とうもろこしの島 シネマの世界<第724話>
オバシュビリ監督の静謐な演出と相俟ってハンガリーの名撮影監督エレメル・ラガリ(1939~)のカメラワークも抜群です。
ストーリーの骨子は、後ほど述べますが、映画には、ほとんどセリフがなく、ラガリ撮影監督の撮った美しい映像が、ラストまで緩まない緊張感と併せ映画を見る者の心を捉えて離しません。
映画の舞台は、ジョージア(グルジア)とジョージアから分離独立しようとするアブハジア自治共和国との間を流れる紛争地帯のエングリ川の真ん中に毎年春に出現する猫の額のような中州(0.5㌃くらいか)、登場する人物もほとんど老人と孫娘(少女)だけで二人が、中州を耕し、そしてとうもろこしを植え育て秋に収穫するまでを描いたそれだけの素朴でシンプルなストーリーながらもちろんドラマは、あります。
主人公の寡黙な老農民を演じるのは、ジョージアのベテラン俳優イリアス・サルマン(1954~ 勝新太郎と三船敏郎をダブらせたような雰囲気で秀逸)で、子供から思春期の少女に移ろっていく(劇中に初潮を迎える)純朴な孫娘を演じたマリアム・ブトゥリシュビリの清楚な美しさも必見です。
映画の中で老人と少女の会話は、ほとんどありませんが、時おり老人は、慈愛に満ちた穏やかな眼(まな)ざしで孫娘を見つめ、それを見つめ返す少女の瞳の何とすばらしいことか‥一方、時おり川の対岸から聞こえる銃声と両軍の哨戒ボートの出現で老人と少女二人の暮らす中州が、不穏な空気に包まれ二人は、紛争地帯にいることが、分かります。
映画の後半、負傷した若いジョージア兵(イラクリ・サムシア)が、中州に逃げ込んで来たことで映画は、大きく変調していきます。
思春期の孫娘が、言葉の通じない若い兵士に興味を覚えたことに気づいた老人は、少女を中州から普段住む村に帰しました。
アブハジア軍の哨戒ボートが、中州に上陸、負傷した若いジョージア兵士を捜していることを老人に伝えました。
コーカサス山脈の南に位置するグルジア共和国は、1991年のソ連解体で独立、ジョージア共和国となりました。
1992年ジョージアの黒海沿岸に暮らす歴史・文化・宗教・言語など独自の民族アイデンティティを持つアブハジア人たちは、アブハジア自治共和国として独立、こうしてジョージア内戦が、始まり人びとの暮らしを破壊し多くの難民を生みました。
大自然の悠久な流れの中でそこに暮らすちっぽけな人間たちが、些細な相違だけをことさら強調し、いがみ合い殺し合う戦争の愚かさをオバシュビリ監督は、寓話的表現ながらドキュメンタリーのようなリアリティ(写実映像)で撮っています。
「とうもろこしの島」を見ていて、戸内海の水もない瀬無人島で段々畑を耕しながらサツマイモや米を育てる日本映画の「裸の島」、黙々と働く老人と少女二人の姿にドイツ映画の「ニーチェの馬」、さらに主演した少女は、カザフスタン映画の「草原の実験」を思い起こさせます。
どの作品も映画史にのこる傑作なので “お見逃しなく!”