母よ、 シネマの世界(第607話)
モレッティ監督の前作2011年作品「ローマ法王の休日」(監督・脚本・原案・製作・出演)と同じように最新作「母よ、」もモレッティ監督のコメディ作家としての特長である風刺喜劇のようなユーモラスな作風と併せシリアスなドラマ仕立てに娯楽性をもたせ撮っています。
フランスの映画批評誌カイエ・デュ・シネマは、2015年ベスト1作品に「母よ、」を選出していますが、さもありなん、モレッティ監督は、40歳代で世界三大映画祭(ベルリン・ヴェネッィア・カンヌ)で審査員賞・監督賞・パルムドール(2001年作品「息子の部屋」これも秀作)を受賞しています。
「母よ、」は、モレッティ監督の自叙伝的な映画で主人公の女性映画監督マルゲリータ(マルゲリータ・ブイ 1962~ 知的な表情が魅力的なイタリアを代表する名女優、イタリア映画祭主演女優賞7回)に、自分を重ね合わせた演出をし、モレッティ監督自らが、マルゲリータの兄ジョバンニ役で出演、モレッティ監督は、同じ状況であった自分が、亡き母親に何もしてやれなかった後悔から自分のしてあげたかった理想の姿をジョバンニに投影させて渋く演じています。
映画の主人公である映画監督のマルゲリータは、離婚した夫と暮らす反抗期の娘に手を焼き、一緒に暮らすパートナーとも仲違い、製作中の映画もゴタコダ続きで進まず何もかもイライラすることばかり‥撮影中の映画にアメリカから招聘した大物俳優(ジョン・タトゥーロがハリウッドのワガママな俳優を好演)も監督であるマルガリータの言うことを聞かず爆発寸前、入院中の老いた母親の見舞いにも行けず、兄のジョバンニに看護を任せっぱなし、何事にも自分の思うようにいかないと満足しないマルゲリータは、自分にも厳しいと同時に他人にも厳しく、重なるまわりとの摩擦が、ストレスとなり疲れ果てていました。
そんな時、母アーダ(ジュリア・ラッツァリアーニ)の病状が、悪化し余命いくばくもないとの連絡を受けました。
八方ふさがりのマルゲリータは、自己喪失(アイデンティティ・クライシス)し存在意義を見失い自分が、イヤになり茫然自失状態でした。
そんな妹のマルゲリータを兄ジョバンニは、やさしく受け入れ、仕事を辞め死期の迫る母を自宅に連れて帰り付き添ながら静かに看取ることにしました。
ラテン語の元高校教師だった母アーダの病気を知った教え子たちが、何人も見舞いに訪れ、家族(子供の兄妹と孫)に敬愛するアーダ先生との思い出を「先生は、私たちにもお母さんでした。」楽しそうにと語りました。
マルゲリータとジョバンニは、母親が、自分たちに見せなかった元ラテン語教師として敬愛されていた姿を知って感動しました。
ベッドの傍らで死期の近い母親に付き添う娘のマルゲリータが、母アーダに「何考えているの?」と訊ねると母は、娘マルゲリータに一言「明日のことよ」と答え、映画は、ここで終わります。
ストレスを抱えイライラしたり、自己嫌悪に陥ったり‥あるいは、もしかしたら自分は、アイデンティティ・クライシス(自己喪失している)かもしれないと思う方にお勧めしたい秀作映画です。