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心の時空

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アンドレイ・タルコフスキー監督 「ノスタルジア」  シネマの世界<第550話>

「ノスタルジア」は、ロシア(旧ソ連)の奇才アンドレイ・タルコフスキー監督(1932~1986、亡命先のフランス パリで客死)が、1983年にイタリアで撮った晩年の作品(脚本・監督)です。
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タルコフスキー監督は、「ノスタルジア」の前作となる1979年発表の意味深長なSF映画「ストーカー」まで、1972年のSF映画「惑星ソラリス」(SF映画の傑作「2001年宇宙の旅」に匹敵)から7年間沈黙していました。
アンドレイ・タルコフスキー監督 「ノスタルジア」  シネマの世界<第550話>_a0212807_273418.jpg今にして思えば、旧ソ連共産主義の卑劣にして抑圧的な管理社会に辟易していたタルコフスキー監督は、「ストーカー」のプロット(構想)で1986年の‘チェルノブイリ原発の爆発事故’、1991年の‘ソ連の崩壊’をすでに暗示しており、1986年亡命先のパリで亡くなる前からそれらをソ連国家体制の必然として予知し予見していたのかもしれません。
SF映画「ストーカー」には、‘SF映画らしきところ’が、ほとんどなく、人間の立ち入れない危険地域‘ゾーン’ の存在(ゾーンの原因はナゾで劇中巨大隕石の落下らしいと主人公であるストーカーは語る)、ストーカーの娘(少女)は、両足に歩行障害があり彼は、娘をミュータントと呼ぶ、娘の超能力(念力 サイコキネシス)を示唆する短いシーン(カット)が、2回ありSF映画らしいシーンは、これだけと言って良いでしょう。
タルコフスキー監督の特長である長回し、‘水’の演出(「ストーカー」に映る‘水’はみな澱み汚れている)、モノトーンとカラー映像の変幻自在な構成など映画ファンの方にぜひ見ていただきたい作品です。
タルコフスキー監督は、1983年に「ノスタルジア」(カンヌ国際映画祭で創造大賞受賞)を発表すると1984年にフ
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ランス亡命、1985年旧ソ連共産党書記長(国家指導者)に就任したゴルバチョフは、改革(ペレストロイカ)と情報公開(グラスノスチ)を宣言、パリに住むタルコフスキー監督へも「‘言論の自由’を認めるのでぜひ帰国して欲しい」と
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要請しましたが、タルコフスキー監督は、つれなく拒否しました。
それくらいタルコフスキー監督は、ロシア映画の芸術性と発展をソ連共産党当局が、検閲と弾圧で阻んできたこアンドレイ・タルコフスキー監督 「ノスタルジア」  シネマの世界<第550話>_a0212807_2271447.jpgとに対する嫌悪と憎悪は、強烈なものでした。
1986年タルコフスキー監督が、亡くなるとタルコフスキー映画を愛した世界的な作曲家武満徹(1930~1996)は、独奏ヴァイオリンと弦楽曲「ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に」を作曲、アンドレイ・タルコフスキーに捧げました。
映画「ノスタルジア」は、ロシア人作家アンドレイ(アンドレイ・タルコフスキー自身がモデル)が、通訳の美しい女性エウジェニアを連れロシアに帰れば農奴になると知りながら帰国し自殺した音楽家パヴェル・サスノフスキー取材のためイタリアのトスカーナに向かうところから始まります。
アンドレイは、心臓病を患い余命が、もう長くないことを知っていました。
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古都シエーナに「マドンナ・デル・バルトの聖母画」を見に行きましたが、教会で‘君たちの美にはうんざりだ’とエウジェニアに言い残しホテルに帰りました。
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その夜アンドレイは、霧に包まれ走り回る少女と二人の女性その向こうに森の広がる故郷の夢を見ました。
アンドレイとエウジェニアの二人は、旅の最後に小さな温泉地バーニョ・ヴィニョーニに立ち寄りました。
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そこで「もうすぐ世界の終末が来る」と信じ家族を幽閉、村人から狂人と呼ばれるドメニコに出遭いました。
ドメニコは、アンドレイを住処の廃屋に招きました。
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あばら屋然とした建物の天井からは、至るところで床に水が滴っており壁には、大きな文字で「1+1=1」という数式が書かれていました。
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アンドレイが、ローマに着くとドメニコの廃屋前で別れたニエウジェニアからの電話で「ドメニコが、いまローマにいて3日間演説している。 ドメニコは、彼があなたに依頼した約束を果たしたかと訊ねている。」と伝えました。
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ドメニコは、カンピドリオ広場(ミケランジェロの設計)のマルクス・アウレリウス像に上りわずかな聴衆の前で演説を続けていました。
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「我らは無駄と思える声に耳を傾けなければならない」、「我らの耳と目に大いなる夢の始まりを満たすのだ」と演説を締めくくるとドメニコは、いきなりガソリンを頭から被り焼身自殺しました。
アンドレイ・タルコフスキー監督 「ノスタルジア」  シネマの世界<第550話>_a0212807_2395922.jpgそのころアンドレイは、温泉地バーニョ・ヴィニョーニに戻り、ドメニコから渡されたロウソクに火を点け、広い温泉の一方の端から向こうまで渡り切るという彼との約束を実行していました。
三度目のトライで温泉を渡り切るとアンドレイは、心臓病の発作で突然倒れ、死期が迫った彼の脳裏に浮かんだのは、雪の降り続く懐かしい故郷の風景でした。
by blues_rock | 2015-11-15 00:05 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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