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心の時空

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a day in my life

カテゴリ:美術/絵画/彫刻( 117 )

私の友人の展覧会を紹介します。
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彼は、自分の絵を土彩画と呼び、天然の土の色を生かした顔料で絵具をつくり、障子紙を幾重にも張り合わせたカルトンや板に絵を描いています。
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見ていてホンノリする楽しい絵でした。
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福岡市天神の新天町南通りにある「ギャラリーおいし」で今月末(7月31日)まで開催されています。
福岡市在住で絵が好きな方は、楽しくご覧いただけると思います。
by blues_rock | 2011-07-21 20:40 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
舟越保武(1912~2002)の彫刻・彫塑は、岩手県立美術館に多くあります。
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舟越保武作品展示室のとなりに、盛岡中学校の同級生松本竣介(1912~1948)作品展示室があり、万鉄五郎のコレクションと併せ充実した美術館です。
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舟越保武の彫刻は、クリスチャンとしての信仰に裏打ちされた女性の清楚な美しい作品が多く、見ていて安堵します。a0212807_028033.jpg
この美しさも、ほんの少し緩くなるときっと陳腐なつまらない俗なものに堕ちてしまう危うさはありますが、彫刻家舟越保武の才能にはそれはありません。
芸術作品の名作と凡作・駄作との格差は‥それはきっと見る人個人の感受性の差の問題で、見る人の心がドキドキ感動するか、ワクワクした気持ちになるか、ならないかの単純なことと私は思います。
芸術へのアプローチは、その作品が好きか嫌いか‥好き嫌いに理由などありません。
原口統三は「思想とは趣味の問題、好きか嫌いか、皮膚の感覚がすべてだ」と表現していますが、芸術も同じことと思います。
長崎市にある26殉教者記念像(1962)は、彼の彫刻を見るうえで重要な作品と思います。
デミアン神父像や島原の乱で殉教した武者像を見ていると信仰に支えられた表現‥力強い造形を感じます。
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生涯の友であり、同年齢の彫刻家佐藤忠良も多くの女性像を残しています。
女性を対象とした二人の彫刻を見て、その作品から彫刻家がモデルの女性から感じとるインスピレーション(イメージ)を想ってみるのもおもしろいかもしれません。
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舟越保武の随筆「巨岩と花びら」(ちくま文庫)も名文集です
by blues_rock | 2011-07-16 00:28 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
19世紀半ばイギリスの絵画運動ラファエル前派のリーダー、ジョン・エヴァレット・ミレー(1829~1896)が描いた傑作です。
30数年前、ロンドンのテート・ギャラリーを訪れた日、入館している人もあまりなく、回廊をゆっくり見て回っていたら、突然目の前に「オフェリア」が現れました。
まさに自分が溺死したオフェリアを発見したようで、もう息が止まりそうでした。
どれくらい絵の前にいたのか‥憶えておりません。
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モデルはラファエル前派を一緒に結成したロセッティの恋人(後年夫人となる)エリザベス・ジダル、ミレーはこの溺死したオフェリアを描くために、バスタブに水を入れ絵が完成するまでエリザベスに同じポーズを何度もとらせたそうですから、モデルの彼女も大変だったでしょう。
ロンドンに留学していた夏目漱石も「オフェリア」に感激しており、自著「草枕」の中にその記述があります。
ラファエル前派は、明治時代の洋画家にも大きな影響を与えており、とくに藤島武二は、アールヌーボー様式を取り入れたすぐれた作品を多く描いています。
by blues_rock | 2011-06-30 23:00 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
アールヌーヴォー(新しい芸術)は、19世紀末のヨーロッパを席巻した美術運動でした。
そのアールヌーヴォー美術様式を象徴的に表現したのが、ガラス工芸作家エミール・ガレ(フランス)やグラフィック美術のアルフォンス・ミュンシャ(チェコ)でした。
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アールヌーヴォーは、ドイツでは「ユーゲント・シュティール(青春様式)」と呼ばれ、オーストリアでは「ウィーン分離派」(画家グスタフ・クリムトが中心)と呼ばれました。
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アールヌーヴォーは新しい芸術でしたが、当時のヨーロッパ社会からは、その特異な幻想的雰囲気・神秘性・退廃的なイメージを強調され、世紀末芸術としてひと括りにされてしまいました。
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新しい芸術運動のアールヌーヴォーの原点は、ジャポニスム(日本美術)であります。
それまでのヨーロッパ芸術に、日本の美意識が触媒となり、ヨーロッパの芸術観を根底から変えたのでした。
a0212807_22372610.jpgフランス、ナンシーのガラス職人であったエミール・ガレ(1846~1904)は、ナンシーに留学していた日本人高島北海(1850~1931本名得三)に、運命的な出遭いをします。
エミール・ガレ40才、高島北海36才の時のことでした。
高島北海は、明治新政府の林業地質技官としてフランス林業を学ぶためでしたが、彼は植物学に造詣深く、絵を描くことも得意でしたので、数多くの写生(スケッチ)を描いて遺しています。
まさに高島北海が、描いた数多くの植物や昆虫・小動物の写生細密画をエミール・ガレは見て、彼の個性的で芸術性溢れるインスピレーションから、美しいアールヌーヴォー様式のガラス芸術作品は生まれました。
1976年福岡だったと記憶していますが、日本で最後の「高島北海展」を見ました。
彼のまとまった写生細密画(百数十点)はどれも見事な描写力で、高島北海の絵を見たエミール・ガレ始めナンシーの人々は、驚嘆し感動したことでしょう。
この展覧会の作品は、展覧会終了後、残念ながらアメリカのボストン美術館に収蔵されました。
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ボストン美術館の膨大な日本美術のコレクションは有名で、高島北海を加えたことでさらに充実しました。
とくにボストン美術館にある多数の浮世絵コレクションは、明治維新の文明開化に酔い痴れた当時の日本人が捨てた浮世絵をフェノロサが収集したものです。
by blues_rock | 2011-06-29 22:38 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
先日、デイサービス施設にみえられた12名の皆様に「放浪の天才画家長谷川利行」の絵の話(絵の時間)をしました。
長谷川利行の絵は「すばらしい」としか言いようがなく、敬愛する白洲正子さんの言葉を借りれば‥どきどきさせるものだけが美しい、そのものです。
長谷川 利行(1891年、明治24年~1940年、昭和15年、享年49才)は、京都府に生まれました。
和歌山県で育ち、十代に短歌・詩に興味を持ち歌集「長谷川木葦集」を発行しています。
1921年上京し小説などを書いていましたが、いつの頃からか絵を描き始め独学でフォービスムを彷彿させる色彩鮮やかな作品を数多く残しています。
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絵の才能(センス)と情熱の溢れるまま速い筆のタッチで一気に描きあげ、人物画・風景画に多くの傑作を残しています。
生涯家(アトリエ)を持たず、場所を選ばず、放浪しながら情熱のまま絵を描いていました。
展覧会で受賞(二科展樗牛賞など)するなど少しずつ評価を高めていきました。
しかし、彼の日常生活は、浅草などの貧民街で一日中絵を描いているか、絵を売り少しの金を得て酒を飲んでいるかでした。
彼と付き会いのある知人の絵を描いて、本人に送りつけ借金したり、岸田國士ら著名人宅に押しかけて絵を描いては、金をせびったりするなど彼の私生活は、荒れ果てていました。
彼を知る人たちは、後世まで彼のことについてあまり話題にせず(このために彼の行動経歴には分からないことが多く)長谷川利行の才能が、評価されたのは彼の死後数十年たってからでした。a0212807_16323273.jpg
40才を過ぎても木賃宿・公園での野宿・救世軍救済所など転々として絵を描きながら安酒を飲み暮らしていました。
彼を理解する友人天城俊彦の主宰する画廊で個展をしていましたが、安酒の飲み過ぎで胃潰瘍を悪化させ次第に身体を衰弱させていきました。
1940年(昭和15年)上野近く三河島の路上で倒れ療養施設に収容されました。
胃潰瘍は、胃ガンとなり治療が必要でしたが、彼は拒否し49才で亡くなりました。
彼の絵・スケッチブック・画材等の所持品は、この施設の規則ですべて焼却されたそうです。
翌年、彼の死を知った天城俊彦により施設から長谷川利行の遺骨が、引き取られました。
1969年上野不忍池に「利行碑」(字は熊谷守一書)が建てられ、それに彼の短歌が刻まれています。
2009年2月TV番組のお宝探偵団で長谷川利行の油絵(カフェ・パウリスタ)が、彼と交流のあった安宿経営者の自宅押入れから発見されたと安宿経営者の遺族の方から鑑定依頼が出ていました。
長谷川利行には偽物も多く鑑定依頼のあった絵は地味な色彩の風景画でしたが鑑定の結果、長谷川利行の作品でした。a0212807_16324856.jpg
この絵も宿代が払えずに、代わりに置いていったものと推察いたします。
放浪しながら、毎日浴びるように安酒を飲み、絵を描いては、人に手渡していた長谷川利行の絵が、まだどこかの家の押入れの奥か、納屋の片隅にホコリを被り、遺されているかもしれません。
by blues_rock | 2011-06-16 21:24 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
3年前、東京での生活も残り少ないとき、幸運にもこの二人の展覧会を見ることができました。
◇アメジオ・モディリアニ(1884~1920)◇
イタリア人、エコール・ド・パリの伝説的画家、貧困と持病(肺結核)さらに飲酒で35歳病没、夭折の天才です。
彼の生涯は、その波乱に満ちた人生により伝説となりました。
映画「モンパルナスの灯」(1958年フランス)は、モディリアニをジェラール・フリップが、妻ジャンヌをアヌーク・エーメが演じていて名作映画です。
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とくにリノ・バンチェラ演じる画商の獲物を狙うような演技が見事で、モディリアニの才能を高く評価していながら、生きている時には冷淡で、モディリアニが慈善病院で死の床に就くと知ると直ちにモディリアニのアトリエに行き、アトリエの絵を全部購入するという役どころを快演して印象に残ります。a0212807_22201797.jpg
彫刻家を目指していたイタリア時代は、アフリカ民族彫刻に影響を受けたことが当時のデッサンやエスキースで分かり、後年ののモディリアニが描く絵のフォルムと線に美しく表現されています。
どんな絵描きも残された数多くの作品の中にはどんなものかなと思う凡庸な作品もありますが、モディリアニにはそれがありません。
やはり天才だからでしょうか。
(右写真:名古屋市立美術館所蔵「おさげ髪の少女」)

◇モーリス・ド・ヴラマンク(1870~1985)◇
フランス人、フォービズム画家の一人と書いたら、彼は「オレは違うぞ!勝手に決めるな!」と怒鳴られそうな大柄で厳つい風貌の人でした。
若い頃は、ヴァイオリン演奏家・競輪選手で生活費を稼いでいたそうで、パリに行く汽車の中でドランと運命的な出会いをし、パリで共同生活を始めヴラマンクは本格的に絵を描き始めます。
マチスをヴラマンクに紹介したのもドランで、そのことからフォービズムが誕生します。
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ヴラマンクは、自由奔放な人で自分の感性以外を信じず、束縛されたり服従させられることが大嫌いでした。
絵画についても伝統や教育を拒否し、少年時代に受けた絵の手解き以外は独学でした。
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ただ一人ゴッホだけには強く影響され、画家として尊敬していました。
日本の画家では、佐伯祐三がヴラマンクの影響を大きく受けました。
ヴラマンクとの出会いで佐伯祐三の絵は一変、書を想わせる自由自在な絵筆のタッチで、パリの街角を描き数多くの傑作を生み出しました。
by blues_rock | 2011-06-15 22:22 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)
ルネッサンス期のイタリアで活躍したヴィンチ村出身のレオナルド(1452~1515)は、万能人で天才を超える天才でした。
当時のフィレンツェには、天才芸術家たちが、何人もいました。
なかでも天才を超える天才の彫刻家ミケランジェロ(1475~1564)・画家ラファエロ(1483~1520、少し年長ながら画家ボッティチェリ(1444~1510)と、人類史上二度と現れることのない美神(ミューズ)の申し子が、4人もいて、何んと27年もの間フィレンツェという同じところで同じ時代を共有し暮らしていました。
これを奇跡と言わずして、他に奇跡はありません。
ダ・ヴィンチの絵は、各国どの美術館でも国宝級の扱いなので、なかなか日本で見る機会ありません。
幸いなことに「白テンを抱く貴婦人」を東京でじっくり見る機会がありました。
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単眼鏡(少し離れたところから絵を拡大して見る望遠鏡のようなもの)持参し、絵の前で大勢の列をなしている入場者の頭越し肩越しに、時間をかけゆっくり見ました。
絵を見ると言うより、絵を観察したと言ったが良いでしょう。
「白テンを抱く貴婦人」は、完璧と思わず唸るくらい美しい絵です。
「受胎告知」を見た時にも同じ感激、感動を覚えました。
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美術館に単眼鏡を持参して行くと名画の楽しみ方が、ずっと増えます。
by blues_rock | 2011-06-12 20:57 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)