隠された記憶 シネマの世界<第250話>
この作品もカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しました。
ミヒャエル・ハネケ監督は、映画撮影に当たって自ら脚本を書き監督しています。
この「隠された記憶」のプロットにもハネケ監督の芸術性が、色濃く表れています。
主人公夫妻の元へ1本のビデオテープが、不気味な絵とともに送られて来ます。
ジャーナリストの夫(ダニエル・オートゥイユ 1950~)は、テレビに自分の番組をもつ人気司会者、妻(ジュリエット・ビノシュ 1964~)は、出版の仕事で忙しく働いており二人には十代の難しい年頃の男の子がいました。
ビデオテープの映像は、三人の住むアパルトマンの玄関を道路の向こうから延々と映しただけの不気味で意味不明なものでした。
ビデオテープは、映像と絵を変え数本送られて来ますが二人にイヤガラセを受ける憶えや脅迫される心当たりはありませんでした。
夫は、ビデオテープの映像を見るうちに道路標識の文字や見憶えのある家を見つけました。
子供時代の記憶が甦(よみがえ)り、妻に隠しある時はウソをつき‘犯人’を探しました。
妻は、得体のしれない恐怖と不安に怯え、十代で反抗期の息子は、自分に隠し事をする両親に反発、行き先も告げず無断外泊します。
妻は、夫に不審を抱き、息子は母に愛人がいると憶測しました。
ミヒャエル・ハネケ監督(左写真)は、インテリ夫婦の静かだった幸福な家庭が次第に崩れていく様子を見せながら映画を見る者にも‘犯人’(ビデオテープの差出人)が誰なのか、目的は何なのか、教えず、見る者に得体のしれない不気味な感情を持たせながら映画は展開していきます。
映画に音楽は流れず見ている者に聞こえるのは、人の話し声と物音だけ、それが何となく落ち着かない緊張感を生み最後まで途切れません。
ハネケ監督独自の演出としてHDビデオを使った撮影で日常生活の生々しさを出し、映画に音楽(サウンド・トラック)をまったく使用せず登場する人物の会話と生活の物音で深層心理サスペンス効果を出しています。
‘犯人’は誰で、目的は何なのか‥真犯人は、映画を見た人の深層心理に現われます。