日本国憲法制定記念日を前に(不戦の誓い:前編)
現在の2014年から2100年(22世紀)に至るまでの86年(86年なんてすぐ)を想像すると世界に蔓延する「民族の対立と憎悪」、「宗教の独善と偏狭」、「貧富の格差と偏在」の現実の中で、日本国憲法は、日本以外の国家ではあり得ない「究極の人類理想」を希求(先取り)しているので、これを敢えて否定しないで、人類理想は理念として維持し、さりとて世界の酷い現実に目を瞑(つむ)り、見て見ぬふりをして避けて通る卑怯も許されないことです。
わが身を厭わず私利私欲を棄てた潔い品格ある政治家が、日本に一人でも多くなり、民政向上を担う主権者意識が、もう少し高くなれば日本は、世界の国々から慕われる国になると思います。
ともあれ一部の日本人に見られる救い難い、この100年の歴史において何でも日本が悪いと他国に阿る‘自虐史観’は、中国共産党や韓国政府にとって‘渡りに船’で、愚かな歴史観と思います。
また一方で偏狭なナショナリズム、ヘイトスピーチ、勇ましい進軍ラッパが好きな一部の人たちの行為も‘敵に塩を送る’と同等の悪しき行為と云えます。
先日、日本国憲法が、ノルウェーのノーベル賞選考委員会に‘ノーベル平和賞候補’として受理されました。
日本国憲法の有する人類理想の理念に何ら問題はありませんが、憲法第9条には、世界の荒んだ現実とのズレもありますので、日本国民の総意で新たに一条項を付記すれば良いだけのこと、「改憲だ!」「護憲だ!」と口角泡を飛ばし激昂して議論するほど難儀な条項(こちら)ではありません。
全世界の人々が、理不尽な不幸を被った先の大戦から早や70年が過ぎました。
戦争の惨禍から辛うじて生き残り、戦後の艱難辛苦に耐えて現在がある80歳、90歳の方々は、戦争当時10歳から20歳未満で、どなたも‘戦争の被害者’であり、まだ当時は選挙権もなく、成人ではない方々が、戦争責任を負わなければならない理由はありません。(後編に続く)