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心の時空

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a day in my life

東京物語と小津安二郎監督  シネマの世界<第185話:前編>

a0212807_1555990.jpg小津安二郎監督(1903~1963没、享年60才)は、日本映画史における稀代の名監督です。
小津安二郎監督の没後50年、「小津調」と称された小津監督の映画芸術は、世界中の映画ファンを魅了し、多くの映画監督に影響を与えて来ました。
私は、中堅にして今や名監督ひとり是枝和裕監督の映画(こちら)に、その小津映画芸術の精神性が、色濃く表れているように思います。
映画や絵画、音楽など芸術の魂は、こうして作品を介し時空を超え、人の心に受け継がれて行きます。
小津安二郎監督は、還暦60才の誕生日に亡くなりました。
北鎌倉の円覚寺にある墓碑には、「無」の一字が、彫られているだけだとか、映画を一生の伴侶として撮影所に泊まり込み、生涯独身であった小津監督の映画にかけた思いを偲ぶことができます。
a0212807_156587.jpg「東京物語」は、1953年(昭和28年)の作品で、小津映画に不可欠の俳優「笠智衆(1904~1993)と女優「原節子(1920~)」をメインに据え‘家族というもの’を描いたこの作品は、小津映画の集大成(‘小津調’と呼ばれる唯一無二のオリジナリティ映画)で日本映画の最高傑作です。
小津安二郎監督は、20代後半の1930年代には、早くも芸術的な作品を撮る監督として映画評論家の評判は良かったのですが、興業的に成功せず悩んでいました。
やがて第二次世界大戦に突入し、戦時中は、映画監督としての小津安二郎にとって暗黒の時代でした。
戦争に召集され、中国戦地の過酷で劣悪な環境の中で生き抜きました。
シンガポールでは、映写機の点検と偽ってこっそり敵国映画とくにアメリカ(ハリウッド)映画の名作を数多く見たと生前述懐しています。
a0212807_158155.jpg1945年(昭和20年)8月戦争が終わり、その後映画に復帰した小津監督は、自分の体験から“美意識”に徹底的にこだわり、「一年一本」の寡作な映画監督になりました。
‘小津調’と呼ばれる映画の美しさへのこだわりは、小津監督の執念ともいえるほど一本ずつ徹底して作り込まれ、完成度の高い名作を発表し続けました。
a0212807_159554.jpg小津監督の美しさへのこだわりは、無残な焼け跡や戦後の汚い風景、登場する人物の汚れた服装などを自分の映画にいっさい入れず、小津監督の映画に軍服を着た人物が、一切登場しないことも映画監督小津安二郎の美意識と思います。
後編に続く)
by blues_rock | 2013-07-10 01:40 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)