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心の時空

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a day in my life

窯元探訪 上野(あがの)窯

金継ぎ工芸会恒例の、秋の研修で上野(あがの)窯を訪ねました。
a0212807_11221481.jpg今回、初めて上野(あがの)を訪ねる私は、他の近在の窯元、唐津、高取、小石原、小鹿田との比較に興味が、ありました。
上野(あがの)窯は、1602年、当時小倉藩主の細川忠興(1563~1646、茶人 細川三斎、細川ガラシャは夫人)が、朝鮮陶工 金尊楷(キムソンカイ)を招き、豊前国(田川郡)上野(あがの)に登り窯を築かせ開窯させたことに始まります。
細川忠興は、帰化した金尊楷(キムソンカイ)に上野喜蔵高国の名を与え、5人扶持 15石と云う破格の待遇(武士扱い)で召抱えました。
その後、細川忠興が、肥後国(熊本)に転封(国替)されると上野に次男と娘婿の家族を残し忠興に同行、八代a0212807_11271864.jpg郡高田(こうだ)に窯を築きました。
有田では、藩祖の鍋島直茂と同格扱いで朝鮮陶工の李参平(帰化名 金ヶ江 三兵衛)を「陶祖」として1917年、陶山神社に「陶祖 李参平碑」を建立、神として祀りました。(詳しくは こちら をご覧ください。)
朝鮮陶磁器焼成の最新技術と知識を有した渡来陶工に名を与え(江戸時代では武士扱い)、敬い石を扶持して(給料を支払って)待遇したことが、良く分かります。
左は、上野焼皿 2枚(上: 径14㌢ 縁に2㌢の窯疵、下:径9㌢ 片身変わり)
by blues_rock | 2016-10-24 11:20 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
Commented by j-machj at 2016-10-25 23:20
僕は直方の出身なので、家に上野焼はたくさんあります。
上野は、遠足でよく立ち寄っていました。
この辺りは、他に高取焼もあるでしょう。
直方市と田川郡にまたがる鷹取山という山があります。
そこは、かって黒田藩の支城が築かれていたのですが、発掘調査をしたときに、焼き物の破片がたくさん見つかったそうです。
福岡に引っ越してきて、早良区に高取という地名があるのを知りました。
直方の高取焼と関連があるのかな?と思っていたら、やはりそうでした。
Commented by blues_rock at 2016-10-26 08:43
上野窯は、いろいろな釉薬を使って焼成していますので、陶器にヴァリエーションが、あります。
私は、‘柿の蔕(かきのへた)’を思わせる上野焼の渋い器が、好きで2枚の皿を買いました。
ご自宅にある上野焼は、代々大切になさってきたものと推察しますので、良い味わいが、付いていることでしょう。
欠けたり割れたりしても金継ぎすれば、価値は、落ちません。
これからも大切になさってください。