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心の時空

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鏡  シネマの世界<第630話>

社会主義国家ソ連の言論検閲に抵抗し‘表現の自由’を求め1984年パリに亡命した旧ソ連の天才映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932~1986)が、1975年に発表した自伝的な映像詩「鏡」は、タルコフスキー監督作品a0212807_3515020.jpgの中でも記念すべき映画です。
タルコフスキー監督は、プロットの軸を自分(個人)の記憶に置き、これに1930年代からソ連崩壊(1991年)前に起きた旧ソ連の数々の事件を映した現代史ドキュメンタリー映像を加え、過去(ドキュメンタリーによる史実)と現代(映画による虚構)をフラッシュバックさせながら構成、斬新な自伝的映像詩の作品にしました。
タルコフスキー監督は、子供のころから音楽が、好きで青春時代には、ジャズに熱中、すべてが、国家統制された社会主義思想のソ連にあってアメリカかぶれ(このころからタルコフスキー監督は自由主義者であった)の息子の将来を心配した母親は、彼をシベリア地質調査隊に入隊させますが、22歳a0212807_3593079.jpgのとき国立映画大学へ進学しました。
タルコフスキー監督が、少年のころ吃音症(どもり)であったかどうか分からないものの映画は、テレビに映る吃音症の少年が、矯正訓練を受けているところから始まり主人公 (タルコフスキー監督自身) の少年時代に移ります。
庭の柵に腰かけている若い母マリア(主人公の妻ナタリアと2役 マルガリータ・テレホワ 1942~)が、草原の向こうから来た見知らぬ男 (アナトーリー・ソロニーツィン 1934~)と意味ありげな言葉を二言三言交わし男は、風の吹きぬける草原のa0212807_422712.jpg中に消えました。
そして、詩人アルセニー・タルコフスキー(タルコフスキー監督の父)の詩をタルコフスキー監督自身が、朗読する声と重なるように主人公の少年アレクセイ(イグナート・ダニルツェフ、主人公アレクセイの息子イグナートと2役)の鏡を見つめるシーンを映します。
大人になった主人公アレクセイが、鏡に映る像は、アレクセイの父(オレーグ・ヤンコフスキー)と同じ像です。
a0212807_44111.jpgアレクセイ(=タルコフスキー監督)の幼児時代を演じる子役のフィリップ・ヤンコフスキーは、アレクセイの父を演じるオレーグ・ヤンコフスキーの実の息子なので幼いアレクセイと父親との関係が、劇中とても自然で親密なのも当然かもしれません。
タルコフスキー監督にとって、過去は、記憶の中に存在する現在で、現在もまた過去の記憶の中の一つであり、a0212807_452718.jpg移ろいゆく過去の記憶の中に永遠があるとタルコフスキー監督は、考えているようです。
タルコフスキー監督の演出で劇中、永遠という言葉を使うシーンは、ありませんが、タルコフスキー監督にとって永遠とは、移ろいゆく不変の存在と確信しているようです。
こんなプロットが、タルコフスキー監督作品は、難解であるとの印象を見る人に与えているのでしょう。
a0212807_462823.jpg主人公アレクセイと彼の父は、鏡に映る像として同化し、母マリアと妻ナタリア(マルガリータ・テレホワの2役)も鏡の中で同じ肖像として映されます。
少年時代のアレクセイと彼の息子イグナート(イグナート・ダニルツェフ少年の2役)もまた鏡の中で同じ像として映ります。
映画「鏡」は、物語を説明文(散文)で理解するより映像詩(韻文)として映画で見たほうが、深く心に残ります。
a0212807_481016.jpg撮影監督ゲオルギー・レルベルグ(1937~1999)のカメラは、タルコフスキー監督の心象風景としてロシアの豊かな自然を象徴的に映し心に残る印象的なカットを数多く生みました。
「惑星ソラリス」、「ストーカー」などタルコフスキー監督作品の音楽監督で作曲家エドゥアルド・アルテミエフ(1937~ ロシア・シンセサイザー音楽の祖)の音楽も美しい映像と併せ強く印象に残ります。
by blues_rock | 2016-09-09 00:09 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)