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心の時空

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a day in my life

壱岐の 一支國(いきこく)

博多埠頭から玄界灘の荒海をフェリーで2時間半 ‥ 台風22号の九州接近に気を揉みながら日帰り社員旅行で壱岐に行って来ました。 (下写真 : 壱岐市立一支国博物館=長崎県埋蔵文化財センター)
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壱岐には、これまでも何度か行きながら特産の麦焼酎(麦焼酎発祥の地とか)と魚介類とくにウニが、つとに有名なことくらいしか知らず、今回も国の特別史跡(国宝遺跡)「原の辻遺跡」をこの目で見たいくらいの軽い気持
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ちでした。 (上写真 : 一支国博物館 中央の展望台 左に見える特別史跡 ‘原の辻遺跡’ の拡大写真)
ところが、離島で初めて設置された長崎県埋蔵文化財センターを併設する「壱岐市立一支国博物館」(2010
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年設立)を訪ねてびっくり、長崎県が、離島の壱岐に埋蔵文化財センター を設けた理由(わけ)は、戦前より壱岐に住む個人の郷土古代史研究家や民間の遺跡研究グループによる長年の発掘調査と研究努力で‘原の辻’に
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「魏志倭人伝」(こちら参照、上写真 ‘倭人傳’ は、壱岐に王都が、あったことを記載している。 卑弥呼と邪馬台国については、下段に記載されている。)に記(しる)された ‘一支國(いきこく)’ の中心地(首都)に設けた港の
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遺構(人工の石垣)と当時3千人あまりが、暮らしていたと推測される遺跡の発見でした。
1997年、国は、壱岐原の辻一帯を国の特別史跡「原の辻遺跡」として吉野ヶ里に次いで3番目の特別史跡(国
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宝遺跡)に指定しました。
現在(いま)長崎県と壱岐市は、壱岐全島から出土した弥生時代から一支國さらに朝鮮半島と九州を繋ぐ海の
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交易に関わる多数の遺構や遺跡、古代の道具類ならびに弥生土器・土師器・須恵器・古陶器類の破片を一支国博物館(兼、埋蔵文化財センター)に集め展示しています。
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私が、一番注目したのは、壱岐勝本にある神社「聖母宮(しょうもぐう)縁りの「飴柚三耳茶壷(あめゆうさんじちゃつぼ)」で、“天正二十年(注:1952年)の銘” が、刻印された最も古い古唐津の茶壺の存在でした。
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他にも交易の証である古銭の入っていた古壺、須恵器、土師器などもう一度ゆっくり時間をかけて見たい一支国博物館でした。
壱岐の 一支國(いきこく)_a0212807_224335100.jpg余談ながら梅屋庄吉夫人 徳子が、壱岐勝本の出身であることを一支国博物館で知りました。
梅屋徳子は、夫庄吉に仕え孫文の中国(辛亥革命を支援、孫文(「孫文と庄吉」参照、現中国建国の父、毛沢東は孫文の比ではない)が、宋慶齢(そうけいれい1893~1981 中国国家副主席)と日本で結婚するとき夫庄吉と媒酌人を務め、徳子と宋慶齢の長きにわたる厚い友情は、歴史教科書で教えない大切な逸話です。

(右写真 : 左から、梅屋徳子、孫文、宋慶齢)
by blues_rock | 2017-11-01 00:01 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)
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