ブログトップ | ログイン

心の時空

yansue.exblog.jp

a day in my life

クリミア半島とヤルタ(上)

日本人で「クリミア半島」の位置が、すぐに分かる人は、相当世界の歴史に明るい方と推察します
現在、世界中が注目しているクリミア半島は、黒海を挟んでトルコの真北にあるウクライナ共和国の一部です。
a0212807_22114266.jpgウクライナ共和国は、共産主義国家ソ連邦の時代、ロシアに次ぐ主要な共和国でした。
‘ウクライナ’とは、辺境という意味だとか、モスクワから遠い‘辺境の地’に由来するのかと思ったら、東ヨーロッパの果てポーランドよりさらに東にある辺境の地‘ウクライナ’にその名は由来するそうです。
とくに‘ヨーロッパの火薬庫’と呼ばれるバルカン半島に隣接するウクライナとクリミアは、歴史的にキリスト教文明とイスラム教文明の衝突に巻き込まれて来ました。
さらにキリスト教文明圏においてもカトリック教会とロシア正教会の支配権益が、真っ向から対立する場所でもありました。
オスマントルコ・スラブ・ゲルマンなどの各民族が、宗教と複雑に絡み合いながらバルカン半島とクリミア半島で対立、紛争してきました。
ナイチンゲール(1820~1910)を有名にしたクリミア戦争(1853~1856)では、イギリス・フランス・オスマントルコ
a0212807_22173035.gif
同盟が、ロシア帝国と対立、異民族・異教徒同士が、戦争に勝つためには何でもありと合従連衡(敵の敵は味方)し、この地域の覇権を争いました。   (下地図:バルカン半島は、現在も‘ヨーロッパの火薬庫’です。)
a0212807_22185295.gifソ連邦時代のクリミアは、ロシア共和国の自治州でしたが、1954年にソ連邦書記長フルシチョフは、クリミア州をウクライナ共和国に移管しました。
当時のソ連邦共産主義国家のヒエラルキーのもとではクリミア半島が、ロシアであろうとウクライナであろうと何ら問題ではありませんでした。
しかし、1991年ソ連邦の崩壊で1954年以前には、ロシアであったクリミア半島のロシア人住民(クリミア住民の60%)は、1992年クリミア自治共和国を宣言しウクライナ共和国からの自治権を獲得しました。
a0212807_22302971.jpg1994年ロシアは、ロシア共和国からの分離独立を目指すチェチェン共和国へ軍事介入しチェチェンを武力制圧したことから、ロシア(当時のロシアはソ連崩壊直後でボロボロな国家)もアメリカやヨーロッパ諸国に圧されてウクライナから分離独立しようとするクリミアに軍事介入する勇気はありませんでした。
a0212807_22351794.jpg
それから20年、その間プーチン大統領は、ロシア憲法を変えずに大統領任期終了後再び首相となり院政を敷きながら、用意周到な元KGB工作員の巧妙さで再び大統領となり、いまやロシア国内に政敵のいない絶大な国家権力を手中に収めました。(中に続く
by blues_rock | 2014-03-13 00:38 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)