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心の時空

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たかが世界の終わり  シネマの世界<第678話>

カナダの天才映画監督(にして名優)グザヴィエ・ドラン(1989~)が、監督・脚本・編集・製作した最新作「たかが世界の終わり」(カンヌ国際映画祭 審査員特別賞グランプリ受賞作品)をKBCシネマで見ました。
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フランスの劇作家ジャン=リュック・ラガース(1957~1995 エイズにより夭折、享年38歳)の‘家族’をテーマにした戯曲「Juste la fin du monde(たかが世界の終わり)」が、原作なので映画は、舞台の室内劇(ドラン監督の脚本a0212807_3531618.jpgも家族で喜怒哀楽をぶつけ合う心理劇にしている)を見ているようでした。
‘家族’を構成するのは、ドラマの中心人物となる劇作家の次男ルイ(ギャスパー・ウリエル 1984~)、そして母マルティーヌ(ナタリー・バイ 1948~、フランソワ・トリュフォー監督1977年作品「恋愛日記」、グザヴィエ・ドラン監督作品「私はロランス」出演)、ならびに長男アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル 1966a0212807_3534426.jpg~)と妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール 1975~)、さらに末娘の妹シュザンヌ(レア・セドゥ 1985~)の 5人です。
映画は、12年前に家を出て家族と疎遠であった劇作家の次男ルイが、「不治の病で余命わずかなこと」を家族に伝えるために故郷に戻る冒頭から家族の間に緊張感を漂わせ、結局「自分の死」を言えぬまま家を出て行く最後まで家族5人は、お互い感情的な愛憎と確執をぶつけ合う奔流のような言葉(セリフ)が、饒舌に続きます。
a0212807_3561643.jpg次男ルイの予期せぬ帰省をきっかけにして家族5人が、過剰すぎるくらいのハイテンション(喜怒哀楽)で感情をぶつけ合う演技は、さすがフランスを代表する名優(名女優)たちでリアリティとインパクトがあります。
ドラン監督の演出は、現在をロー・キー(ソフト)ライティング、過去をハイ・キー・ライティングの映像にし、人物の心理を捉えるためa0212807_3565578.jpgに表情の(特に目の)クローズアップ(ビッグ・クローズアップ、エクストリーム・クローズアップ)を多用(ほとんどと言っても良いかもしれない)、ドラン監督演出の意を酌んだ盟友のアンドレ・トリュパン撮影監督(1966~)が、その一瞬の表情を見事なカメラワークで撮っています。
「たかが世界の終わり」にストーリーらしいストーリーはなく、家族が、お互い抑制していた自分の感情と鬱積しa0212807_3573221.jpgた心情に翻弄されて愛しているのに言わずもがなの憎まれ口を叩くという自分の愛情を家族に上手く伝えられずに苛立ち落ち込む誰にも心当たりのあるもどかしくいある意味地味な作品ながら間違いなくすばらしい映画でした。
最後にドラン監督のカンヌ国際映画祭授賞式でのスピーチを紹介いたします。
a0212807_3593241.jpg「(前述省略)この映画の感情をくみ取っていただき、ありがとうございます。 感情というのは、単純なものばかりではなく、それを他の誰かと分かち合うのは、簡単なことではありません。 時に甲高い叫び声や、突き刺すようなまなざしを伴い、暴力すらほとばしります。 ジャン=リュック・ラガルスの「まさに世界の終わり」のような名作をもとに、原作を汚さないように心がけつつ、汚したとa0212807_403435.jpgしても、最善を尽くして、そこから1本の映画を抽出し、物語を紡ぎ出そうと努力しました。 登場する人物は、ときに意地悪く、ときに毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。 彼らは、我々のまわりにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くが、そうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。 そんな登場人物たちの感情を描き出すことを、ぼくは、目指しました。 私たちが、この世で求める唯一のことは、愛し、愛されa0212807_412157.jpgることです。 とくにぼくは、愛されたい欲求が、強いのだと思います。 原作者のラガルスが、見事なまでに想像し、ギャスパー・ウリエル、ナタリー・バイ、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤールらが、人間的に演じ血肉を与えた登場人物たちも、それは、同じです。 ぼくは、成長するにつれて人から理解されることの難しさを知るようになりました。 でも今日、自分のことを理解し、自分が、何者かをようやく知ることができました。 今夜、皆さんが、同席a0212807_441448.jpgし、示してくれた言葉や理解と愛情を見て確信しました。 妥協したり、安易な方に流されたりせず、ハートと本能を持つ、我々のような人間を描く映画を作るべきだと。 感情は、相手に届くまでに時間がかかることもありますが、何れ必ず届くものです。 ただ、わが友フランソワ・バルボには、もう届きません。 偉大な衣装デザイナーで、偉大な芸術家だった彼は、存命であれば、こうa0212807_464751.jpgして彼の名前を挙げて話すことを嫌がったでしょう。 本当に有能で謙虚な人でした。 彼は、別れも告げずこの映画を見ることもなく我々の元を去りました。 どこかで見てくれたと思いますが、感想を聞けなかったのは、残念です。 2年まえもここに来て、ぼくの人生を決める瞬間を経験しました。 そして、今こうして再び人生を変える舞台に立っています。 a0212807_471938.jpg闘いは、続きます。 これからも人々に愛される、あるいは嫌われる映画を作るでしょう。 それでもアナトール・フランスが、言ったように‘無関心な知恵より情熱的な狂気の方がいい’のです。」
私は、カナダから登場した不世出の天才映画監督にして名優そして万能映画人であるグザヴィエ・ドランのさらなる活躍を大いに期待しています。
by blues_rock | 2017-02-22 00:02 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)