運慶とミケランジェロ
鎌倉時代、奈良を拠点に活動した天才仏師「運慶」(生年不詳~1224年)と兄弟子「快慶」、運慶の弟「定覚」、運慶の息子「湛慶」による傑作の木造彫刻(代表作)です。
彼らを育てた師匠が、平安末期から鎌倉時代初期(1100年代)にかけて、奈良の仏師を率いた「康慶」(支援者は後白河天皇 こちら)で、運慶と定覚は、康慶の息子、湛慶は孫、快慶は弟子でした。
‘阿形’像(あぎょう、南門左側)は、運慶と快慶の製作で、‘吽形’像(うんぎょう、南門右側)を定覚と湛慶が、
製作したと伝えられています。
阿吽(あうん)両像とも運慶が、製作の指揮を執った(製作監督であった)であろうと完成度の高さや当時の奈良仏師の仕事ぶりから推察されています。
ミケランジェロの大理石彫刻ダビデ像(1501-1504製作 フィレンツェ アカデミア美術館所蔵)もまた巨大で高さは、5.17㍍あります。
ミケランジェロは、衆人の目に晒(さら)されながら仕事することを非常に嫌い、26才から完成するまでの3年間、非公開にして製作しました。
ダビデ像製作のためにミケランジェロは、かなりの枚数の彫刻下絵(エスキース)や素描(デッサン)を準備したと思われますが、ミケランジェロ自身の手で焼却したと推察されています。
嗚呼、天才のすることは、本当に分からない ‥ ミケランジェロは、何とモッタイナイことしたのでしょう。
もし残っていたとしたら、その芸術的価値は、どれほどのものであったでしょうか?
(絵の値段:こちら参照)
美神(ミューズ)に選ばれし天才たちが、芸術を生み、天才たちの傑作が、時空を超えて後世の衆生(凡人たち)の心を癒してくれます。
凡人の戯言(たわごと)は、さて措くとして、天才彫刻家ミケランジェロに「これが、あなたの生まれる300年前、日本という国の彫刻家(仏師)運慶さんたちが、製作した木造の仁王像です。」と紹介し「ご覧になった感想は、いかがですか?」と質問してみたいもの、これも戯言(たわごと)かもしれませんね。