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心の時空

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歌人中城ふみ子、最期の手紙

歌人中城ふみ子、最期の手紙_a0212807_1474996.jpg日本経済新聞に「歌人中城ふみ子 恋と死」の記事が、シリーズで先々週から掲載されています。
中城ふみ子(1922~1954)は、戦後、彗星のごとく歌壇に顕われて31才でスゥーと逝った夭折の歌人です。
歌人中城ふみ子は、二十歳で結婚し子供4人を生み離婚、大病(乳癌)による死を前に妖変、旧弊な倫理観を一切排斥し、自らの内の声(恋と死)を絶叫する歌を詠みました。
病院に見舞いに来た男たちを病室のベッドで添い寝させたそうです。
病院からの非常識という忠告に「死を待つ者の最期のやすらぎを私から奪うのか」と抗議したと言います。
短歌編集者の中井英夫(1922~1993)は、全国誌「短歌研究」編集長時代、同じ年齢の無名歌人中城ふみ子の才能を高く評価、「短歌研究」に採り上げ、中城ふみ子短歌集「乳房喪失」(1954)を刊行しました。
「乳房喪失」のゲラ版が、中城ふみ子の元に届いたのは亡くなる1カ月前でした。
歌人中城ふみ子、最期の手紙_a0212807_17304012.jpg歌人中城ふみ子が、同志中井英夫に宛てた最期の手紙に「中井さん、来てください。きっといらしてください。その外のことなど歌だって何だってふみ子には必要でありません。お会いしたいのです。」と書かれていました。
中井英夫からの返事は、中城ふみ子が、亡くなる前の日に投かんされていました。
中城ふみ子臨終の言葉は、「死にたくない」だったそうです。

      陽にすきて 流ろふ雲は 春近し 噂の我は 「やすやすと堕つ」    

      音たかく 夜空に花火 うち開き われは隈なく 奪われてゐる

      枇杷の実を いくつか食べて かへりゆく きみもわが死の 外側にゐる
by blues_rock | 2014-07-21 00:06 | 詩/短歌/俳句/小説 | Comments(0)
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