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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:高齢者介護(認知症)( 44 )

福岡市郊外の山麓にある高齢者介護施設(デイサービス森の家と小規模多機能ホーム森の家みのり荘)をこの地域に住まわれる高齢者37名(平均年齢83才)の方々が、利用されています。
a0212807_2152246.jpgご利用者の概ね5人のうち4人は、程度の差はあれ認知症です。
認知症は、“脳”の病気です。
ヒトは皆、高齢になるといろいろな病気をかかえ、クスリの種類と量が増え、クスリ漬けにされていきます。
高齢者になれば年相応の衰えは当然のことで、下肢筋力が衰え、立ち上がるにも、歩くにも介助が必要となります。
認知症は、ある日突然現れる病気ではなく、加齢とともにゆっくり進行して行きます。
a0212807_2174686.jpg認知症は、早期発見することにより対処療法で病気の進行を抑え、介護保険制度による介護プランを利用すれば、人生最期の日まで自宅で普段の生活を続けられます。
認知症発病が、イクオール施設入所ではありません。
住み慣れた自宅(終の住家)、住み慣れた地域で、人生最期まで暮らしたいのは、ダレもの願い(希望)です。
そのためには、高齢者に一番多い病気‘認知症’に早く気付き、折り合いをつけ共生していけば、今までどおり普段のの生活を続けることができます。
a0212807_2184314.jpg認知症の高齢者が、気を付けなければならないのは、カゼと骨折です。
この二つは油断大敵、カゼは万病のもとなので、カゼをこじらせると症状によっては入院しなければならなくなり、転倒による骨折(手・足・腰・臀部)もまた長期入院を余儀なくされます。
認知症の方が、2~3か月くらい長期入院され、私たちの施設に戻って来られると素人の私でさえビックリするくらい認知の症状は、悪化しています。
a0212807_2110891.jpg病院に入院すれば、退院するまで規則どおりの生活が続き、自由を奪われ病室とベッドで長期間暮らすわけですから、認知症患者には、相当のストレスと推察します。
病院は、入院患者を「看護という手段で医療措置」しますが、高齢者介護施設は、利用者を「介護という方法で福祉対応」しますので、「看護」と「介護」では、認知症患者への対応がまったく違います。
私たちの二つの介護施設は、毎日朝礼をしていますが、まず始めに認識を一致させるために、全員で私たちの理念を唱和します。      (下写真4枚:三潴町十連寺、宮地嶽神社の竹林と「ふかほり邸」の庭)
a0212807_21132912.jpgまあ、理念というより‥自分が、認知症高齢者になったときに自分の望む(願う)認知症ケアをアピールしているようなものです。
最初に三つの理念、次に3つの心得を全員で唱和し最後に7つのポイントを確認します。
◇ 高齢になり、介護が必要になっても、家族や親しい人たちとともに、不安のない生活を続けたい、住み慣れた自分の家や地域で過ごしたい、という高齢者の願いに可能な限り応えるよう支援します。
◇ ご利用者一人ひとりの人格を尊重し、可能な限り家庭的な環境のなかで、管理的ではなく、自由な自己決定ができる、その人らしい「尊厳ある生活」を尊重します。
◇ 私たちは、高齢になっても安心して在宅生活ができるような介護支援の実現と地域に必要とされる事業所に育つことを目指します。
a0212807_21142373.jpg理念の後に、認知症のお客様に接するときの3つの心得「驚かせない・急がせない・自尊心を傷つけない」と続け、最後に7つのポイントです。
1.まずは見守る
心得の「急がせない」が、これに当たります。
健康な人には、普通の行為も、認知症になると何ごとにも時間がかかるもの、イライラせず急かせないで、まずは見守ってあげてください。
2.余裕を持って対応する
とにかく余裕を持って対応してあげてください。
3.声かけする時は、一人でする
みんなで同時にいろいろ言っては、いけません。
認知症の方は、いつも精神的に不安感を抱かれており、回りから同時に声をかけられると混乱され、内に抱える不安が増幅され、パニックになります。
a0212807_21233088.jpg4.後ろから声をかけない
後ろから声をかけられるとビックリされ、恐怖感でパニックを起こされる場合があります。
5.相手に目線を合わせてやさしい口調で話す
これも当たり前のことですが、認知症の方は潜在的に常に不安を自覚されていますので、同じ目線で静かに語りかけることが、とても大切です。
不安のない穏やかな気持ちにしてあげれば、素直にこちらの言っていることを理解されます。
6.穏やかにはっきりした滑舌で話す
高齢者は、耳の遠い方が多く耳元ではっきりした滑舌で話さなければ、聞こえていない場合があります。
7.相手の言葉に耳を傾けて対応する
認知症を患った高齢者は、不安心理からくるワガママが次第に多くなり、無理難題や聞き分けのないことを言われたりします。
a0212807_21252255.jpg注意したり制止したり、無視すると興奮され、事態はさらに悪くなる場合もありますので、まずは相手の言葉に耳を傾け、それから対応することが大切です。
自分の家族や隣近所に認知症の高齢者が居られたら、接し方のノウハウとしてぜひ参考にしていただき憶えておかれると、とっさの時に役立つと思います。
昔から「転ばぬ先の杖」といいます。
明日はわが身‥やがて自分が年をとり認知症になったとき、家族から人からどのように接してもらいたいか、自分の願う認知症ケア(自分の希望する環境)を今から準備しておくことが、最良の認知症対策と私は考えています。
認知症の方を在宅で家族(近親者)だけで四六時中お世話するのはムリ‥いずれ‘共倒れ’になります。
何度も繰り返しますが、認知症は外見では、すぐに分からない“脳の病気”です。
住まわれている地域の「きちんとした介護事業所」に相談され、認知症介護研修課程を修了した介護員のいる施設を利用しチカラを合わせて高齢者の在宅生活を支えてあげましょう。
by blues_rock | 2012-05-18 01:07 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
毎週火曜日の午後はいつも、デイ・サービスで高齢者の方々に、水彩・クレヨン(クレパス)・木炭・鉛筆など画材を選んでいただき、モチーフは四季折々の花、あるいは静物、ときには、鏡を見ながら自画像など‥自由な心で絵を描いていただく絵の時間です。
今週は、4月に描いたご自分の作品3~5枚(必ずサインと落款を入れたもの)から1枚を選んでもらい額に入れ、全員合評会を開きました。  (下3点:シャガールの絵)
a0212807_11915100.jpg必ずサインと落款を入れるのは、ほとんどの方に認知症状があり(認知症の個人差はあります)、中には「自分の絵ではない、絵を描いた憶えがない」と言われるからです。
そんな時、「このサインの名前‥見たことありませんか?ダレの字でしょうか?」としっかり絵を見せて問いかけすると、照れ笑いしながら「あらま!?私の名前だ‥ということは、これ私の絵?」とか「ワシャ知らん、描いた憶えがないぞ‥確かに名前も字もワシのだなあ‥不思議だなあ」と首をひねられるので、私が「○○さん、納得しました?」と問い直すと「(ガンコに)ワシャ知らん!」の一点張り、まわりの人たちは、全員大笑いです。
私たちの絵画教室の皆様方が、描かれた作品(絵やデッサン)の中から数枚を昨年8月30日「高齢の画家たち」に掲載していますので、ぜひご覧いただきたいと思います。
どの作品もみずみずしく、絵から認知症状を感じることはありません。
a0212807_1195074.jpgさて話は変わりますが、以前の絵の時間に「絵は自由に描けば楽しくなる」という話題でシャガールの話をしました。
マルク・シャガール(1887~1985、98才没)は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人村に生まれました。
1910年に初めてパリに出て、当時前衛絵画であったキュビズムの画家たちと親交を結び故郷に戻りますが、ロシア革命により1922年故郷を逃れ、またパリに向かいました。
妻べラも同じ故郷のユダヤ人です。
シャガールは、彼女をモデルにして、若い二人が祖国の村で暮らした懐かしい日々を詩情豊かにキャンバスに描きました。
第二次世界大戦のヨーロッパでユダヤ人の彼は、ナチスドイツの迫害を受けアメリカに亡命しました。
1960年すでに著名な画家となっていたシャガールに、フランス政府からパリ・オペラ座天井画の制作が、依頼されました。
戦争が終わり、1947年フランスに戻った彼は、フランス国籍を取得いたします。
a0212807_1221598.jpgシャガールは、彼が描く詩情豊かな絵から到底、窺(うかが)えない毒舌家としても知られ、自信家でプライドの高かったピカソに対しても、辛辣な批評をしていたそうです。
それでもシャガールとピカソは、たいへん仲が良く、お互いを認め合った友人でもありました。
1966年フランスのカンヌに近い古都アンティーブ市に世界で最初のピカソ美術館(アンティーブ市立でピカソがアトリエとして使用した古城)ができ、1973年には、ニース市にシャガール美術館ができました。      
ピカソ美術館は、他にもパリに国立ピカソ美術館、故郷スペインのバルセロナにもピカソ美術館があります。
by blues_rock | 2012-05-02 00:14 | 高齢者介護(認知症) | Comments(2)
高齢者のデイサービスで、時々「絵の話」をします。
私が、話をするお相手の高齢者の皆様方には、個人差はあるものの5人中4人くらいに認知症の症状(あるいは兆候)が見られます。
症状と言っても、見当識障害や記憶障害さらに軽い徘徊(はいかい)などですが、興味があることには、熱心に耳を傾けられ、話に集中されます。
先日、「ゴッホの絵」の話をいたしました。
日本人になじみ深く有名な画家なので、ゴッホの名前は、全員が知っておられました。
私が、いままで見たゴッホの絵について高齢者の皆様方にできるだけ分かりやすいよう具体的に話しました。
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パソコンを42型TVにつなぎ、大型液晶画面にゴッホの絵を映し出し、それを見ていただきながらゴッホのプロファイルを紹介、ゴッホの絵の魅力について皆様方と対話(Q&Aなど)しながら30分くらい話しました。
○ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、オランダ人で1853年生まれ1890年に自殺(享年37才)したこと。
○父親は、キリスト教の宣教師で、ゴッホも若い頃、伝道師志望であったこと。
○「炎の画家」と称され、天才画家ゴッホと言われているが、絵は独学だったこと。
○画家としての活動は、自殺するまでの10年間で、2,000点の絵を描き残したこと。
○生涯売れたのはたった一枚、弟テオが、ゴッホ(兄ヴィンセント)の生活を支援したことや極貧生活のために描いた絵を酒や食べ物と交換したこと。
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○ゴーギャンとの共同生活は、2か月で終わったこと。
○耳きり事件を起こし、精神病を患い、ついにピストル自殺したこと。
○画家ゴッホ誕生のターニングポイントは、29才娼婦との同棲、彼女をモデルに多くの絵を描いたこと。
○浮世絵の影響を受け、精神病治療のためのアルル移住し、傑作の数々「ひまわりの絵(生涯12枚)と自画像(生涯40枚)」を描いたこと。
○トピックスとして‥ゴッホの傑作「ガッシュ医師の像」は、弟テオの妻により、当時300フラン(=5千円くらい)で売られましたが、先年ニューヨークの競売にかけられ125億円の価格で落札されたこと。
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○ゴッホの人生は、純粋で無垢な性格なゆえに、残酷な運命と出遭い、挫折感に苛(さいな)まれ、自ら精神を病みながら‥ただ命を燃やすように、一心不乱に絵を描き続けた一生だったこと‥など話しました。
ゴッホの絵(TVに映した画像)を見つめる高齢者の皆様方のキラキラした目が、私の印象に残りました。
美しい絵やすばらしい芸術作品に出会うと見ている人の心が、共感いたします。
感動に老いも若きも、男性も女性も、認知症か否かも関係ありません。
「ゴッホの絵」の話をしながら感受性は、人間の大切な宝物であることを改めて感じました。
by blues_rock | 2012-02-27 00:07 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
二年半前の出来事ながら、突発性腰痛(ぎっくり腰)の激痛に苦しみました。
寝返り、寝起きができず、普段の行動もままならず、日常生活への支障をイヤっというほど思い知りました。
a0212807_2404836.jpgそして、自分が自分の意思どおりに動けないことへの恐怖も感じました。
病気は、自分の意思で罹るわけではありませんが、認知症という病気は、自分の行為や活動への自己認識がありませんので、傍で見ていて辛いものがあります。
ある70才代の女性は、書家として有名な方で、お一人で住まわれ、その暮らしぶりも凛(りん)としておられました。
私が、初めてお会いした時、この方に認知症状を感じませんでした。
ゴッホの大ファンで、ゴッホの画集を一緒に見ながらゴッホについてお話ししたら、目をキラキラさせて楽しそうでした。
他の話題についても、いろいろなことを良くご存知(博識)で、会話が弾み、この方の今に至る人生の片鱗を窺い知ることができました。
ある日、自宅で転倒され床で腰を強打、亀裂骨折により3か月くらいの入院を余儀なくされ、退院後3か月くらいの機能回復リハビリと休養期間を終え半年後に、私たちの介護施設に戻ってみえました。
a0212807_2423646.jpg長い入院による環境変化は、この方のアルツハイマー型認知症を急速に悪化させ、さらに下肢筋力もかなり低下されていました。
半年ぶりの再開で、私が「○○さん、お久しぶりです。お元気そうで安心しました。」とご挨拶すると戸惑いの表情で「‥ごめんね、顔は憶えているのだけれど、お名前が‥ごめんね。」と不安そうに答えられました。
その日、この方の好きなゴッホの画集をご覧いただき、ゴッホについてお話をすると以前のようなキラキラした表情になられました。
旧い知識や記憶の断片は確かで、感受性もすばらしいのに、自分の行為や行動が、認識できず‥この方のケア・マネージャーから、アルツハイマー型認知症疾患が原因の認知不全と推察されること、右・左(みぎ・ひだり)の区別や日々の暮らし(衣食住の生活)に支障があることを伺いました。
調理や入浴などに行為の認識がなく、日常行動も不自由とのことでした。
ある日、隣りの人が、草を料理されているの見て、慌てて認知症による要介護認定の申請をされたそうです。
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私は、この方が、ゴッホの話を憶えておられるかどうかは、さして気にしていませんでした。
私にとって重要だったのは、この方が、絵を見られる時の目の輝きや音楽を聴かれてる時の穏やかな表情を見て、いつもの不安に怯えたような表情が消え、平安な心でおられるのが分かり、私の心が和むからでした。
この方が、亡くなられて一年が、経ちました。
亡くなられる前、入院している病院では、自分の排せつ介助をする方に申しわけないからと、食事も飲み物も拒否されていた(摂取量を自分の意思で減らされていた)と、この方の妹さんから伺いました。
数か月の短い期間でしたが、この方のことを懐い出すと、人としての品性と尊厳について考えます。
by blues_rock | 2012-01-28 02:27 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
私が、住まう福岡市南区郊外の山裾に、この地域に暮らされる高齢者の皆様方が、最期まで住み慣れた自宅で生活できるよう、在宅介護のお手伝いをする施設(事業所)があります。
週4日、この高齢者介護施設で働くまで、私は福祉や介護に興味も関心もなく、まったく無縁の人間でした。
私の認知症についての知識は、老いによるボケ(か、痴呆症)のこと程度の恥ずかしいものでした。
認知症の高齢者を主人公にした映画制作され、秀作も多いので映画を通して学んだ程度の浅い知識でした。
認知症が、テーマの秀作映画は「君に読む物語」・「アウエイ・フロム・ハー」・「夢のままに」などがあります。
映画では、老夫婦(あるいは壮年夫婦)のどちらかの記憶喪失、伴侶(相手)への認識不全、心の崩壊を通して、人生をともにした夫婦の愛がテーマでした。
a0212807_20302780.jpg高齢化が進む日本では、これから認知症疾患の高齢者が増え‥そして、家族の、夫婦間の介護の多種多様な苦悩と現実の問題が、確実に増えてきます。
愛とは?家族とは?人生の長い時間を共有した相手への思いやりとは?絆(きずな)とは?‥すべての人に最晩年の人生の最終章が、問われます。
最初から高齢者として生まれてくる人は、いません。
人は自ら望んで老いていくわけでもありません。
それは、この世に生まれたすべての人たち皆平等に与えられた不可避の宿命‥いま命ある人すべてが、やがて老い必ず死んでいきます。
いま認知症を患う高齢者の皆様方にも、かって遠い昔、希望あふれる青春の輝きや恋愛して家庭をなし、社会的地位も得て、順風満帆の充実した過去があったろうと推察します。
そして、いつしか年を重ねるうちに、過去という失った欠けがえのない人生時間(記憶や思い出)を喪失していく認知症(脳の病気)を発症していきます。
認知症には、要支援1・2、要介護1~5までの介護度と症状により認定区分さますが、本人とその家族そして担当するケアマネージャーの知見と認定申請で、認知症の度合いと介護のレベルが審査され決定されます。
私たちの介護施設(デイサービス・小規模多機能ホーム)にも、多くの認知症高齢者の方々が見えています。
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昔は、大手地方銀行の支店長であったご老人は、要介護3の認知症‥今でも預貯金の一切を肌身離さず、ともに暮らした家族からも疎まれ、一日中施設の玄関のイスに座り、顔をしかめて「‥帰る‥帰る」と繰り返しつぶやいておられましたが、介護に疲れた家族の拒否に合い希望はか叶いませんでした。
華麗な身なりの裕福な家庭の老婦人も、レベル3の認知症です。
隣りに座る方とのコミュニケーションができず、いつもイヤミを言い、人の物を自分のポケットに入れ(すべてご自分のものとの誤認からきているので盗んでいるわけではない)何か言われると「いくら欲しいの?いくらでも払う。10万円?」と鉛筆一本のことで言われています。
対照的なのが、90歳になられるご老人で、要介護2の男性です。
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いつも穏やかで、回りに気を使われ、居合わせたおばあさんたちとおはじきやトランプに興じられ、いつも‥ワッハッハ‥ワッハッハと笑顔いっぱいです。
この方の人生も戦前・戦中・戦後を生きて艱難辛苦(かんなんしんく)の人生であったろうと推察しますが、微塵にもそんな素振りを見せられません。
この方は、この施設で介護サービスを受ける高齢者の皆様や介護のお世話をするスタッフたちとの日常生活をネタに、ユーモアとウィット溢れるやさしい言葉で替え歌をたくさん作られています。
その替え歌を歌謡曲のメロディに合わせ全員が大声で唄い‥ワッハッハ‥ワッハッハと誰も皆な大笑いです。
この方は、高齢者の皆様方やスタッフたち全員から慕われておられます。
高齢者の最期は、その方が生きた人生の集大成なので、幸不幸のありようには個人差があり千差万別です。
いま、目の前にある現実に「明日は、わが身」の姿を想像しながら、高齢者の皆様方のお相手をしています。
by blues_rock | 2012-01-27 01:18 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
先日、友人からこのブログを書く理由と目的は、何かと尋ねられました。
私にブログを書く明確な理由や目的は、ありませんが、時間のあるときに少しずつ‥心に感じたこと、ふと思ったこと、今考えていることなどを忘れる前に、自分のためのメモとして、併せて友人や親しい知人ならびに拙プログを読んでくださる方への私のメッセージとして書いています。
このところ記憶力が衰え‥物忘れもひどくなり、自分自身のための自己防衛策‥自分は、何者であったかの手垢のようなもの、つまりいつ認知症を発症してもよいように今から準備しているようなものかもしれません。
人は、心に残る大切なことは、だいたい記憶しているものです。
私たちが、すぐに忘れるような日常の些細(ささい)な出来事は、忘れてもくよくよ気にせずに、自分が大事と思わないことは「どうでもよいこと、つまらないこと」と放り投げ、安穏気楽な気持ちで暮らしましょう。
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人は、自分の記憶が混乱した時に、突然言いようのない不安に襲われるのだそうです。
認知症の方の不安心理は、「大雪原にただ一人取り残されたような恐怖」なのだそうで、まだ医学界でも病理の解明がほとんど進んでいない病気と言われています。
私がデイサービスで接している認知症の方に共通して感じるのは、時おり顔に現れる不安な表情、とくに目に現れる“不安に脅えた”表情です。
話は変わりますが、「死にがいのある場所」という言葉は、先日の日本経済新聞夕刊に掲載されていた富山市のデイケアハウス「このゆびとーまれ」取材記事で見つけました。
「生きがい」という言葉は、日ごろから頻繁に耳にしますが「死にがい」という言葉は初めて知りました。
生者必死‥生まれた人は、必ず死の時を迎え、王侯貴族も奴隷も富裕な人も貧乏な人も‥1人の例外なく死ぬ時が来ます。
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キリスト教使徒のマザーテレサは、インドで宗教に関係なく、明日のない貧しい病人たちの救済に、自分の生涯を捧げました。(参考:2012年1月5日愛の容‥マザー・テレサ)
或るとき、一緒に救済活動するシスターが、マザーテレサに「次から次に運び込まれるこの方々は、もう助からない人たちばかりです。マザーはどうしてこの方々を救済するのですか?」と尋ねました。
マザーテレサは、「この方々の過酷な人生の最期に‥自分は生まれて良かった、幸せだったと心から感じさせ、死なせてあげたいからです。それ以外の理由はありません。」と言われたそうです。
この歳まで何も考えずノホホンと生きてきて、恥ずかしい限りですが、私の「死にがいのある場所」探しは、これからも続きそうです。
by blues_rock | 2011-09-22 21:19 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
「子孫に美田を残さず」(西郷隆盛)という言葉があります。
太平洋戦争以前に生まれられた高齢者の皆様方は、子供のころから貧しい暮らしに追われ、ご苦労をされて、今に至るまで働き尽くめの人生であったろうと推察します。
家族のために土地を手に入れ家を建て、ローン返済に追われながら、子供を育てて来られました。
美田(つまり資産・貯蓄)があると、仲の良かった子供たちも欲(遺産)に目がくらみ、兄弟姉妹の間で、骨肉の醜い争いを始めます。
同じ胎(はら)から生まれながら、醜く争うわが子たちの哀れな修羅場を見たくなかったら、自分の美田(資産・貯蓄)は残らず処分し得たお金は、自分の人生できれいに使い切られたらいかがでしょうか?
団塊世代や高齢者の皆様方が、倹約しないで、自分のお金を自分のために、じゃんじゃん使えば、日本経済の内需は活気に溢れ、雇用・消費の拡大は間違いないし、国の税収も大幅に増えるでしょう。
同時に自分たちが、戦後ワンサカ作った借金(財政赤字▲1,000兆円)も「借金(国債=国民の負債)の利息の支払い(年間15兆円の返済利息)のために、さらに借金を重ねる愚政はしないで済む」くらいにはなるでしょう。
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当然「国家のリストラ」も必要‥とくに「すべての議員と公務員」の定数削減です。
国民の安全保障に直接関わる消防署・警察・海上保安庁・自衛隊の公務は、別のテーブルで議論するとして、道州制により行政機構を大幅に道州政府へ移管し政治(つまり国家予算の配分)に責任をもたせ、意思決定のスピードアップを図りましょう。
道州制の導入で、まずはムダな政金の典型であるすべての議員定数(国・県・市町村など)を50%カット、公務員(国・地方)は30%カットしましょう。
その分の仕事を“民間”に任せれば、雇用と競争が生まれ、安いコストで良質な仕事(行政サービス)が、早くスムーズにできるようになるでしょう。
否定的な言葉の羅列は、つまり「やる気がない・知恵がない」だけのことです。
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民意(国民の同意)により、消費税率を上げて真っ赤っかの国家財政を向こう50年くらいでチャラにするバランスシートにしなければ、これから生まれてくる日本人、これから日本人になる外国人(帰化し日本国籍を取る外国人)が、可哀想で不憫でなりません。
ちなみに「日本国籍のない外国人」に、政治の意思決定をする選挙権(参政権)を与えるという民主党マニュフェストは、愚策で反対です。
いまのまま国難を先送りしていたら、いずれ日本という国は無くなり‥中国マネーが日本の資産を所有し、地域に住む中国系日本人が、「日本省」政府を作って、美田を占有しているかもしれません。a0212807_1657354.jpg

高齢者の皆様は、「子孫に美田を残さず」自分自身の幸せのために、自分のお金をどんどん使い、現在(いま)を快適に、楽しい老後を送られるよう日本の再興と社会発展のために切にお願いいたします。
by blues_rock | 2011-09-08 21:20 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
今年も夏の強い日差しが、出穂(しゅつすい)した田んぼを照らし、トンボの群れが飛び交い森からはカナカナの鳴き声が聴こえています。
昨年の春、私の働くデイサービス施設の「絵の時間」に軽度の認知症ながら、いつも感動する絵を描かれる女性の高齢者の方がおられました。
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一人暮らしの自宅で転倒し、腰を打ち亀裂骨折で入院され治療とリハビリのために、半年余り施設の利用を休まれました。
その間の日常生活の変化で、アルツハイマー認知症の症状が、かなり進行してしまいました。
本来なら日常生活すべてに介助が必要になると特別養護老人ホームに入所することになります。
しかし、家族の強い希望で、いままでとおり自宅介護を続けたいと昼間はデイサービス施設に復帰され、ほとんど毎日通所されていました。
認知症になると雪原にたった一人でいるような孤独と恐怖を覚えるのだとか、自分が何者なのか?ここはどこなのか?どこで何をしてきたのか?回りにいる人たちは、どこのダレなのか?「思い出せない記憶」への不安で苛立ち、情緒不安定になるのだそうです。
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この方は認知症を発症されるまで著名な書道家でした。
彼女のケアマネージャーに同行して、この方の自宅を訪ねたことがあります。
彼女の友人である建築家の方が、ぜひ設計させてほしいと希望されてできた家なので機能的で快適な住居でした。
壁に彼女の見事な「書」が掛かり、部屋は趣味のよい調度品や骨董の陶器類が整然と置かれていました。
退院された昨年の夏に施設に復帰され、久しぶりにお会いしました。
介護員が両手を引いてあげると自立歩行されますが、表情も硬くうつろな目で辺りを眺めておられました。
私が「○○さん、おはようございます。お久しぶりです。お元気そうですね。」と挨拶すると、じっと私の顔を見られ「‥ごめんね、顔は憶えているのだけれど、お名前が‥ごめんね。」と俯かれました。a0212807_1515223.jpg
その日の「絵の時間」に、この方が好きなゴッホの絵を大型TV画面に映し、ゴッホの絵の話をしました。
ゴッホの絵を食い入るようにじっと見入っておられました。
私に伝えたいことがあるのか「ワタシ‥アタマが‥もやもやして、言いたいことが憶い出せないの。」とお詫びされるので背中をゆっくり撫でながら「憶い出したら聞かせてください。」と応えました。
この方が何かに感動したときに見せられる笑顔や表情は、初めてお会いした頃のままでアルツハイマー認知症にあっても、この方の人柄や品性を感じました。
昨年秋ついに入院され、今年の初めに亡くなられました。
認知症という病気の症状は千差万別ながら、晩年にアルツハイマー認知症を患われたこの女性から、ご自分の人生で培われた品性と高齢者の尊厳とは何かをしっかり教えていただきました。
by blues_rock | 2011-08-31 01:51 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
毎週火曜日の午後は、デイサービス介護施設のプログラムで恒例の絵画教室です。
大正・昭和の激動の時代を経て、齢(よわい)八十・九十の高齢者となって初めて絵を描く方も多く、自由な気持ちで「自分の絵」を描かれる方が、ほとんどです。
鉛筆・木炭・水彩・クレヨン・クレパスなどでA4サイズの画用紙に、無我夢中でゴシゴシ・サラサラ‥独り言をなにやらブツブツと言いながら、一心不乱に静物・四季の花・風景(窓から見える庭や田んぼ)などを描いたり、時にカガミを見て‥大笑い・テレ笑いしながら自画像を描いたり、と子供のように無邪気な“火曜画家たち”です。
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私も絵が好きで、子供のころから現在(いま)に至るまで国内外の美術館で泰西名画・日本画の傑作を見てきましたが、なかなかどうして‥ゴッホ・マチスのようだとは、申しませんが、高齢者の皆様方の描かれた絵に、私は素直に感動しています。
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皆様方の絵を見ていたら、人間はいつまでも伸びていく才能があるということを発見しました。
このところくたびれ果て、怠惰な暮らしに慣れグータラしていた私の心の刺激となりました。
下の絵は、今年93歳になられた女性の方の絵です。
みずみずしい感性のいい絵です。
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火曜日の絵画教室の後は、3時のお茶の時間とあわせ“みんなで合評会”を開催します。
皆様方どなたも素直に耳を傾けられます。
お名前を呼んで「いい絵が描けましたねえ」「いいなぁ、すばらしい」と褒めても「ふうん、これ私の絵!?」とか「私が描いたの?ほんと?!」と切り返され、全員でワハハハッと大笑いです。
個性ある老アーチストたちの次の絵が、楽しみです。
by blues_rock | 2011-08-30 21:04 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)
a0212807_0183930.jpgデイサービス施設に通所されている男性高齢者の方(86)とお話をする機会がありました。
昭和20年、鹿児島県知覧の特攻隊基地から特攻隊一員として出撃したものの足に銃弾を受け、特攻ならず生き残られたのだそうです。
「アタシゃ、そん時二十歳(はたち)ばい。今じゃけん、ほんなこつ言うばってん、アタシゃ、死にとうなかったばい。まだヨメサンももらわん若さで、死にとうなかったばい。飛行機に爆弾積んで、出撃したばってん銃撃され、足にタマ食らい生き残った。」と私に話されました。
7年前亡くなった私の父も、特攻隊予科練生として知覧にいましたので、そのことをお話しすると軽い認知症せいか、また同じことを繰り返し言われます。
知覧での体験を私の父は、終生話そうとしませんでした。
十代の終わりに味わったつらく苦しい体験を思い出したくなかったのだと思います。
この方も特攻基地「知覧」のことだけは、今でも決して忘れることのできない心の傷なのだろうと思います。a0212807_0191336.jpg
「そうですか‥、ご苦労なさったんですね。」と話を続けると「アタシゃ、86才になったばい、もうよか、はよ死にたか、トモダチゃも、みんな死んでしもうた、もう死んでもよか。」と言われます。
私は話を伺いながら「○○さん、そげなこつ言わんと。そげん急がんでもよかじゃなかですか、まだお元気です、もう少し先まで行きましょう、イヤでもお迎えが来っとですから‥今生きている皆に、お迎えが来っとですから、お迎えが来るまでゆっくりしましょう、楽しく生きていきましょう‥お迎えが来ても、外で待っとれと言いましょうよ。」と息子のような年齢の私が、人生の大先輩に小生意気なことを申しあげたら、ウンウンと頷きながら笑顔で応えてくださいました。
私は知覧の特攻平和会館を2度訪ねました
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「祖国のため」と二十歳(はたち)前後の優秀な若者たちが、飛行機に爆弾と片道分の燃料を積んで沖縄の海を目指して飛び立ちました。
決死の特別攻撃つまり今の自爆テロを、カミカゼと当時の日本国民は讃えました。
知覧の特攻平和会館に残された千数十名の若者たちの写真や手紙、遺品を見ていると涙が溢れてきます。
「私くしは、死にたくありませんでした。」の御魂の叫びが、心に響いてきます。
by blues_rock | 2011-08-24 20:21 | 高齢者介護(認知症) | Comments(0)