吟遊詩人 ボブ・ディランにノーベル文学賞
1962年3月にデビュー(ビートルズは同年9月デビュー)して、54年‥75歳のいまもミュージシャンとして「ネバー・エンディング・ツアー(コンサート)」を行なっていますので尊敬いたします。
ボブ・ディランの本名は、ロバート・アレン・ツィンマーマンと云いアシュケナジム系ユダヤ人移民の子孫(3世) としてミネソタ州に生まれました。
子供のころから音楽好きでエルビス・プレスリーに憧れロックンロール・ミュージシャンになることを夢見ていました。
十代の終わりにウディ・ガスリー(1912~1967 「This land is your land」わが祖国 )のフォーク・ソングを聴いたことでボブ・ディランは、エレキ・ギターからアコースティク・ギターに持ち替えて自分の詩を詠うフォーク・シンガーになりました。
1963年リリースされた2枚目のアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」が、人気となり特にA面1曲目の「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」は、ベトナム戦争の反戦気運と公民権運動の高まりと相俟ってプロテスト・ソングの象徴となりました。
1964年発表のアルバム「時代は変わる(The Times They Are a-Changin' )」のヒットでボブ・ディランの名前は、プロテスト・フォークシンガーとして一人歩きするようになりました。
ボブ・ディランは、このころから自分の詩が、勝手に解釈され、若者たちから反戦運動や社会運動の象徴として扱われることに辟易(へきえき)し、大げさな自分のイメージに違和感を覚えるようになりました。
1963年から1964年にかけてボブ・ディランは、イギリスへ行くことが、多くなり、ビートルズやローリング・ストーンズと交流、イギリスのロック・バンドに刺激を受けたボブ・ディランは、またエレキ・ギターを持つようになりました。
ボブ・ディランは、1965年「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」、同年「追憶のハイウェイ 61」、1966年「ブロンド・オン・ブロンド」と立て続けに3枚の‘フォーク・ロック’(エレキ・ギターによるフォーク・カントリー・ブルースの融合した新しいロック・ミュージック)の名盤アルバムを発表、ロック・ミュージシャン ボブ・ディランの誕生を宣言しました。
アコースティック・ギターでプロテスト・フォークソングを歌うボブ・ディランを信奉していたファンは、ブーイングを浴びせますが、ボブ・ディランは、意に介せず「ライク・ア・ローリングストーン」を歌い「アイ・シャル・ビー・リリースト(私は解放されるだろう)」と旧い時代の自分から立ち去りました。
それから半世紀、「風に吹かれて」いれば、「時代は変わる」を具現した偉大なロックの吟遊詩人 ボブ・ディランにノーベル文学賞が、授与されました。
余談ながらボブ・ディランが、ロサンゼルス郊外にある孫の通う幼稚園を訪ねたときの園児たちの反応は、「変なおじさんが、来て、ギター弾きながら、怖い歌を唄ってくれた」と家に帰って両親に報告したそうで園児たちにとっては、変なおじさんも彼らの父母や祖父母だったらきっと興奮、大騒ぎだったことでしょう。
ともあれボブ・ディランご本人は、いたって冷静で、ノーベル文学賞受賞について一切ノーコメント‥受賞発表の後のコンサートでは、来場者の大歓声や万雷の拍手にも何も語らず、ピアノに向かい淡々と「風に吹かれて」や「時代は変わる」などの自分の詩を弾き語るように歌ったと新聞のコラムにありました。
ノーベル文学賞を選考したスウェーデン・アカデミーは、本人との連絡が、付かないと困惑し、ボブ・ディランの音楽仲間の一人は、「(本人は)受賞を認めたくないのでは‥」と語ったと他の記事にありました。
ボブ・ディランについては、これまでも関連する記事を書きましたのでよかったらご覧ください。
1. ボブ・ディラン ‥ Like A Rolling Stone(追憶のハイウェイ61)
2. トッド・ヘインズ監督映画「アイム・ノット・ゼア」 ‥ 6人の俳優にボブ・ディランを演じさせるという奇想天外な作品ながら秀作映画です。
3. ノーマン・ジュイスン監督映画「ザ・ハリケーン」& ボブ・ディラン「Hurricane」 ‥ 映画「ザ・ハリケーン」に挿入された名曲「Hurricane」(1975年)の散文詩が、すばらしくノーベル賞級です。
4. トーマス・ヤーン監督映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」 ‥ ボブ・ディランの名曲「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(天国への扉)」にインスパイヤーされて製作されたアバンギャルド映画ながら秀作です。
5.ボブ・ディランの新アルバム「テンペスト」
このレコードジャケット?は「タクシードライバー」のポスターに似てますね。
女の子がいなければ、完全にデ・ニーロと同じポーズですよ(笑)
と、いうことは、マーティン・スコセッシ監督が、ボブ・ディランのファンで、13年後の1976年「タクシー・ドライバー」のポスターにオマージュとして使用したのかもしれませんね。
その2年後の1978年、ボブ・ディランをサポートしていた'ザ・バンド’の解散コンサート(1976年11月、ロバート・デ・ニーロも聴衆の一人)「ラスト・ワルツ」を撮ったのが、マーティン・スコセッシ監督です。
見えないところで繋がっていたのが、見えると楽しいですね。