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心の時空

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ゴッホの自死と耳切り事件 ~ その真相(後編)

ゴッホの耳きり事件も有名です。
この事件も諸説ふんぷん実しやかに言われていますが、ゴッホ自身に記憶なく真相は、謎に包まれています。
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ゴッホは、1888年の10月から12月までの2か月間、アルルでゴーギャンと共同生活、一緒に絵を描いていますが、何せ強烈な個性の二人は、お互いの美意識の相違について決して譲らず口論が、絶えませんでした。
a0212807_18143919.jpgそんな折、ゴッホの描いた自画像の耳をゴーギャンが、からかったためそれに怒ったゴッホは、衝動的に自分の左耳(耳たぶ)を切りゴーギャンとゴッホともにお気に入りの娼婦ラシェルへの贈り物にしたため大騒ぎになりました。
そのころのゴッホには、前編でも述べましたとおり極めてアルコール度の高い酒アブサンの過飲に重ね、せん妄(幻覚・妄想)など統合失調症からくる精神錯乱(情動障害)の発作が、見られるようになりました。
パリの画廊で働く 4歳年下の弟テオは、売れないゴッホの絵を引き取り生活資金を仕送りしていましたが、結婚するテオから自分は、見捨てられるのではと襲ってくる孤独とその恐怖感に苛まれたゴッホが、狂気の昂ぶりとせんa0212807_18304013.jpg妄の発作で錯乱しとっさに起こした耳切り事件とも考えられています。
この事件のあとゴッホは、アルルから東北に20㌔離れたサン=レミの精神病院に移りますが、ここでわずか2ヶ月という短い期間に80点近いゴッホの代表作を描いています。
ゴッホの死後間もない1891年夏パリで開催された「アンデパンダン展」にゴッホの絵10点が、出品されました。
象徴主義芸術を支持する文芸評論家アルベール・オーリエは、ゴッホの作品を見て「過剰である。力の過剰、情熱の過剰、表現の荒々しさの過剰‥(略) 彼の色彩は、信じ難いほどにまばゆい。 私の知るa0212807_18235051.jpgかぎり彼は、色彩というものを真に心得ている唯一の画家である」と高く評価しました。
前年の1890年、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの葬儀について画家エミール・ベルナール(1868~1941)が、「(ゴッホの)遺体が、安置された部屋の壁には、晩年の作品すべてが掛けられていた。 それは、彼を取り巻く後光のように見えたが、絵が輝かしく天才的であるだけに、彼の死は、我々画家にとっていっそう悲しいものだった。 棺には質素な白布が掛けられ、大量の花が、置かれていた。 それは、彼が愛したヒマワリや黄色のダリアなど黄色の花ばかりだった。 黄色は、彼の好きな色で、彼が芸術作品の中だけでなく人々の心の中にもあると考えた光の象徴だった」、 「遺体は、3時に友人たちの手で霊柩車に運ばれた。 テオが、ずっとすすり泣いているのが哀れだった。 外は、狂おしいほど太陽が照りつけていた。 私たちは、故人の人柄について、彼の芸術家としてのa0212807_18251562.jpg勇気、画家の共同体の夢、彼から受けた影響について語り合いながらオーヴェールの丘を登った。 彼が葬られる共同墓地は、まだ新しく、新しい墓標が、点在しているだけだった。 青空の下、収穫間近の麦畑が、眼下に広がっていた。 気候は、まさに彼の好みにぴったりで、彼はまだ幸福に生きられたのにと思わずにはいられなかった。 葬儀には、ピサロやタンギー翁らも参列し埋葬時にガシェは、涙に暮れながら彼a0212807_18255343.jpgは、誠実な人間でとても偉大な芸術家だった。 彼には、人間性と芸術というたった2つの目的しかなかった」と書き残しています。
弟のテオは、テオで兄ヴィンセントを孤独の恐怖に追い込み死に至らしめたのは、自分ではないかと自責、兄ヴィンセンの回顧展をパリ自室のアパートで開催、その半年後、弟のテオもまた精神を病んで兄の後を追うように病死、享年33歳でした。
テオの妻ヨハンナは、その後再婚、亡き夫テオと兄ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの墓と並べて埋葬しました。
by blues_rock | 2016-08-10 00:01 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)