ヒポクラテスの子供たち シネマの世界<第768話>
この映画が、長編2作目となる若手監督トマ・リルティ(1976~)は、医者であり映画監督の今でも医療に携わり
医者を続けているので映画のプロット(=フランス病院の医療現場)にリアリズムが、あります。
とくに、日本でも時どき社会問題になる「病院(医者)の医療ミスとその事実の隠ぺい」(内部告発か 家族の告訴以外 ほとんど全部隠ぺいされている)ならびに尊厳死(安楽死)の問題についてのリルティ監督の脚本と演出は、秀逸です。
フランス社会の弱者である移民労働者についても世界中に植民地を所有していたフランスは、いまでも人種差別の国であることが、この映画から良く分かります。
余談ながら7つの海を支配したイギリス(大英帝国)の人種差別は、差別というより‘区別’(階級)であり、アメリカの人種差別(レイシズム)が、隔離政策(抑圧と分離=奴隷制度)であること、日本社会にも旧く(江戸時代)は、士・農・工・商の身分制度とさらにその下の穢多(えた)・非人(ひにん)と徹底した階級階級で同じ民族ながら身分を越えて結婚どころか交流もできませんでした。
近代日本でも明治時代すでに在日中国人(華僑の子孫)とか、在日朝鮮人という扱いで移民問題は、顕在化しており、古代日本の大和国と朝鮮半島西南の百済国の連合軍が、663年の‘白村江の戦い’で古代中国の唐と朝鮮半島東南の新羅国に大敗、その時大和国は、国家消滅した百済国から難民(移民=朝鮮民族)を大量に受け入れおり、古代日本にすでに大勢の外国人移民が、いました。
現在日本は、未曾有の少子高齢化社会となっており、その対応のため今後(もうすでにかも)大勢の外国人移民が、日本社会の一員となっていくと思います。
閑話休題、フランス社会の移民問題から脱線、話を映画「ヒポクラテスの子供たち」に戻します。
医者見習いのインターン バンジャマン(ヴィンセント・ラコステ 1993~)は、父バロワ教授(ジャック・ガムブリン 1953~)が、院長を務める内科医療センターで実習として働き始めました。
白衣を着て医師として現場に出るや彼は、すぐに様々な難局に直面しました。
バンジャマンの同僚で先輩インターンのアブデル(レダ・カテブ1977~)は、医療の知識と臨床経験豊富なベテランの医師見習いですが、フランスの旧植民地アルジェリア出身なので差別され医師になれないうえ、安い賃金に過酷な労働条件(住居も病院内の古い空き部屋)で働いていました。
バンジャマン当直の夜、アルコール中毒者が、腹痛のため急患として入院するも心電図モニターの故障により心電図を録らず急きょ鎮痛剤を投与し安眠させました。
ところが翌朝、この患者が、死亡しており、バンジャマンの上司医師(マリアンヌ・ドゥニクール 1963~)は、カルテを見て、すぐに医療ミスに気づき、この事実を隠ぺいするため彼にカルテ改ざんの口裏を合わせるよう命じました。
医療経験豊富なアブデルは、医療ミスを疑います。
突然亡くなった患者の妻も治療経過の説明を求めました。
バンジャマンは、医師としての将来に不安を覚える中、集中治療室のベッドに横たわり激痛に苦しみながら死を待つ末期ガン患者の老女から「痛みが、苦しく耐えられない。 どうか私の延命治療は、しないで欲しい。」と訴えられ、家族からも苦しませないで欲しいと要請されました。
人間の尊厳と法律のどちらが、優先されるべきか ‥ バンジャマンは、アブデルに相談しました。
アブデルは、治る見込みのない末期ガン患者が、集中治療室のベッドの上で管につながれ苦痛に喘ぎ苦しんでいるのを見ているのは、不正義で、解放してあげるべきという医師としての信念を バンジャマンに伝えました。
フランスは、法律で ‘尊厳死(安楽死)’ を認めていませんが、(日本も同じながら)バンジャマンは、病院の方針に逆らってアブデルと二人で集中治療室の人工生命維持装置のスイッチを切りました。
しかし、病院(理事会)の処分が、外国人(アルジェリア国籍)インターン アブデルの処分は、重く医師としての未来が、断たれ、患者の担当医であった自分の処分は、院長の息子ということもあり軽い処分(情状酌量)でした。