長年、私淑していた
玄洋窯主人の冨永さんに、この春から押しかけ入門し、陶芸を学んでいます。
初日、工房に入るなり陶土(つち)の塊をどんと目の前に置かれ「ロクロ?手びねり?」と冨永さんから訊ねられ
ましたので「手びねりで‥」と神妙にお願いしました。
東京から福岡に帰り、念願の金継ぎをするようになると ‘呼継ぎ’や‘共継ぎ’ はおろか、高台のある古陶片に
は、
刻苧(こくそ)で成形して金継ぎするようになり、やがて自分の好き勝手に作陶した茶碗や器にも金継ぎ(陶漆)したくなりました。
安土桃山時代から江戸初期の博多の豪商にして有名な茶人であった神谷宗湛(1551~1635)は、利休の後継者であった茶人古田織部(1543~1615)好みの茶碗を「ヘウゲモノ也」と呼び宗湛日記に書き残していますが、
そんな織部風の沓(くつ)茶碗や畏敬する
本阿弥光悦、
川喜多半泥子の作陶した茶碗の写真を持参し、私は、とにかく「歪(いびつ)な形の茶碗」や「窯疵(かまきず)のある器」を焼成したいとロクロ名人の陶工 冨永さんに
無礼な戯言(たわごと)と承知のうえでご指導をお願いしたところ、快く引き受けていただきました。
陶土(つち)を練り、塊を叩き、成形したかたちを歪ませ、削り、引っ掻き、釉を生がけし‥と、まだ窯に入れて焼成は、していないものの、少しずつ棚にならんでいく未完の傑作を眺めていると次第に妄想だけが、ビックバンのようにとめどなく広がっていきます。
そんなことを私が、働く
高齢者介護 施設で同僚の皆なに話していていると私の話を聞いていたケアマネージャーから「介護認定を申請したらどうですか? 介護度2は、いくと思いますよ。」と、真顔でアドバイスされました。