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心の時空

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a day in my life

旧白洲邸「武相荘」

a0212807_125788.jpg白洲正子(1910~1998)、白洲次郎(1902~1985)夫妻が、昭和18年(1943年)から暮らした町田市鶴川の旧白洲邸「武相荘」を私は何度か訪ねました。
小田急線鶴川駅から徒歩15分くらいの住宅街の中に、昔の面影を残した茅葺家屋の「武相荘」と山野草に覆われた山里のような庭があります。
「武相荘」とは、白洲次郎が、昔の‘武蔵の国’と‘相模の国’の境にあるこの地に因み‘無愛想’にひっかけた遊び心で「武相荘」と名付けたことに由来します。
a0212807_12574622.jpg昭和16年(1941年)日本が、アメリカ相手に太平洋戦争を始めると当時の世界情勢に詳しい白洲次郎は、早くも日本の敗戦と戦後の食料難を予見し東京郊外の田舎に茅葺きの農家と農地を購入、早々に移り住み自給自足の農民生活(野良仕事)を始めました。
白洲次郎41才(と白洲正子33才)の時で、これが現在の旧白洲邸「武相荘」です。
日本敗戦の戦後処理(無条件降伏~サンフランシスコ講和条約締結)では、吉田茂首相(当時)の側近(ブレーン&通訳)としてアメリカ側(GHQ)と交渉‥プリンシプル(原則)を貫く毅然とした態度に‘従順ならざる唯一の日本人’と言わしめました。
アメリカ占領下の日本で絶大な権力をもったGHQ民政局長コートニー・ホイットニー准将が、白洲次郎の話す見事なイギリス英語を褒めると彼は、ホイットニー准将a0212807_12591676.gifに平然と「あなたももう少し勉強すれば上手くなりますよ。」とやり返したそうですからアメリカも白洲次郎には、相当手を焼いたことでしょう。
傍若無人なイメージと経済合理性優先の実利主義者であった白洲次郎ですが、終生虚装・虚栄・虚名を嫌う我執なき無欲の人でした。
家族に宛てた白洲次郎の遺言書には「葬式無用・戒名不用」とだけ書かれていたそうです。
稀代の数寄者にして古美術目利きの「白洲正子」については、拙ブログで3回ほど書きましたので、そちらをご参考にしていただけると幸いです。
(「白洲正子」参考記事)
・心の時空‥ どきどきさせるものが美しい(こちら) 
・白洲正子考‥ 筑紫里子さん(歌人)からの手紙(こちら
・白洲正子の世界展(2000年特別展)(こちら
by blues_rock | 2013-10-11 00:42 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)