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心の時空

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a day in my life

太宰治「斜陽」

太宰治の「斜陽」を初めて読んだのは、高校生の時でした。
a0212807_0292739.jpg私は、子供の頃から冒険小説なども含め、あまり読書には興味がなく、「紅孔雀」・「赤胴鈴の助」などラジオの連続放送劇や「落語」番組に夢中になり、‘嵐寛寿郎’・‘東千代の助’・‘大友柳太郎’などが、活躍する勧善懲悪時代劇映画に心躍らせていました。
高校生になり読書家の友だちが、「これおもしろいよ」と太宰治の「斜陽」を貸してくれました。
田舎育ちで恋愛すら知らない私には、退廃と官能の匂いがする異次元の世界でした。
「斜陽」は、私小説家太宰治(1909~1948没 享年39才)と彼の愛人の一人である山崎富栄(1919~1948没 享年29才 )が、玉川上水で心中自殺する一年前の作品(1947年発表)です。
太宰治は、東京大学学生の時に心中自殺事件を起こし相手だけ死亡するという自殺未遂を謀っています。
太宰治は、39年の生涯で4度の自殺を謀るくらい‘自死願望’の強い人でした。
薬物(覚醒剤)中毒から逃れるためアルコール依存症になり、家庭を捨て愛人の間を流離(さすら)い、無頼でa0212807_0334623.jpg退廃的な暮らしを続けていました。
「斜陽」の主人公かず子は、太宰治の愛人の一人太田静子(歌人 1913~1982)が、モデルながら、病気とアルコール依存症で苦しむ太宰治は、新しい愛人として美容師の山崎富栄に「死ぬ気で恋愛して見ないか」と誘い、山崎富栄も「太宰さんが生きている間は、私も生きます。でもあの人は、死ぬんですもの。」と玉川上水で心中自殺するまで太宰治を看護し執筆できるよう介助を続けました。
太宰治は、小説の退廃的な作風の中に神を求めた作家でもありました。
私は、太宰治の「斜陽」(こちら)を久しぶりに読んで、そんな風に感じました。
とくに「七 直治の遺書」に強く惹かれました。
姉さん。だめだ。さきに行くよ。僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。生きていたい人だけは、生きるがよい。人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。(中略)
a0212807_0343795.jpg人間は、みな、同じものだ。なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主々義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれを言う。「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」 なぜ、同じだと言う
a0212807_0353558.jpgのか。優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。けれども、この言葉は、実に猥褻で、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、栄光は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、この不思議な一語からはっしていると僕は思っているんです。
(以下略)この続きは、小説「斜陽」を読んでいただき、頽廃の匂いのする滅びの儚(はかな)さを夏の夜のひと時ゆっくり堪能してください。
by blues_rock | 2013-07-26 00:20 | 画集/本(Book) | Comments(0)