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心の時空

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a day in my life

焼き継ぎ

今から遡ること220年前の寛政年間(1789~1801)、幕府は、赤字財政を立て直そうと田沼ノミックスにより景気拡大政策‥金融緩和・経済活性化~新田開拓などの公共事業や株制度など規制緩和による商業促進つまりバブル経済政策を計りましたが、天明の飢饉、浅間山の大噴火など相次ぐ自然災害や棄農による農民の江戸流入などで世情不安となり失敗、田沼意次嫌いの老中松平定信は、田沼ノミックスを全否定し‘寛政の改革’を断行しました。
a0212807_254996.jpg寛政の改革による極度の緊縮財政(倹約令・思想統制など)は、武士階級・商人庶民階級の消費経済力を次第に低下(デフレ経済)させて行きました。
そんな幕府の社会統制や緊縮経済政策が、困窮した下級武士(浪人)・町人(庶民)たちによる江戸時代のリサイクル生活様式を発展させ‥傘張り(下級武士の傘の張替え内職)、樽や桶の箍(たが)屋、下駄の歯入れ屋、端切れ屋などデフレ経済下の修理ビジネスを起業させ、何といってもその後、わが国の‘もったいない精神’を消費生活の文化として定着させたことを考えると皮肉なものです。
‘茶の湯文化’が、生み出した室町~安土・桃山時代の漆による陶器の「金継ぎ」に加え江戸時代の‘もったいない文化’は、伊万里磁器の「焼き継ぎ(やきつぎ)」を誕生させました。
a0212807_265141.jpg江戸時代、伊万里染付磁器は、高価で貴重な食器で、富裕層の生活必需品でした。
江戸や京都では、その高価で貴重な伊万里染付磁器のワレたりカケたりしたものを修理する「焼き継ぎ師(焼継屋)」と呼ばれる職人がいました。
焼き継ぎ師は、天秤棒の片方に火を熾した火鉢(小さな炉)を、もう片方には、道具や材料の白玉‥鉛ガラス粉末(フリットつまり釉薬)・石灰・布海苔(布糊)などを入れた箱を下げ「焼き継ぎ~ぃ、焼き継ぎ~ぃ」と江戸城下京都洛中を回りました。
お呼びがかかると職人は、依頼主の軒下を借り壊れた磁器のワレ・カケ跡に白玉を塗り700度から800度くらいの低温炉で焼き継ぐという修理をしました。
a0212807_2153516.jpg焼き継ぎした伊万里染付磁器には、それぞれ修理した職人のサインである焼継印(やきつぎいん)が、記されており仕事へのプライド(責任)を感じます。
私は、以前金継ぎの教材に古伊万里染付蕎麦猪口に‘焼き継ぎ’の跡それもお世辞にもきれいと思えない直し跡のある、さらに底に朱色で何やら書付のある猪口を購入しました。
ガラス質の継ぎ目が、研いでも砥げず難儀‥金継ぎを始めたばかりの私は、むろん‘焼き継ぎ’など知る由もなく「こんな直し方をする奴の気が知れん」と怒り心頭でした。
悪戦苦闘して銀継ぎ(本銀直し)にしましたが、そのままにしておけば良かったといま骨董的見地から大いに反省、後悔先に立たず、です。
by blues_rock | 2016-01-31 00:01 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(2)
Commented by 松尾真優美 at 2016-01-31 09:47 x
探究心を母のお腹に忘れて来た私、いつもたいへんお勉強になりますm(__)m
金継ぎプラス景色の仕上がりに学ぶ所が沢山あって見せて頂くのを楽しみにしてますよ〜♪
Commented by blues_rock at 2016-01-31 22:06
励まし、ありがとうございます。
工程の長い手間のかかる面倒な呼続ぎや蒔絵の金継ぎにいくつも手をつけ、仕かかっては途中で放っぽり出して脇道で道草(漆遊び)ばかり、三つ子の魂百まで治らず、です。
古唐津陶片のマグネットが、10個ばかりできましたので近日中に掲載いたします。
来月(2月)から福岡市南区屋形原の古民家カフェ(&レストラン)「閏日」(うるうび、福岡病院横の道)で自主漆芸サークル‘仲良く一緒に漆遊びするかい?(会)’を始めますのでそのうち冷やかしに来てください。
閏日(うるうび)の記事 ⇒ http://yansue.exblog.jp/20223449/