ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

処女の泉  シネマの世界<第445話>

a0212807_10505841.jpgスウェーデンを代表する、どころか20世紀の映画監督で十指に入る(私の個人的見解)名匠イングマール・ベルイマン監督(1918~2007)映画には、欠かせないパートナーの名撮影監督スヴェン・ニクヴィスト(1922~2006)と初めてコンビを組み撮影した作品が、1960年映画「処女の泉」です。
ニクヴィスト撮影監督が、カメラを回した映画で、ベルイマン監督作品以外の映画を挙げれば、私の印象に強く残るのは、「存在の耐えられない軽さ」・「ギルバート・グレイプ」・「ある結婚の風景」です。
ベルイマン監督の映画には、「神の沈黙と人間の苦悩」をプロットにした哲学(形而上学)的な作品も多く「ベルイマン監督の映画は、難解だ」と敬遠する方も多数いますが、映画という表現道具で最高の映像舞台劇を見せてくれる芸術家こそベルイマン監督とニクヴィスト撮影監督と思っています。
a0212807_1052815.jpg「処女の泉」も「神の沈黙と人間の苦悩」を主旋律にして登場する人物たちそれぞれの‘罪と罰’をコントラスト(陰影)の強い鮮明なモノクロ映像で描いています。
ベルイマン監督作品の主人公が、女性ばかりなのは、生涯5度の結婚をしたベルイマン監督の永遠のテーマが、神ではなく‘女性’だったからでしょう。
「処女の泉」は、アカデミー賞外国語部門賞、カンヌ国際映画祭特別賞その他受賞しています。
a0212807_1052522.jpg映画は、中世スウェーデンの寒村で起きた少女強姦殺人の悲劇と敬虔なキリスト教徒である父親の犯人たちへの復讐(殺害)を描いた作品です。
地主のテーレ(マックス・フォン・シドー 1929~)と妻メレータ(ビルギッタ・ヴァルベルイ 1916~)、一人娘のカリン(ビルギッダ・ペテルソン 1939~)は、敬虔なキリスト教徒一家でしたが、召使のインゲリ(グンネル・リンドブロム 1931~)は、土着の神オーディンを信奉、両親の愛を受け苦労を知らず自由奔放に育ったカリンに嫉妬し呪ってa0212807_10575352.jpgいました。
ある日、教会へミサ用の蝋燭を届けるよう両親に命じられたカリンと付添いのインゲリは、深い森の中を教会に向かいました。
途中、カリンとインゲリは、言い争い、カリン一人で教会に向かいました。
山道でカリンは、見るからに貧しそうな羊飼いの兄弟3人と出遭いました。
木の根を食べていると言う彼らを憐れんだカリンは、食料を分けてあげました。
a0212807_111019.jpgしかし、清純で美しいカリンに欲情した長男と次男が、カリンを強姦し殺してしまいました。
カリンの後を追って来たインゲリは、その様子を木陰から見ていましたが、カリンを助けようとしませんでした。
カリンを殺害したその夜、羊飼いの兄弟3人が、冬の寒さをしのぐため一夜の宿を求めたのは、彼女の家でした。
カリンの両親は、羊飼いの兄弟に親切に食事と暖を与えました。
a0212807_1114555.jpgカリンの家と知らない羊飼いの兄弟3人は、母メレータに殺害したカリンから奪った衣服を売ろうとしました。
羊飼いの兄弟が、娘を殺した犯人と知った父テーレは、彼らを皆殺しにして復讐しました。
兄弟と言うだけで罪のない末っ子の少年まで殺したテーレは、我に返ると自分の犯した罪に戦慄し神に許しを求めました。
娘カリンの亡骸を見た父テーレは、神の無慈悲に絶望しながらも神に魂の救済を求めました。
a0212807_1121432.jpg父テーレと母メレータは、娘カリンの遺体を抱きあげました。
すると遺体のあった場所から泉が、湧き出しました。
インゲリは、流れる水で汚れた自分を清め、父テーレは、この場所に石造りの教会を建てると神に誓いました。

(左写真 : 撮影監督スヴェン・ニクヴィスト 奥 と、イングマール・ベルイマン監督 前)
by blues_rock | 2015-01-27 00:07 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)