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心の時空

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a day in my life

‘絵を描く’と云うこと

私の旧くからの友人前田信幸氏の「土彩画展2016」(福岡市天神 ギャラリーおいし 4月19日~24日)を見ました。
彼は、大学卒業後パリに渡り油彩画を学び帰国、やがて天然の土を顔料にした絵具で絵を描き土彩画と呼んa0212807_2330184.jpgでいます。
毎年1回のペースで個展を開催するのは、すごい創作エネルギーと思います。
ここから後述することは、私の蛇足(独断的私見)で、前田氏の個展と関係のないことですが、「‘絵を描く’と云うことは、どういうことなのか? 」について少し書きたいと思います。
子供の頃、石橋美術館(久留米市)で青木繁の「海の幸」や「雨戸板に‘焼き釘’で描いた風景画」を見たとき以来、さらに19歳のとき洋画家林武(1896~1975)の著書「美に生きる」を読んでから私は、折に触れこのことをずっと考えてきました。  (上:前田信幸 「少女像」 左下:林武 「櫛梳る女」)
a0212807_23334465.jpg私は、夭折した画家たちの作品に‥技術は、未熟で稚拙ながら‘とにかく絵を描きたい’の執念、‘どうしても絵を描かずにはおれない’の衝動に身を焦がし絵を描くことだけに執着して若くして死んで逝った画家(病死または自死あるいは戦死)たちの絵の中にその答えを見つけました。
(参考 : 「石田徹也の心象風景」)
絵を描くために、一枚の紙、一本の鉛筆、できれば絵具(クレヨン・水彩・油彩なんでもいい)の画材と描く道具が、あれば夭折した画家たちは、堰を切った水が、奔流のように流れるごとく ‘感じるまま想うまま’ その魂を自己表現しています。
画家の魂が、乗った道具(作品=タイムマシン)により、数十年、何百年、幾千年の時空を超えて見る者(他者)の魂(心)に入ったとき両者の魂は、共鳴し合い、その感動が、私たちの心を至福で満たしてくれるのです。
by blues_rock | 2016-04-26 00:06 | 美術/絵画/彫刻 | Comments(0)