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心の時空

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利休  シネマの世界<第406話>(前編)

a0212807_20403625.jpg映画監督(日本アート・シアター・ギルド最初の日本人監督)にして映像作家、さらに華道家(草月流家元)でもある前衛芸術家の異才勅使河原宏監督(1927~2001)が、1989年に発表した「利休」は、映画を‘総合芸術’として表現した傑作です。
野上弥生子(1885~1985)の小説「秀吉と利休」を原作に二人の前衛芸術家、一人は映画監督の勅使河原宏ともう一人、前衛画家にして作家でもある赤瀬川原平(1937~)が、共同で脚本を書き、映像作家としての勅使河原監督の演出へのこだわりは、徹底しており自らの美意識に貫かれています。
その勅使河原監督の能と歌舞伎を融合したような演出に、稀代の名優二人、三國連太郎(1923~2013)と山﨑努(1936~)が、入魂の演技で応えています。
‘侘び茶(茶の湯)’を確立した千宗易(後の千利休)を演じる三國連太郎(1923~2013)は、専(もっぱ)ら静の演技で精神性を強調、天下人の関白豊臣秀吉を演じる山﨑努(1936~ こちらは参考)が、激しい動の演技で品格なき権力者像を体現しています。
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この主役の怪優二人を中軸にして歌舞伎・能楽・演劇界で活躍する役者、トップモデル(淀君役を山口小夜子)など名うての共演者が、しっかり脇を固め、さらに勅使河原監督の熱意に打たれた映画製作スタッフには、錚々たる一流どころが、結集し史実にある「利休切腹にいたるまでの秀吉との確執」の一大絵巻を繰り広げます。
a0212807_20552082.jpg映画に登場する二畳敷の茶室「待庵(たいあん 左写真)」(国宝)の墨跡、山水図、利休の使用する茶碗や水指など茶道具類始め、屏風、蒔絵手箱、青磁香炉など調度類、居室に設えられた襖(長谷川等伯)など、いずれ劣らぬ国宝か国宝級重要文化財、古道具の逸品ばかりがずらり並び、映画の随所に見られる見事な生け花も草月流華道家である勅使河原監督自ら活けたものです。
利休を演じた俳優歴十分の三國連太郎でさえ、撮影時の国宝級の実物茶道具を使った演技に緊張していたそうです。
千利休(当時の千宗易)は、堺の魚屋(ととや)の息子で、若年より‘侘び茶’の祖、村田珠光(じゅこう、)の後継者である武野紹鴎(じょうおう)に茶の湯の指導を受け、禅の「枯淡閑寂」の精神を学びました。
やがて堺を支配した織田信長から茶頭(茶の湯の指南役)に召抱えられ、本能寺の変による信長の死後、関白(天下人)となった太閤秀吉もまた利休(宗易)を茶頭にしました。
関白秀吉に随行して宮中に参内、秀吉の天皇献茶(茶の湯の点前)を指南した宗易は、天皇から‘利休’の名を賜りました。
a0212807_2058087.jpg信長、秀吉と天下人二代の茶頭となり、名も千利休と改め、天下の茶頭となった利休は、豊臣家に仕える諸大名から慕われ、彼らから茶の湯の指南を求められました。
秀吉の弟秀長は、兄秀吉を長い間支えてきた豊臣政権の実力者で、太閤秀吉にただ一人意見具申できる秀長まで「内々のことは利休が、公のことは秀長が承る」と臣下の諸大名に言うようになりました。
利休の存在を厄介に思うようになったのが、秀吉の側近で行政を担当する奉行石田三成でした。(後編に続く)
by blues_rock | 2014-10-22 00:22 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)