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心の時空

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西鉄ライオンズ(神様、仏様、稲尾様)

福岡市中央区の福岡城跡に設けられた平和台球場を本拠地(ホーム・グウンド)に、わずか21年間(1951~1972)存在し、時代を駆け抜けた「西鉄ライオンズ」というプロ野球パ・リーグ球団がありました。
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          高倉25・豊田7・中西6・大下3・関口27・河野10・仰木5・和田29・稲尾24のナイン
三原脩監督(ミハラオサム 1911~1984)は、相手チームから野武士軍団と畏れられた豪放磊落な「西鉄ライオンズ」を率い、1954年から1958年(昭和29年から昭和33年)の5年間「西鉄ライオンズ」の黄金時代(1955年の2位以外a0212807_11524359.pngパ・リーグ優勝)を築きました。
三原監督の采配は、‘三原魔術(ミハラマジック)’と称賛され、1956年から1958年(昭和31年から昭和33年)まで「日本シリーズ三連覇」を達成しました。
とくに1958年の日本シリーズでは、西鉄ライオンズは、入団3年目21才の若きエース稲尾和久投手(1937~2007)を先発させましたが、シリーズ初戦から第3戦まで3連敗(稲尾投手2敗)、いきなりセ・リーグの覇者ジャイアンツに王手をかけられました。
a0212807_11532380.jpgそれでも三原監督は、第4戦以降の試合もエース稲尾を連投させて、ついに4連勝、大逆転のすえ1958年の日本シリーズを制し「日本シリーズ三連覇」を達成、このジャイアンツとの試合は、日本プロ野球史に残る名勝負として語り継がれています。
この日本シリーズでの稲尾投手は、全7試合中6試合に登板、第3戦から‘5連投’しました。
特筆すべきは、全7試合の5試合に先発うち4試合を完投、第5戦では稲尾投手自ら延長10回裏サヨナラ・ホームランを打ち八面六臂の大活躍、西鉄ライオンズファンは、稲尾投手を「神様、仏様、稲尾様」と讃えました。
a0212807_1154546.png後年、病床に伏していた三原監督は、見舞いに訪れた稲尾投手に「君に連投を強いて申しわけなかった」と詫びたそうですが、稲尾投手は「当時、私は投げられるだけでうれしかった」と答えたそうです。
稲尾和久投手は、大分県別府市の高校を卒業し1956年西鉄ライオンズに入団当時19才 で21勝(防御率1.06)、1957年20才35勝(防御率1.37)、1958年21才33勝(防御率1.42)、1961年は年間42勝を上げ1962年25才の時200勝を達成、プロ入り7年目の200勝達成は、プロ野球史上最速の快挙でした。   (上写真:日本シリーズで巨人王選手と対決する稲尾投手)
稲尾投手のプロ14年間で276勝(年平均19.7勝、防御率1.98)の記録は、前人未到の驚異的な数字です。
a0212807_1156050.jpg高校を卒業したばかりで無名投手であった稲尾和久は、西鉄ライオンズ打撃の中心スラッガーであった先輩中西太(1933~サード)、豊田泰光(1935~ショート)の打撃練習を手伝うバッティング投手でした。
二人から4球に1球ポールを投げるよう指示された稲尾投手は、ストライクぎりぎりのポール球を二人の先輩に投げ、その抜群のコントロール(新人投手稲尾の制球能力)に驚いた二人は、三原監督に「稲尾を使って欲しい」と早くから進言していました。
by blues_rock | 2014-05-03 00:03 | 柏原生活/博多叙景 | Comments(0)