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心の時空

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a day in my life

飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>

飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_142609.jpgその捜査を担当したのが、函館署の刑事弓坂吉太郎(伴 淳三郎 1908~1981)でした。
そのころ青森の大湊にいた犬飼多吉は、無垢で屈託のない娼婦杉戸八重(左 幸子 1930~2001、ベルリン国際映画祭女優賞受賞、日本人女優として初受賞)と知り合い一夜を共にしました。
八重の身の上話を聞いた太吉は、自分と同じ飢餓と隣り合わせの極貧育ちである八重に同情、別れるとき新聞紙に包んだ大金を無造作に置いて出て行きました。
八重は、それ以来、彼を仏のように崇め、多吉に再会することだけが、自分の生き甲斐となりました。
借金を返済した八重は、東京に出て本島進市(三井弘次 1910~1979)・妙子(沢村貞子1908~1996)の遊郭に飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_1434541.jpg身を寄せ娼妓になりました。
それから10年が、経ったある日のこと、八重は、何気なく目の前にある新聞を眺めていると犬飼多吉そっくりの写真入り記事と樽見京一郎(三國連太郎)という実業家の名前を偶然見つけました。
記事には、京都の舞鶴で食品業を営む実業家樽見京一郎が、刑務所から出所した人たちの社会復帰福祉事業に多額の寄付金を飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_1584642.jpg提供したというものでした。
驚喜した八重は、急ぎ樽見京一郎に会うために舞鶴に行きました。
八重と会った樽見は、彼女に会ったことがない、大金を与えたこともないときっぱりと否定しました。
それでも八重は、樽見京一郎が、犬飼多吉であることを確信していました。
次の日、舞鶴湾で男女の心中死体が、発見されました。
捜査を担当した東舞鶴警察署の味村刑事(高倉 健 1931~2014)は、死因に不自然なところがあり、二人の身元を調べると女は、東京の娼妓杉戸八重、男の方が樽見京一郎の秘書であること、舞鶴で二人一緒のところを飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_1595920.jpg誰も見ていないこと、さらに女の服のポケットに樽見京一郎の新聞記事切り抜きが、あったことから東舞鶴警察署本島署長(藤田 進 1912~1990)は、樽見京一郎の逮捕を命じました。
10年前函館署で捜査に当たった元刑事の弓坂(伴 淳三郎)も駆けつけ捜査に協力、八重の父杉戸長左衛門(加藤 嘉 1913~1989、1974年「砂の器」の父役も秀悦)、遊郭主人本島進市(三井弘次)などの証言から東舞鶴署の捜査陣は、樽見京一郎が、飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_15124421.jpg犬飼多吉であると確信、八重の遺した身の回り品などから犬飼多吉である重要な証拠品を発見しました。
主演の三国連太郎さらに共演の左幸子、伴淳三郎、高倉健(私が見た映画の中で最高)の‘迫真の演技’は、実にすばらしく日本映画史で語り継がれていくでしょう。
飢餓と貧困の恐怖から必死で逃れるために極限の愛まで葬った男の人生を描いた「飢餓海峡」は、1974年映画「砂の器」(原作松本清張 1909~1992、監督野村芳太郎 1919~2005)と併せ‘社会派飢餓海峡(後)  シネマの世界<第500話>_a0212807_15131811.jpgミステリーの二大傑作映画’と思います。
シンセサイザーの先駆者にして名作曲家冨田 勲(1932~)の音楽も重厚な人間ドラマを盛りあげていました。

(右写真:撮影現場でカメラ・チェックをしている内田吐夢監督)
by blues_rock | 2015-06-14 00:04 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)
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