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心の時空

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ボヴァリー夫人  シネマの世界<第660話>

今から160年前の1856年(映画の舞台となる時代と風俗を日本の歴史に置き換えると江戸末期の幕末のころ)、フランスの文豪フローベール(1821~1880)は、4年半の歳月をかけて姦通(不義密通)文学の傑作と称賛される「ボヴァリー夫人」を発表しました。
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現在では、大人の自由恋愛(ロマンス)に大らかなフランスも当時、市民階級の既婚女性が、夫の他に恋人(愛人)をもち夫以外の男性と性的関係をもつことは、天下の大罪でした。
当時は、洋の東西を問わず妻帯者の男性が、愛人(日本の場合、妾)をもつことは、至極当然な行為で日本なa0212807_13144041.jpgら‘男の甲斐性’の一言で片づけられていました。
しかし、当時の既婚女性は、今では、死語となった‘夫への貞節’(貞操帯などと云う性行為を妨げる装具もありました)を強制されました。
恋愛(ロマンス)は、個人的な心の問題なのに、道徳と云う大義名分のもと他人の価値観(宗教観・道徳観など)a0212807_13153914.jpgが、女性に強要されていたのです。
倫理規範のない現在の男女同権社会において、男女間の自由な恋愛(性愛)を‘不倫’などと云う古典的な表現で‘言葉遊び’するなんて愚の骨頂と云うものです。
さて、映画「ボヴァリー夫人」の物語は、19世紀末のフランス、ノルマンディ地方の田舎町が、舞台です。
a0212807_13201454.png映画は、主人公のエマ・ボヴァリー(ミア・ワシコウスカ1989~)が、森の中をよろめきながら歩き倒れ絶命するところから始まります。
エマは、農家の子供に生まれるも貧乏と質素な暮らしが、イヤで少女の頃は、お姫様になることを夢見、子供心に夢が、叶わないと知ると娘時代は、胸に十字架を抱いた清楚な修道院の聖女に憧れますが、修道院の厳しい戒律と修業に耐えきれず挫折、つぎに手っ取り早く金持ちと結婚して自分の自尊心と虚栄心をa0212807_13205077.jpg満足させようとエマは、知り合いの金貸し商人が、紹介する年長の町医者と結婚しました。
しかし、エマは、鄙びた田舎の実直な町医者に嫁いだものの平凡な毎日、単調で退屈な結婚生活にうんざりしていました。
虚栄心の強いエマは、旧知の商人に煽(おだて)てられて身分不相応の衣装や装飾品、調度家具類を次々に
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購入し自己満足しようとしますが、働くだけの夫との生活(性生活も含め)は、退屈な時間の連続でした。
ロマンティックな妄想に囚われ積もり積もった莫大な借金(自己破産)に苦しむ町医者の妻エマは、若く美しい彼女に下心をもって近づいて来る資産家と交際(姦通=不倫)を始めました。
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やがて、夫が、邪魔になったエマは、病気になった夫の処方箋を書き変え毒殺しようとしますが、薬屋の主人に気づかれ殺人未遂罪で逮捕されました。
フローベールは、「ボヴァリー夫人は私だ」と喝破しています。
a0212807_13233255.jpgエマの少女時代から思春期のロマンティックな人生への憧れ、虚栄心を満たすための結婚、自尊心を満たすための贅沢三昧の浪費生活、恋愛という美名の姦通(不倫、援助交際)、借金地獄など自分の現実に押しつぶされて破滅(自殺)に至るまでをリアルな文章でシリアスに描き文学史上に写実主義という新ジャンルを確立しました。
「ボヴァリー夫人」は、発表当時、風紀紊乱(ふうきびんらん)による公衆道徳違反で発禁になりました。
a0212807_13251898.jpgしかし、フローベールの写実主義は、ゾラやモーパッサンの自然主義文学に大きな影響を与えました。
「ボヴァリー夫人」は、古くから何度も映画化され1933年フランスのジャン・ルノワール監督、1949年アメリカのヴィンセント・ミネリ監督、1989年ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督、1991年フランスのクロード・シャブロル監督といずれも名匠の誉れ高い名監督ばかりです。
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2014年製作の最新「ボヴァリー夫人」は、フランスの女性監督ソフィー・バーセス(1974~)が、監督・脚本・製作を担い、撮影は、バーセス監督の夫アンドリー・パレーク撮影監督(1971~)が、務めています。
劇中に登場する男たち(夫以外)は、虚栄心に支配され自尊心ゆえに無いものねだりを続ける主人公エマ・ボa0212807_13321117.jpgヴァリーを ‘喰いもの’ にするロクでもない男ばかりで美辞麗句を並べ、欲望のために骨までしゃぶり、邪魔になるとポイ捨てするような男たちです。
女性監督ソフィー・バーセスの映画に登場する男たちに向ける視線(演出)は、男の本質を射抜き、容赦なく辛辣で映画を見ている私に「あなたのことですよ」と云っているかのようでした。
by blues_rock | 2016-12-24 00:04 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)