マッド・マックス(Mad Max:Fury Road) シネマの世界<第509話>
SFディストピア映画(ディストピアとはユートピアの反対の意で地獄のような世界のこと)に有りがちな、奇想天外にしてグロテスクな世界を描き、かつ陳腐にして荒唐無稽、ハチャメチャなストーリーと高を括って気楽に見ました。
自然が破壊された地球上で退廃した人類は、絶滅寸前の危機にありました。
放射能汚染による住環境の悪化が、かっては、豊かな大地であった‘緑の地’を砂漠に変え、荒廃とした不毛の
元警官のマックス(トム・ハーディ)は、救えなかった者たちの亡霊に苛まれながら生存本能だけで生き続けていました。
イモータン・ジョーの信任厚かったフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)は、ある日ジョーに反旗を翻し、ジョーの所有していた5人のワイブス(受胎出産用の妻)を連れ自分が、育った‘緑の地’を目指しました。
イモータン・ジョーは、死を恐れない戦闘武装集団ウォーボーイズに追跡を命じました。
ウォーボーイズの輸血用生体として捕獲されていたマックスも戦闘用車輛に乗せられました。
フュリオサに助けられたマックスは、‘緑の地’への同行を決意しますが、もはや‘緑の地’は、この世界のどこにもありませんでした。
絶望するフュリオサ‥、その彼女にマックスは、フュリオサが、予想だにしなかった大胆な計画を提案しました。
フュリオサ大隊長役のシャーリーズ・セロンは、丸坊主頭で左腕のない義手の女戦士として登場、シャーリーズ・セロンのクールな演技は、美貌と相俟って一段と魅力的です。
マッド・マックス役のトム・ハーディに、ほとんどセリフは、ありませんが、その存在感たるや流石です。
「マッド・マックス」の監督(脚本・製作)は、1979年の「マッド・マックス」からずっとジョージ・ミラー監督(1945~)で、どうやらSFディストピアの「マッド・マックス」を撮ることが、生き甲斐のようです。
撮影監督のジョン・シール(1942~)は、今回が初めての「マッド・マックス」撮影ながらキャリア十分、実写とCG(VFX・SFX)を駆使したデジタル映像で視覚効果抜群のダイナミックな映画にしています。
余談ながら5人のワイブスを演じるのが、女優というよりトップモデルたち、中でもロック・ギタリスト、レニー・クラヴィッツの愛娘ゾーイ(1988~)、ロックンロールと云えば、この人エルヴィス・プレスリーの孫娘ライリー・キーオ(1990~)の出演(キャスティング)は、ミラー監督の余興でしょう。
「マッド・マックス(Mad Max:Fury Road)」は、高評価と酷評のどちらか、見た者の好みで大きく二分される典型的なSFディストピア映画の奇作(クエンティン・タランティーノ監督作品「フロム・ダスク・ティル・ドーン」のよう)です。
シャーリーズ・セロンしぶいですねえ。
こういう役をするのは、モンスター以来ですね。
こういうSF映画は、映像技術が進歩するから、何度でも作れるのですよね。
ターミネーターの新作やジュラシックワールドよりも、こっちを観てみたくなりました。
新作「マッド・マックス」は、はちゃめちゃなストーリーより美貌の名女優シャーリーズ・セロンをじっと見ているだけで十分楽しめます。
手垢のついた年寄り男優たちの焼き直しスパイアクションものよりシャーリーズ・セロン主演のクールな女工作員が、活躍するスパイ・サスペンス映画を見てみたいものです。
期待通りの、凄腕女工作員でした。