エンゼル・ハート シネマの世界<第452話>
監督(=脚本・演出)、撮影(=映像)、音楽(=サウンド・トラック)、演技者(=俳優)の感性が、才能の沸点で反応してできた作品の醍醐味は、また格別です。
「エンゼル・ハート」は、才能の融合という意味では、アラン・パーカー監督(1944~ 脚本も)の指揮のもとサイコパス・ミステリーとホラーが、融合した最高の映画です。
1987年映画「エンゼル・ハート」の詳しいストーリーは、ネタバレするとつまらないので敢えて伏せますが、映画の舞台は、1955年真冬のニューヨークと真夏のニューオリンズです。
ミッキー・ローク(1952~)演じるしがない私立探偵ハリー・エンゼルは、ある日ロバート・デ・ニーロ(1943~)演じるサイファーと名のる怪しげな老人からジョニーという男を探して欲しいと依頼されました。
ミッキー・ロークとロバート・デ・ニーロ名優二人の演技は、次第にヒート・アップしていく緊張関係になるとさすがで見ていてゾクゾクいたします。
とくに序盤、依頼人のサイファーが、ハリー・エンゼルを前に、長い爪を立ててゆで卵の殻をむいて食べるシーンのホラーっぽさは、希代の名優ロバート・デ・ニーロの面目躍如です。
監督・脚本のアラン・パーカーは、イギリスの映画監督で、私の印象に残るのが、1978年映画「ミッドナイト・エクスプレス」、この1987年映画「エンゼル・ハート」、そして1988年映画「ミシシッピー・バーニング」です。
撮影は、ニュージーランドの撮影監督マイケル・セレシン(1942~ 新作の撮影は2014年「猿の惑星/新世紀」)の光と影を使った映像がすばらしく、音楽を担当した南アフリカの作曲家ヴァー・ジョーンズ(1949~)は、サウンド・トラックにジャズ・サック奏者スコートニー・パイン(1964~)をフューチャリング、ミステリアスなシーンには、神経を軋ませるサイコパスな音色を、血まみれの猟奇的な殺人シーンでは、オカルトというかホラーというか、見る者の恐怖心を煽る音色でパーカー監督の演出を支えています。
ジョニーの元愛人役でシャーロット・ランプリング(1946~)が、出演し退廃的な香りを漂わせ、ジョニーの娘役リサ・ボネット(1967~ ロック・ギタリスト レニー・クラヴィッツの元夫人)は、昼間の美しい娘から深夜になると一変、ブードゥの悪魔憑きの踊りを舞う不気味に巫女を熱演しています。
映像の光と影、音楽のサックスの緊張感溢れる音色‥「エンゼル・ハート」は、一級のホラー映画として見て損のない作品です。
のっけからナンですケド・・・いやいや「エンゼル・ハート」はB級の凡作ですよ。
封切り当時、そして過去2回ほどテレビでも放映したさい「いったいアレって何?ど~ゆ~意味??と質問されることが多かったから、気乗りせぬ原作にもあたったものでした(苦笑)
コノ映画は映像に凝りすぎて構成が破綻しています。
「羊たちの沈黙」のアカデミー賞受賞直後にはサイコパス/サイコキラーものが多くつくられたものでしたが、有象無象。玉石混交。羊頭狗肉。すくなくとも「エンゼル・ハート」は「シックス・センス」同様、ぜんぜん怖くもなく前評判ばかりで退屈で・・・ってなところが映画通にはウケるのかなぁ。謎だが(^^;)
ストーリーは淡々としているけども、独特の雰囲気の映像には引き込まれました。
シャーロット・ランプリングもこういう映画にはひったりとハマりますね。
哲学・思想ゆわんや芸術は、個人の価値観(美意識)が、すべてなので、いろんなコメント・意見をいただけると私は、とても励みになります。
まったくの余談ながら、私の嫌いなものは、独善的な哲学、排他的な宗教、全体主義(ファシズム)の思想、傲慢な芸術です。
「(自分の心を)どきどきさせるものだけが美しい」という白洲正子さんの言葉を私は、座右の銘にしています。
これからもどしどしコメント・ご意見をお願いいたします。
・・・ちなみに管理人のキライなものに倣っていえば、ワタクシは「散漫な芸術」がそうですね。百人百様の美意識に甘えて、いわば「逃げをうつ」ような作品はガマンなりません。
とくに総合芸術たる映画は、まずスジ!万民ナットクの起承転結!数学のようなハッキリした整合性をもとめます。映像美はあとまわし。
いやぁ~極右だなぁ★ぷぷぷw
明確な意思を持つことが、極右なら極右で結構ではありませんか?(ちなみに思考が偏狭排他、卑劣な徒党を意味する極右のことではありません。)
「散漫な芸術」の洪水から取捨選択‥そして私の心をドキドキさせる作品に出会えたらすこぶるハッピー、単純な私のシネマの世界です。