北斎漫画 シネマの世界<第597話>
映画について書く前に主人公の葛飾北斎(1760~1849没、享年89歳)について簡単に紹介したいと思います。
今から167年前の江戸時代後期に享年89歳で亡くなった天才絵師葛飾北斎は、当時の平均寿命としてかなり長寿で大往生の絵師人生でした。
天才が、長生きすれば、これはもう鬼に金棒です。
ピカソ(1881~1973)91年の生涯に制作した15万点には及ばないものの葛飾北斎は、その生涯に3万点の絵を描いていますので、これはもう驚くべきことです。
北斎は、改名30回(映画の中で借金の形に‘北斎’名前を10両で売るシーンがあります)、制作場所を求めて転居93回(北斎親娘は整理整頓できず汚くなり生活できなくなると引っ越したり、貧乏で家賃が払えなかったりと)、その北斎74歳のとき「画狂老人 卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗り突如描き始めのが、「富嶽百景」です。
森羅万象この三千世界のありとあらゆるものを描き尽くそうとした葛飾北斎、映画の終盤、89歳の画狂老人 北斎が、「人魂で 行く気散じや 夏野原」と辞世の句を詠みつつ、あと10年長生きて西洋画を学びたい、いやせめてあと5年長生きできたら「自分の求めていた絵が描けそうな気がする」と呻吟(しんぎん)するシーンは、壮絶にしてリアルです。
劇中、春画として最も有名な浮世絵「蛸と海女」を北斎が描くシークエンス(1時間25分から32分の7分間)は、必見、蛸が全裸の女体に吸いついていくシーンのエロティシズムは、鳥肌ものです。
アメリカの「ライフ」誌は、「この1千年の歴史でもっとも偉大な業績を残した百人」の中に、日本人として唯一人葛飾北斎を選んでいます。
映画は、新藤監督のエロティシズムあふれる耽美的な演出が、見どころで、それに応える緒形拳の名演技は、さすがです。
そして、北斎にからむ娘のお栄(北斎の弟子にして助手であった浮世絵師 葛飾応為)の田中裕子(1955~ 出演時26歳)、天才絵師 北斎にインスピレーションを与える遊女のお直(北斎のファムファタルにしてミューズ、枕絵として最も有名な北斎の春画「蛸と海女」のモデル)の樋口可南子(1958~ 出演時23歳)、この若い女優ふたりの渾身の演技は、劇中に登場する数々のヌードシーンに表われていて、正しく体当たりの熱演です。
北斎の娘お栄について、少し補足すると北斎には、三人の娘がいて、三女の栄(末娘)と推察されます。
お栄には、天才的な絵の才能があり、父北斎ですらお栄の才能と技術にかけては、一目置いており 「美人画では、応為(おーい)に敵わない」と認めていました。
お栄は、父北斎からいつも‘おーい’と呼ばれていたため自分の号を「葛飾応為(おーい)」と記していました。
北斎は、生涯娘のお栄と暮らし、身のまわりの世話をさせ、浮世絵(および枕絵=春画)制作の助手であり愛弟子でした。
「北斎作」とされる(浮世絵・肉筆画)の中にも北斎との共同制作や北斎の代筆、応為自身の絵が、相当数あると考えられています。
とくに、北斎晩年10年くらいの北斎作(号を次々に変えているので推察)の落款をもつ肉筆画は、その色使い(鮮やかな色彩)からお栄つまり葛飾応為の作品ではないかと推察されています。
天才絵師のお栄も当時としては、相当異質な女性で、普段の生活能力に欠け、だらしなく、当時男の嗜好品であった酒、タバコを嗜(たしな)み、生活費稼ぎに北斎の代わりに春画を描いたり、全裸で春画のモデルをしたりと私たちが、考える普通の父娘像と相当かけ離れたびっくり仰天の‘葛飾北斎父娘’だったようです。
お栄は、父北斎を看取ると家を出ていずこかへ消え所在不明になりました。
(上絵図:晩年はこたつ中で絵を描いたと云う北斎と部屋の乱雑など気にもしなかったお栄父娘を伝える図)
この映画は、興味津々で観に行きたかったです。
当時の樋口可南子さんは、資生堂のCMに出ていただけあって、とても綺麗でしたしね。
いつかNHKのドキュメンタリーで北斎は、当時としては各期的なプロダクションを運営していたと紹介されてましたが、実態はこのブログに書かれているようなことだったのですね。
春画のモティーフは、男女の性愛つまり性=生、愛の根源、命のルーツですもんね。
私は、日本美術を愛する日本人の一人としてイギリスの大英博物館のように東京国立博物館で大春画展を開催してもらいたいと心から願っています。