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心の時空

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最期のレッスン(92歳のマドモアゼル)  シネマの世界<第705話>

フランスの女性監督パスカル・プザドゥー(1966~ 女優)は、フランスのジョスパン元首相の母ミレイユ・ジョスパン(「尊厳をもって死ぬ権利協会」活動家)の人生を娘で作家のノエル・シャトレ(1944~ ジョスパン元首相の妹)a0212807_22133033.jpgが、書いた伝記小説「La Dernière Leçon(最期のレッスン)」をもとに「尊厳死(自死)」をテーマ(プロット)に映画化しました。
同じフランスのステファヌ・ブリゼ監督(1966~)は、2013年に「母の身終(みじま)い」で「尊厳死(安楽死)」を取りあげ、末期ガン(悪性の脳腫瘍)の老女が、終末期医療(ターミナル・ケア)を拒否し自分の意思で尊厳死(安楽死)するまでを描いています。
ほとんどの国が、そうであるようにフランスもまた‘尊厳死(安楽死)’は、法律で認められておらず他者が、どのようなカタチでも尊厳死を手伝うと‘自殺幇助罪(犯罪)’に問われます。
脚本と監督のプザドゥー監督は、自分の意思を貫き92歳で尊厳自死したミレイユ・ジョスパン(1910~2002)a0212807_2214024.jpgの‘自分で死を選ぶ権利’を弁護するように映画の主人公である「92歳のマドモアゼル」マドレーヌ(マルト・ヴィラロンガ 1932~)が、自分の老いていく姿に真摯に向き合いながら自らの人生を全うするため強固な意思(哲学)で尊厳自死するまでをワンシーン=ワンカットで丁寧に撮っています。
a0212807_2215935.jpg劇中に流れるジルベール・ベコーのシャンソン「そして今は(Et maintenant 1962リリース)」が、この映画のために歌われているようで新鮮です。
「 今となってはどうしたらいいんだ / この先ぼくの長い人生を / まわりのどうでもいい人たちを / 君が去った今となっては / 日々訪れる夜は / 何のため誰のためなんだ? / a0212807_22202479.jpgそして再び朝が訳もなくやってくる / この心は誰のため / 何のために鼓動しているんだ? あまりも激しく / 激しく動いている 」 ミレイユ・ジョスパンの娘である原作者のノエル・シャトレは、映画では、ディアーヌ(サンドリーヌ・ボネール1967~ 1989年「仕立屋の恋」、2004年「灯台守の恋」と同2004年「親密すぎるうちあけ話」のファムファルが秀逸でした)として登場します。
a0212807_22244541.jpgマドレーヌは、92歳の誕生祝いの席で突然、娘のディアーヌ夫婦や息子のピエール(ノエル・シャトレの兄であるリオネル・ジョスパン元首相1937~、演じるのはパスカル・プザドゥー監督の夫 アントワン・デュラリー 1959~)夫婦そして孫もいる家族の前で、2か月後に尊厳自死する決意を皆なに伝えました。
a0212807_22271232.jpg驚くディアーヌ、唖然として猛反発するピエールに 助産婦として長年働き、人権運動の活動家だったマドレーヌは、「30年前から私は、自分のことを自分で出来なくなったら自殺すると伝えている」と冷静に語るのでした。
脚本を書いたプザドゥー監督は、原作者のノエル・シャトレと綿密な打ち合わせをしながらマドレーヌのモデルであるミレイユ・ジョスパンが、生前そうa0212807_22274787.jpgであったように、人生に前向きで明るくユーモアのある女性として描くと決め暗く陰鬱な作品にしないようにしていたとか、劇中でも母マドレーヌと娘ディアーヌの笑顔や笑い声は、愛にあふれています。
自立して92歳の今日まで生きて来た母マドレーヌの人生を娘ディアーヌが、少しずつ理解しつつも、それでも同意できない気持ちa0212807_22285691.jpgと葛藤しながら母の強い意思である尊厳自死に協力していく姿が、胸を打ちます。
92歳のマドレーヌは、老衰していても認知症の発症が、ありません。
‘尊厳自死’は、私自身の命題ながら認知症になると脳機能が、低下(劣化)し尊厳死という人生の最も大切な自己判断は、もはや不能となり‘尊厳自死’不可能となることが、私は、怖いのです。
by blues_rock | 2017-05-11 00:01 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)