ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

利休  シネマの世界<第406話>(後編)

弟の大納言秀長が、病気で急逝すると太閤秀吉の自我(ワガママ)と勘気(カンシャク)を諌める者がいなくなり、天下人(てんかびと 最高権力者)の秀吉は、ますます暴走するばかりでした。
a0212807_2134881.jpg
金ピカの黄金の茶室で利休に茶を点てさせようとする秀吉に対し、利休の茶道は、さらに‘枯淡閑寂の侘び茶’となり、瓦職人の長次郎に焼かせた黒楽茶碗を愛で、茶室を四畳半から三畳さらに二畳敷へと狭くし質素な草庵の茶道になりました。
a0212807_2142325.jpg
利休が、茶の湯で究めた茶の道は、自由な精神と個性を有する者が、天下人も町人もなく同等に二畳敷の狭い草庵(小宇宙)に入り、対等な存在として茶を嗜(たしな)むことでした。
弟秀長の死によりブレーキの効かなくなった秀吉は、自らの手で豊臣政権を破壊していきました。
a0212807_2172637.jpg天下統一を成した秀吉は、次なる夢、唐入り(中国支配)の野望に燃え、全国の諸大名に対し、その先陣として「朝鮮出兵」に協力するよう求めますが、秀吉の天下(豊臣政権)を支える諸大名に朝鮮出兵する気など毛頭ありませんでした。
映画「利休」のクライマックスは、諸大名の意を汲んだ利休が、死を覚悟し、狭い待庵の中で秀吉に朝鮮出兵を思い止まるよう説得するシーンです。
これに激怒した秀吉は、待庵のにじり口の戸を蹴破って帰りました。
利休を排除したい石田三成は、太閤秀吉に「2年前、太閤殿下が、大徳寺参拝をなされた折、茶頭の利休は、a0212807_2117188.png寺入り口の山門楼閣に自らの木像を置いておりました。利休めは、あろうことか自らの足元の下を太閤殿下に潜らせたのでございます。」と大徳寺の‘利休木像奉納’を謀反の証拠と入れ知恵しました。
秀吉は、家臣にあって、ただ一人自分の思うようにならない茶頭の利休に「切腹せよ」と迫りました。
利休切腹の命に秀吉を諭す大名は一人もなく、独裁者太閤秀吉の勘気に触れることを恐れてのことでした。
a0212807_21432832.png秀吉の本意は、天下の茶頭で、長年自分と交際のあった利休が、秀吉の前に平伏し詫びさえすれば利休を赦免し「利休を屈服させる」考えでした。
利休の妻や茶の湯の指南を受けていた大名ほか利休を慕う人たちは、利休を説得しますが、「私は、赦しを請うつもりはない。一旦詫びれば詫び続けなければならぬ。それでは精神が死ぬ。」と利休は、秀吉に一切釈明せず黙したまま自刃(切腹)しました。    (下写真:古伊賀水指「破袋」)
a0212807_21442316.jpg利休は、自刃する前、秀吉からの切腹の命を知らせ、その首を持ち帰る役目の家来に「茶の支度ができております」と茶を振る舞ったそうです。
映画「利休」は、芸術家勅使河原宏の精神性を強く感じると同時に、映像作家勅使河原監督の面目躍如たる美意識を感じさせる作品でもあります。
勅使河原監督作品「利休」の撮影は、名撮影監督の森田富士郎(1927~2014)、音楽を世界的な作曲家武満徹(1930~1996)、衣装を映画界屈指の衣装デザイナーワダミエ(1937~)、古美術茶道具の指導を林屋晴三(1928~)と各分野で秀でた方々が、名を連ねています。
by blues_rock | 2014-10-23 00:23 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)