エド・ウッド シネマの世界<第593話>
映画を愛する情熱は、人一倍ながら映画センス皆無で制作能力もなかったエド・ウッド監督は、他にも酷い称号(蔑むような名称)をたくさん持っています。
ウッド監督の撮った映画を配給する映画会社は、なく、すべての興行が、失敗しました。
このようにしてウッド監督の撮った作品は、人の目に触れることもなくすべてお蔵入り、いつの間にかアメリカ映画史上最低の映画監督として伝説の映画監督になりました。
やがて、テレビの時代が、到来するもテレビ局は、極めて視聴率の低い深夜の時間帯にできるだけ放送料の安い視聴率などどうでもいいような映画を放送、その中にエド・ウッド監督の作品もありました。
ところが、ウッド監督作品は、あまりに映画制作の常識とかけ離れた規格外のデタラメな映画で逆にその破天荒なムチャクチャぶりが、深夜テレビを見ている視聴者に強烈な印象を残しました。
いつしかウッド監督作品にカルト的な映画ファンが、生まれ ウッド監督作品は、ウワサとなり、やがて映画評論家の耳にも入りました。
そのあまりのデタラメさ、いい加減さに唖然とした映画評論家たちが、‘歴代最低の映画’として紹介したことから注目されウッド監督作品は、お蔵から出されました。
エド・ウッドは、人物としてもかなりの変人で女装癖があり、第二次世界大戦の従軍中にもブラジャーと女性用の下着を軍服の下に付けており負傷し軍医に見つかることをいつも恐れていた(エド・ウッド本人談)そうです。
アメリカ映画史上最低の映画監督と揶揄されたエド・ウッド監督ですが、一部の映画監督には、彼のアナーキーな映画(ただムチャクチャなだけと私は思いますが‥)を支持する人たちがいて、この映画「エド・ウッド」を撮ったティム・バートン監督(1958~)もその一人です。
巨匠デヴィッド・リンチ監督(1946~ 1980年「エレファント・マン」が印象に残ります)、ベテラン映画監督のサム・ライミ監督(1959~ 「スパイダーマン」Ⅰ~Ⅲの監督)そして、この方は、なるほどと妙に納得する鬼才クエンティン・タランティーノ監督(1963~ 熱狂的なファンをもつカルト監督)と少ないながらも名匠監督たちです。
ウッド監督作品を見ていない私には、バートン監督が、ウッド監督へのオマージュとして当時の映画そのままにモノクロ映像で再現したシーンの数々とは、どれなのか分かりませんが、ウッド監督作品を見た人のコメントによるとそっくりなようで、バートン監督のウッド監督に対する敬愛を感じると映画評論にありました。
主演したジョニー・デップは、名作「ギルバート・グレイプ」と「妹の恋人」に出演した翌年バートン監督作品に復帰、この映画「エド・ウッド」も含め二人のコラボレーション映画は、8作あります。
この映画に出演した俳優たちも名優ぞろいでドラキュラ俳優として有名なベラ・ルゴシ役をマーティン・ランドー(1931~ ベラ・ルゴシ役でアカデミー賞助演男優賞受賞、ほかの映画祭でも助演男優賞を多数受賞)、エド・ウッドの妻キャッシーをパトリシア・アークエット(1968~ 「6才のボクが、大人になるまで。」の母親オリヴィア役でアカデミー賞助演女優賞受賞、他の映画祭でも助演女優賞を総なめにして受賞)、ゲイの男優バニー役をビル・マーレイ(1950~)が、楽しそうに怪演、見ているこちらまで楽しくなります。
エド・ウッド憧れのオーソン・ウェルズが、終盤、登場し、愚痴るエド・ウッドに「他人の夢を撮ってどうなる? 夢のためなら戦え!」と励ましますが、二人は、会ったことがないそうなので、このシーンは、バートン監督の脚色です。
バートン監督は、このシーンのためにオーソン・ウェルズの形態模写俳優とオーソン・ウェルズの声帯模写声優をキャストし合成、オーソン・ウェルズ本人が、実際出演しているような粋な脚色と演出には、驚きました。
エド・ウッドがあまりにも情けなくて泣けてくるのですが、ラストはすがすがしくハッピーエンドに終わりますね。
夕立で水浸しになったオープンカーから降りて来るけども(笑)
こういう映画ばかり好むカルトって少なからずいるのですよ。
僕は、「最低映画館」というサイトでエド・ウッドの存在をはじめて知りました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/madison/wmt.htm
エド・ウッドは、映画への情熱に燃えて映画を製作する(撮ること)ことが、好きで好きで仕方なかったんでしょうね、きっと。
それにしてもジョニー・デップは、上手い俳優ですね。