暮れ逢い(原題 約束) シネマの世界<第511話>
ロマンス(恋愛)映画を撮らせたら当代随一の名匠ルコント監督の演出は、どの作品の女性主人公も官能的で美しくファム・ファタル(運命の女性)を感じさせます。
ルコント監督は、新作「暮れ逢い」のファム・ファタルとして、イギリスの女優 レベッカ・ホール(1982~)を起用、
原題は、「A Promise(約束)」ですが、日本語のタイトル「暮れ逢い」は、今まで耳にしたことはなく、主人公シャルロットの愛用しているゲランの香水‘ローブルゥ(L'heure Blue 青い時間=夕暮れ)’と、悲恋の別れから音信不通となった恋人と8年後に巡り逢うことから配給会社の判断で二つ合わせた造語にしたのだろうと推察します。
映画は、1912年第一次世界大戦前後のドイツを舞台に、初老の実業家ホフマイスター(アラン・リックマン1946~)が、有能な青年フリドリック(リチャード・マッデン 1986~)を個人秘書として自分の屋敷に住み込ませるシークエンスから始まります。
屋敷の中でホフマイスターの家族と共に暮らすうち、ホフマイスターの若い妻シャルロットとフリドリックは、お互いを意識し密かに惹かれ合うようになりました。
しかし、お互い触れあうことも愛を告白することも許されないまま相手への恋心は、どうにもならない障害と禁じられた恋ゆえに次第に募っていきました。
ロマンス(恋愛)映画の名匠たるルコント監督の名人芸と云っていい演出の巧さは、この映画のシーンでも随所に見られ、フリドリックが、シャルロットを見つめる視線(目の表情)、見つめられたシャルロットの顔と目の表情( レベッカ・ホールのツンデレぶりが上手い)、そんな無言の愛の交感を見逃さないホフマイスターの嫉妬心などどれも見事でした。
ルコント監督作品の常連撮影監督であるエドゥアルド・セラ(1943~ ポルドガル出身、「真珠の耳飾りの少女」撮影)のカメラが、シャルロットの美しい顔、目、うなじ、足、腰、後姿をアップで捉え、そのカメラの映像は、シャルロットを見つめるフリドリックのフェティッシュな視線として、映画を見ているこちらの視線に同期していきます。
そのカメラ映像のフェチ感は、得も言われぬくらい官能的で、こちらの方にもフリドリックの胸の高鳴りが、聴こえるようでシャルロットの顔、目、うなじ、足、腰、後姿に私もじっと見惚れてしまいました。
‘ルコント=セラ’の官能マジックでジョルジュ・バタイユ小説「眼球譚、マダム・エドワルダ」の映画化をつい妄想してしまいました。
フリドリックに恋をするアパート管理人の娘アンナ役で映画デビューしたイギリスの若手女優シャノン・ターベット(1991~)も一途な乙女の恋心を好演していました。
映画は、フランスとベルギーの共同製作でドイツを映画の舞台にしながらルコント監督が、「暮れ逢い」を敢えて英語で撮ったのは、主人公のシャルロットを演じたレベッカ・ホール始め主要な役どころが、アラン・リックマン、リチャード・マッデン、シャノン・ターベットなどイギリスの俳優だったからでしょう。
ルコント監督は、映画の終盤、病気に倒れベッドで寝たきりのホフマイスターが、妻のシャルロットに髭を剃ってもらいながら微かな声で心情を告白し彼女に詫びるシーンに触れ、「あまりにも感動したのでワンテイクでOKでした」と語っています。
映画ラストのシークエンスに繋がるこのシーンは、映画の見どころです。
「抑制は、欲望を掻き立て、恋を熟成させる」、さすがロマンス(恋愛)映画の魔術師パトリス・ルコント監督の言葉です。(「暮れ逢い」の公式サイトは こちら)
フランスのファム・ファタル・ロマンス映画の伝統は、1945年マルセル・カルネ監督(1906~1996)の「天井桟敷の人々」(Les enfants du paradis)に始まり、1966年クロード・ルルーシュ監督(1937~)の「男と女」(Un homme et une femme)、1971年ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ監督(1920~1989)の「風の季節」(La Maison de Bories)さらに恋愛至上主義者フランソワ・トリュフォ監督(1932~1984)が、1977年に撮ったフェテシィズム映画の傑作「恋愛日記」(L'homme qui aimait les femmes)、1981年の「隣の女」(La Femme d'à côté)そしてパトリス・ルコント監督作品へと受け継がれています。