ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

金継ぎ余話‥古伊万里の真贋

私が、委細かまわず勝手に私淑している金継ぎ工芸会講師にお願いして金継ぎしていただいた‘藍柿右衛門’の宝暦様式(1750〜1780)古伊万里 染付 総蛸唐草 長皿(裏に‘富貴長春’銘)の逸品です。
a0212807_10585320.jpg
ご本人は、仕上がりに満足しておられない(金よりプラチナを蒔きたかった)ようですが、ともあれ金継ぎの均一で滑らかな細い線は、さすが私の先生、蒔絵名人の仕事です。
a0212807_1143590.jpgこの古伊万里 総蛸唐草 長皿には、横に一筋ヒビが入り、私に修理(金継ぎ)依頼が、あったものを手に負えないと判断、とくに先生にお願いして金継ぎしてもらいました。
延宝年間(1670〜1690)に始まったとされる‘藍柿右衛門’は、元禄・享保・宝暦と少しずつ様式を変えながら見事な古伊万里染付磁器を生み出していきました。
a0212807_118321.jpg右の長皿は、古伊万里のコンニャク印判染付 花唐草長皿(裏に‘福’銘)で享保期のものと推察しますが、総蛸唐草 長皿(富貴長春)に比べるとやはり見劣りします。
いくつもヒビがあり、一度は、錫継ぎしたものの技術の未熟さ(粗雑さ)ばかり目立ちやり直すことにしました。
じつは、この失敗体験が、その直後私に依頼された逸品(総蛸唐草 長皿)の金継ぎを委縮させてしまいました。
a0212807_11111572.jpgそれまで私の金継ぎは、‘自分の自分による自分のため’の金継ぎで、どれも結果オーライ、何でもあり、でした。
お金をいただいて金継ぎするリスク(責任)は、結果オーライ、何でもあり、というわけにいかず、金継ぎ修理品にも完品(無キズなもの)と同等の価値が、求められます。
漆芸である金継ぎは、そこに“価値の創造”が、あってこそのものと私は、思います。
a0212807_11121663.jpg右の染付皿は、釉薬が、ほんのり薄い緑色をしている藍柿右衛門 薄手染付 鷺文皿(裏に‘二重角渦福’銘、 19㌢)で私は、金継ぎと併せ古伊万里の真贋を学ぶために購入しました。
欠傷が、2か所(9時と5時方向)あり刻苧を入れ金継ぎしたいと思います。
私は、贋作ではないかと疑っていますが、本当のところ正直私には、分かりません。
私の中で「?」が、点滅するのは、‘生掛けの藍柿右衛門’で釉の掛けもらし部分に変色がなく、そもそも当時貴重品であった磁器に掛けもらしなど工程ミスは、考えにくいこと、鷺文の絵付けが、薄手であること、使用による擦り傷の少ないこa0212807_11162796.jpgと、絵付けの線に勢いなく稚拙で加筆の跡らしきところも散見されること‥など、近年の贋作は、相当目利きの方でも「分らない」らしく、真作そっくりの贋作もあり、ほとんど区別のつかないものもあるそうです。
白洲正子さんの言葉をお借りすれば、「まず一つ買ってみること。人に頼っているうちは、自分のものにならない。」、「自分が、好きだと思うもの、人に云われたものじゃなく自分の好いと思うものを手に入れなさい。」と白洲さんらしくストレートです。
目利きの骨董商の秦秀雄は、「贋作を弄れないものに真作は分からない」とか「これはというものを見て、それにのぼせ上がることですよ」とこれまたa0212807_1119593.jpg実にシンプルな箴言です。
希代の名目利きであった青山二郎や作家小林秀雄は、「真作にもピンからキリまである。ピン以外みんなダメだ。」と辛辣です。
古美術品や骨董品には、時代の人びとに愛された手跡、歴史の風格、時空を経た風情が、きっとどこかに存在するのでしょう。
それを感じるか感じないか‥自分次第能書きばかりの金継ぎ小僧の修業は、これからも続きます。
by blues_rock | 2016-08-15 00:15 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
Commented by 松尾 at 2016-08-15 15:32 x
相変わらず意欲的で恐れ入ります。私は今スランプ気味で手順を何一つ思い出せず焦っております(笑)
次から次に素晴らしい作品をアップされてすごいなーと感心するばかりです。
Commented by blues_rock at 2016-08-16 23:09
猛暑と酷暑が、手をつないでやって来たような毎日です。
暑中お見舞い申しあげます。
松尾さん、励ましありがとうございます。
意欲的どころか、いままでヤミクモにやってきたわが金継ぎの稚拙さを顧みて、いま大いに反省しています。
これまでできあがるとうれしくて、うっとり眺めていましたが、このところ手抜きばかりの技術の稚拙さに落胆し少しずつやり直しているところです。
自分勝手にやる金継ぎ(工程の手順は一緒ながら)の長所は、自己満足するまで終わりがないことながら、依頼による修理代をいただいての金継ぎとなるとそうもいきません。
そのことを総蛸唐草長皿の金継ぎ依頼で知りました。
金継ぎの山高し、谷深し、道険し‥とぼとぼと歩いて来た道を引き返しているような、そんな心境で‘刻苧’相手に奮闘しています。