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心の時空

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a day in my life

クリミア半島とヤルタ(下)

イギリスの首相チャーチル(第2次世界大戦伝記でノーベル文学賞受賞)は、ヨーロッパを支配した独裁者ヒトラーのナチス・ドイツとの戦争にアメリカを巻き込むことに成功、さらにチャーチルは、大嫌いな共産主義国家ソ連邦とも手を組みヒトラー率いるドイツ軍を挟み撃ちにするため連合国軍として参戦させました。
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1945年になるとヨーロッパの戦況は、ナチス・ドイツの降伏も時間の問題となり、アメリカは、太平洋での日本との戦争で、アメリカ軍の被害(戦死者・負傷者)拡大を憂慮していました。
当時のソ連邦は、日本との間で‘相互不可侵(日ソ中立)条約’を締結していましたので1945年(昭和20年)8月
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9日まで日本に宣戦布告しませんでした。                 (上写真:クリミア半島ヤルタ風景)
日本は、8月10日連合国側に対しポツダム宣言(無条件降伏)受諾を通告していますのでソ連邦は「日本の敗戦」を確信して日本に宣戦布告したのでした。           (下写真2枚:クリミア半島の自然と古城)
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ともあれ日本の最悪の失態は、1945年3月、首都東京が大空襲を受けながら冷静な戦況判断できなかった国家指導者の愚劣さ(国民にウソの戦況を流し続けた大本営の大罪)にありました。
ソ連軍の参戦には、世界の歴史上極めて狡猾巧妙で重要な‘政治的な布石’がありました。
a0212807_2492096.jpg1945年2月4日から11日かけアメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連邦書記長スターリンの三者は、秘密裏にクリミア半島のヤルタで会談、三者の間で‘秘密協定’を結びました。
そこでは、第二次世界大戦後の国際社会の枠組みと利害調整(戦後処理)が、話し合われました。
アメリカのルーズベルト大統領は、ソ連邦のスターリン書記長にナチス・ドイツ降伏後3か月以内に日ソ中立条約の廃棄と対日参戦を求めました。
スターリンは、ルーズベルトに見返りとして当時日本が支配していた満州・南樺太・千島列島の領有を要求しました。
「ヤルタ秘密協定」で満州は、蒋介石率いる国民党中華民国に帰属、南樺太と千島列島は、ソ連邦の領有が決まりました。
1945年8月15日の日本敗戦後、ソ連軍は8月28日から9月1日にかけ択捉・国後・色丹島を占領、さらに9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領、北海道の占領も目論見ましたが、日本占領を完了したマッカーサー率いるa0212807_2512990.jpgアメリカ軍に阻止されました。
「ヤルタ秘密協定」当事者の一人であったアメリカ大統領ルーズベルトは、ヤルタ会談の2か月後の1945年4月、病気で死去しました。(注:ヤルタ会談時ルーズベルトはすでに不治の病に冒されていました。)
1956年アイゼンハワー大統領は、アメリカ国務省の公式声明として「ヤルタ秘密議定書は、ルーズベルト個人の文書でありアメリカ政府の公式文書ではなく無効である。」を発表しました。
a0212807_25322.jpg1951年アメリカ議会は、日本とのサンフランシスコ講和条約批准を承認する決議において「この承認は、アメリカ合衆国としてヤルタ秘密協定に含まれているソ連邦に有利な規定の承認を意味しない。」と敢えて宣言しています。
「ヤルタ秘密協定(つまり密約)」は、連合国首脳による軍事協定にすぎず、国家間の条約ではないので「当事a0212807_2552725.jpg国が関与しない領土の移転は無効」という国際法にも明白に違反、ヤルタ会談の当事国だったアメリカ政府でさえ法的根拠を与えていません。
まして歴史上日本(徳川幕府)とロシア(ロシア帝国)との間では、1855(安政元)年2月7日に日ロ和親条約が調印され、日本とロシアの国境を「択捉島とウルップ島の間」に画定しています。
地球に人類が生存する限り、世界の歴史‥戦争と平和の歴史は、永遠に続くことでしょう。(完/続編
by blues_rock | 2014-03-15 00:44 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)