができる貴重な映像です。
オリジナルは、1961年モータウンの「ザ・マーヴェレッツ」が、歌いヒットしたR&B「プリーズ・ミスター・ポストマン」です。
(付録) ザ・サタデイズというセクシーでセレブな美女5人グループによる「プリーズ・ミスター・ポストマン」のパフォーマンス‥歌もうまく色っぽくて目眩(めまい)がします。
それに比べ、日本では幼稚園のお遊戯会か、せいぜい小学校の学芸会程度の歌と踊りに、大の大人が子供と一緒になって騒ぐなんざ、ロリコン趣味もいいところ、彼らのお頭(つむ)の中も自ずと分かるというものです。
by blues_rock | 2012-07-28 23:30 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
日本経済新聞の夕刊(5月23日)記事に、ビートルズ最後のLPアルバム「アビイ・ロード」のジャケット用に撮影された写真のうちの1枚(下の写真)が、オークションにかけられ高値落札されたとありました。
1969年9月26日に発売されたLPアルバム「アビイ・ロード(Abbey Road)」は、音楽チャート雑誌「キャッシュボックス」で14週間連続第1位を記録しました。
「アビイ・ロード」は、A面6曲・B面11曲・計17曲と当時のアルバムとしては、楽曲が多く、A面に「カム・トゥゲザー」・「サムシング」など、B面には「ヒア・カム・ザ・サン」・「ビコーズ」などの名曲が、収録されています。
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今ではスタンダードになっている名曲も多く、当時の「キャッシュボックス」誌の14週間連続第1位も頷けます。
「アビイ・ロード」のジャケットもなかなかシャレていて、有名なレコード・ジャケットの1枚です。
プランでは、アルバム制作スタッフが、吸っていたタバコ「エベレスト」にヒントを得て、アルバム名を「エベレスト」にし、ジャケット写真はネパールのエベレスト山(チョモランマ)で撮影するという予定だったようです。
しかし、ポールが「そんな遠くまで行かないで、ちょっと表に出て外で写真を撮り、アルバム名も通りのアビイ・ロードでいこう。」と提案、スタジオ前にあるアビイ・ロード通りの横断歩道を30分間6往復して写真撮影しました。
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その中から1枚を選び「アビイ・ロード」のアルバム・ジャケットにしました。
ジャケット裏の写真も、外壁の「BEATLES ABBEY ROAD 」をカメラマンが撮影していたら、青いワンピースの女性が、カメラの前を横切りました。
この写真を見たジョンが、気に入りジャケット裏の写真として採用されました。
ビートルズの最後のアルバムは、1970年発売の「レット・イット・ビー」と思っている人が、ほとんどです。
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ビートルズを愛するポールは、1968年「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム2枚組)」制作でバラバラになったビートルズをもう一度まとめようと年が明けた1969年、他の3人に声をかけアルバム「ゲット・バック」のセッションと記録映画の撮影を行ないました。
この「ゲット・バック」セッション収録の後、新しいアルバム「アビイ・ロード」の制作に入り、「アビイ・ロード」は1969年9月に発表されました。
収録された「ゲット・バック」のマスター・テープ(原音)は、ジョンによりアメリカの音楽プロデューサー、フィル・スペクターに制作依頼されました。
a0212807_22382325.jpg1970年になり「ゲット・バック」セッションは、アルバム名を「レット・イット・ビー」に変え、同時に「ゲット・バック」セッションを記録した映画は、「レット・イット・ビー」として発表されました。
ポールは、自らリーダーシップをとり、ジョン・ジョージ・リンゴに(とくにジョンに)ビートルズへの復帰を呼びかけ、ビートルズをもう一度ロック・バンドとして復活するためのセッションだったのに、フィル・スペクターがプロデュースしたアルバム「レット・イット・ビー」は、自分のアルバム・イメージと違うことに怒り、1970年4月ポールは、ついにビートルズの解散宣言をしました。
それから40年経った2010年12月、イギリス政府は、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真に使用された「横断歩道」をイギリスの文化的・歴史的遺産に指定しました。
古い歴史的な建築物以外で指定されたのは、「アビイ・ロードの横断歩道」が初めてでした。
by blues_rock | 2012-05-24 00:20 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ビートルズを聴いたことがない平成の子供たちに、ぜひ聴いてほしいのが、この赤いジャケットのベスト・アルバムCD「The Beatles 1」です。
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平成生まれの子供たちにとってビートルズの音楽は、彼らのお祖父ちゃん・お祖母ちゃん‥もしかしたらヒイお祖父ちゃん・ヒイお祖母ちゃんが、聴いていた“オールディーズ”と思います。
昭和生まれの40代・50代の大人世代でも「ビートルズは、ロックバンドですか?」と不思議そうな顔をして私に質問した人たちもいました。
確かにビートルズは、1965年アルバム「ラバー・ソウル」、1966年アルバム「リボルバー」から、より音楽性を高めたアルバム制作を志向、1966年8月のサンフランシスコを最後にコンサートを止め、アビイロード・スタジオにこもり、コンサートでは表現できない多重録音したロックを制作し始めました。
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「ラバー・ソウル」では「ノルウェーの森」・「ミッシェル」・「ガール」・「イン・マイ・ライフ」など、「リボルバー」では「タックスマン」・「エリナー・リグビー」など、どの曲もビートルズが、かってクライ&シャウトしていた頃のロックンロール・ミュージックンではなくなりました。
1965年以降ビッグヒットした「イエスタデイ(1965)」・「愛こそすべて(1967)」・「ハロー、グッバイ(1967)」・「ヘイ、ジュード(1968)」「レット・イット・ビー(1970)」など多くの作品が、現在スタンダードになったバラードの名曲ばかりなので、ビートルズには、その印象が強く、コンサートで世界中を熱狂させた初期のロックンロール・バンド時代を知らない人たちが多いのも頷(うなづ)けます。
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昭和生まれの人でビートルズを聴いたことがない方は、まずいないと思いますが、昭和世代でビートルズのヒット曲をまとめて聴きたい方、ビートルズのロックンロールをもう一度きちんと聴いてみたい方にお薦めのベスト盤CDでもあります。
ジョンとポールが、クライ&シャウトするロックンロール・ナンバーとポールが歌いあげるバラード合わせて全27曲、ビートルズがデビューした1962年から1970年に解散するまでヒット・チャートでナンバー「1」ヒットした名曲ばかりですので青春を懐い出して聴いてください。
ビートルズを聴いた平成の子供たちの感想をぜひ聞いてみたいものです。
by blues_rock | 2012-05-21 00:06 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ロックの名曲三夜連続のラストは、ジョン・レノン(1940~1980)の「ビューティフル・ボーイ」を紹介します。
1980年、ジョン最後のアルバムとなった「ダブル・ファンタジー」に収録されています。
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この曲は、愛する息子ショーンの子守唄として作曲したものとか‥ウィキペディアでジョン・レノンを検索し、職業を見ると「シンガー・ソングライター(作詞作曲家)、ハウス・ハズバンド(主夫)」となっていました。
職業ハウス・ハズバンド(主夫)というのが、とてもジョンらしく、1975年に息子ショーンが、生まれるとすべての音楽活動を中止し子育てに専念、ハウス・ハズバンド(主夫)をしました。a0212807_026191.jpg
ジョンが、音楽活動を再開したのも、5才になったショーンが、映画「イエローサブマリン」のビデオを見ていて「ダディは、本当にビートルズだったの?」と質問したのが、きっかけだったとか‥本当のところは、どうであれ「ダディ・ジョンの子守唄「ビューティフル・ボーイ」で、幼いショーンのオムツをかえ、あやし寝かせ付けていたのでしょう。
ビートルズのジョン・レノンから幼い息子を溺愛する父親となったジョンの歌うララバイ(子守唄)のなんと美しいメロディでしょう。
ジョン・レノンが生きていたら、もっと多くのジョンの新しい歌を聴けたとそう思うと、1980年12月8日に起きた凶悪な殺人事件への怨念と不条理に対する怒りは、32年経ったいまでも私の心に残っています。
(写真:日本で寛ぎ暮らしていたころのジョン・レノン)
by blues_rock | 2012-05-09 00:03 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ジョージ・ハリスン(1943~2001享年58才没)は、ビートルズ時代、レノン=マッカートニーの天才コンビの陰に隠れるように、いつも控えめで静かな人でしたので、ビートルズ当時の彼の曲はあまり多くありませんが、収録されている曲を聴くと、どの曲もすばらしくメロディメーカーであったことが良く分かります。
この「While My Guitar Gently Weeps」は、1968年ビートルズ発表アルバム「ザ・ビートルズ」(通称「ホワイトアルバム」:2枚組)のディスク1、A面7曲目に収録されています。
a0212807_095368.jpg初めてこの曲を聴いたとき、レノン=マッカートニーの曲とは、少しニュアンスの違うメロディとリズムが印象的で、さらにリード・ギターのすばらしさに感動‥内心では、ジョージにたいへん失礼ながら、ジョージは、こんなにギターが上手かったかな?と感心しました。
後日、ギターは、エリック・クラプトンが弾いていたと分かると妙に納得したことを憶えています。
ジョージ・ハリスンは、この曲を収録するとき、どうしても自分のギターに満足できず、親友のエリック・クラプトンにギターを要請しました。
あまりに有名となったビートルズのアルバム収録参加をためらう親友エリックに、ジョージは「これはビートルズの曲ではない。自分の曲だ。」と説得、リード・ギターを担当してもらいました。
エリックは、ジョージの期待に応えギターを‘Weeps’させ(すすり泣かせ)、すばらしい曲にしました。
a0212807_0165525.jpgそのころ、ドラッグ(ヘロイン中毒)とアルコール依存症に苦しむエリック・クラプトンを親友ジョージ・ハリスンとハリスン夫人のパティは、彼を献身的に支えました。
いつしか、エリックはパティに恋をし、彼女に名曲「レイラ」を捧げました。
ジョージは、エリックとパティのために離婚、その後パティは、エリックと結婚しクラプトン夫人になりました。
ジョージ・ハリスンは、二人の結婚式に友人として出席、エリック・クラプトンの強い友情は、2001年ジョージ・ハリスンが、病気で亡くなるまで生涯続きました。
2012年1月2日「エリック・クラプトン~アイ・ショット・ザ・シェリフ」の記事に二人の友情と恋愛について書いていますのでご覧いただけたら光栄です。
Θ YouTube
George Harrison & Eric Clapton : While My Guitar Gently Weeps(1991 Japan Live)
1991年ジョージ・ハリスンのジャパン・ツアー・コンサートでのライブ収録です。
曲の半ばから終わりまで、エリック・クラプトンのギターが、すすり泣き続けています。
最後にジョージ・ハリスンの声で「エリック・クラプトン、サイコー!ギター」と日本語で紹介しています。
by blues_rock | 2012-05-07 11:15 | ビートルズ(Beatles) | Comments(1)
今ではリバプールといえば、ビートルズの出身地として有名な街ですが、かってイギリスの音楽僻地で、労働者階級の人々が暮らす港町でした。
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1950年代半ば、港町のリバプールには、アメリカ黒人音楽をルーツとするブルース・R&B・ロックンロールが、いち早くラジオやレコードを通して入ってきていました。
a0212807_0551248.jpgその新しいアメリカ音楽をリバプールの労働階級の若者たちは、人種による音楽の違いとか伝統に関りなく素直に感動できて、気持ちを躍動させることのできるビート音楽として熱狂しました。
1960年代になるとリバプールの若者たちの間から次々にロックンロールバンドが誕生しました。
ビートルズ、サーチャーズ、ジェリー&ペースメイカーズ、スインギング・ブルージーンズ、ピーター&ゴードン、フレディ&ドリーマーズなど、ビートルズの陰に霞んでいますが、多くのバンドが当時活躍していました。
そのリバプールを流れるマージー川の名に由来して、いつしかマージービートと呼ばれるようになりました。
a0212807_0552737.jpgロンドンやマンチェスターなどのバンドも含めるとブリティッシュビートと呼ばれ、ローリング・ストーンズ、フー、ヤードバーズ、キンクス、アニマルズ、ホリーズ、ゾンビーズ、デイブ・クラーク・ファイブなど蒼々たるバンドが活躍していました。
イギリスで進化したロックンロールは、アメリカに逆上陸しアメリカの若者たちの間に瞬く間に浸透し、アメリカ中を熱狂させます。
当時ビルボード・トップ100の中にイギリスのバンドの曲が半分以上を占めたこともあり、ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれました。
a0212807_055505.jpgアメリカ社会は人種差別が色濃く残り、黒人音楽のブルース・R&B・ロックンロールを聴いている白人の若者たちはまだ少数でした。
そこに突然イギリスからやって来たビートルズやローリング・ストーンズなど白人若者たちのバンドが、黒人音楽を自らギターを弾き歌いコーラスする演奏スタイルと自分たちのバンドの演奏曲は、自ら作詞作曲する独自の音楽性と併せ、メンバー一人ひとりの自由な個性(言動・ファッション)は、アメリカの若者にとって衝撃的な出来事でした。
a0212807_056476.jpg若者の熱狂に驚いたアメリカの音楽メディアは、すぐさまこれを世界に配信しました。
この時から世界の音楽シーンが様変わりし、それまでのライブハウスで音楽やダンスを楽しむロックンロールからメディアや機材を駆使したショービジネスのロックに変化していくことになります。
アメリカ経由で日本に来たマージービート(&ブリテッシュ・ビート)は、日本では一括(ひとくく)りにリバプールサウンドと呼ばれました。
a0212807_0562432.jpg60年代後半世界のブームに遅れまいと粗製濫造されたバンドが、グループサウンズと呼ばれてTV歌謡番組に雨後の竹の子のように出演していました。
どのバンドもヘタでチンケ極まりなく、ヒットした原曲を出鱈目な日本語でコピーするか、既存の歌謡曲作家コンビの提供する曲を身振り手振りで歌い、女の子をキャアキャア言わせるためのどちらかでTV局用のバンドばかりでした。
少数ながらオリジナリティのある個性的なバンドもいました。
日本では、ボブ・ディランの影響を受けたフォーク(=フォークロック)と呼ばれるシンガーソングライターたちが登場して、初めてマージービートようなセンスある良い曲が誕生しました。
by blues_rock | 2012-05-04 00:56 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)
ジョン・レノン(1940~1980)の生涯は、わずか40年でした。
ジョンが、亡くなって早いもので32年になります。
今でもジョンは、世界のどこかで元気に暮らし歌っているように思えてなりません。 
ジョンの歌は、ビートルズ時代の歌と併せ世界の地域や世代を超えて、今でも歌い継がれています。
ジョンの作詞作曲の才能は、今さら言うまでもありませんが、ヴォーカリストとしての資質もエルヴィス・プレスリーに近く、艶っぽくセクシーな声が魅力です。
1970年ビートルズの解散直後、一人のロック・ミュージシャンとしてジョン・レノンが発表したアルバム「ジョンの魂」は、ジョンの最高傑作だと思います。
A面の「マザー」、B面の「ラブ」・「ゴッド」などの名曲は、ジョンの魂そのものです。
1971年リリースの「イマジン」は、世界の人々が求める恒久平和の名曲です。
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Imagine there's no heaven  想像してみよう、天国なんて無いと
It's easy if you try  やってみれば簡単なこと
No hell below us  僕らの足下に地獄などなく
Above us only sky  僕らの上にはただ青い空があるだけ
Imagine all the people  想像してみよう、みんなで
living for today  僕らは今日のために生きていることを
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Imagine there's no countries   想像してみよう、国なんてないと
It isn't hard to do  そんな難しいことではない
Nothing to kill or die for  殺すことも誰のために死ぬこともない
No religion too  宗教もない世界を
Imagine all the people  想像してみよう、みんなが
living life in peace  平和な人生を送っていることを
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Imagine no possessions  想像してみよう、財産なんかないと
I wonder if you can  君にできるだろうか
No need for greed or hunger  どん欲も空腹も一切必要がない
A brotherhood of man  人間の兄弟愛に満たされた
Imagine all the people  想像してみよう、みんなで
Sharing all the world  世界のすべてを分かち合うことを
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You may say I'm a dreamer  君は僕を夢想家だと言うだろう
but I'm not the only one  だけど僕はたった独りじゃない
I hope some day you'll join us  いつか君も僕らといっしょになって
And the world will live as one  世界はひとつになり暮らせるだろう
by blues_rock | 2012-04-10 01:00 | ビートルズ(Beatles) | Comments(0)