ある天文学者の恋文 シネマの世界<第715話>
ボッティチェリやラファエロなど ルネッサンス期の天才画家たちは、目の前のヴィーナス(ミューズ)を見て、芸術家としての本能(衝動)が、作動し絵画に昇華させたようにトルナトーレ監督とて同じ芸術家本能に衝き動かされ映画という媒体に昇華させたのだろうと推察します。
映画は、オルガ・キュリレンコの一人舞台のようなもの‥初老の天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ 1948~)と教え子である若い恋人エイミー(オルガ・キュリレンコ)とのロマンスを‘天文学’になぞらえ展開していきます。
トルナトーレ監督の演出が、撮影監督のファビオ・ザマリオン(1961~、2013年「鑑定士と顔のない依頼人」)の映像とトルナトーレ監督作品の不動の作曲家エンニオ・モリコーネ(1928~)の音楽と見事にコラボレーションし名ジャズメンのセッションのように融合しています。
若い天文学者のエイミーは、ある日突然、師であり恋人でもある天文学者エドの死をテレビのニュースで知り驚きました。
慌ててエドの携帯に電話しますが、彼の電話からは、いま電話に出れませんのメッセージが、あるだけでした。
悲嘆にくれているエイミーのもとにエドからのメールやスカイプ、さらに手紙やメッセージ付きの花束、宅配便によるプレゼントなどが、日付を更新しながら次々に届きます。
これは、一体どういうことなのか?
エドの死が、どうしても信じられないエイミーは、その真相を探るためにエドが、暮らしていたエディンバラを訪ねました。
天文学にたずさわる二人の恋愛(ロマンス)なので‘天文学’に関わる知識が、必要です。
1光年は、地球から9.5兆㎞離れたところから発せられた1年前の光のこと(私にはピンと来ませんが)、正に天文学的数字ながら 1 光年の星をいま地球で見ている私たちは、その星の一年前を見ていることになります。
今の瞬間、その星が、突然消滅しても地球にいる私たちは、1年間(365日の間)、その星が、宇宙に存在しているように“見える”のです。
私たちは、普段太陽から届く光を‘8分前の光’であると意識しませんが、リアルタイムでいうと確かに8分の誤差は、あるのです。
40年前の1977年にアメリカ(NASA)から飛び立った宇宙探査機ボイジャー1号が、1光年の距離(9.5兆㎞)まで行くには、私たちの地球時間でなんと 18, 000年!かかります。
銀河系(天の川、上写真)の直系は、10万光年だとか、私たちが、肉眼で見ることのできる最も遠いアンドロメダ銀河(1兆個の太陽=恒星が有ると推察される天体、左写真)は、地球から 250万光年‥だそうです。
ともあれビックバンし続ける宇宙にあって物質の最小単位である素粒子の大きさにも届かない “しがない人間”が、抱える愛や人生なんてすべて ‘この時間のズレ’のようなもの‥ならば、アインシュタイン博士やホーキンス博士のような頭脳を持ち合わせていない“ズレた私たち凡人”は、ありのままを受け入れて、私たちの瞬時(瞬きのような人生)にめぐり遭った愛や美など心が、感動(官能)する幸せを享受し、その人生に感謝して生きていくだけのように私は、思います。
(右写真 : ジュゼッペ・トルナトーレ監督と女優オルガ・キュリレンコ)