古刹 聖福寺
聖福寺については、拙ブログ「絵の話‥□△○(仙厓)」(こちら)のところで、江戸時代後期の禅僧にして聖
栄西は、平安時代末期、南宋に渡り禅を修め、聖福寺を創建しました。
日本曹洞宗の開祖道元(1200~1253)は、「正法眼蔵」夜話で栄西にふれ、栄西を「僧正様」と称し尊敬していたそうです。
地図(右)は、博多駅を起点にした福岡市中心地で、聖福寺のあるところを「御供所(ごくしょ)町」といい、その昔、筥崎天満宮への御供え物を調えた所からその名は、由来しています。
今は、福岡市民に「寺町」の名で親しまれ、御供所(ごくしょ)町には、聖福寺と聖福寺塔頭(たっちゅう)のほか古刹「東長寺」、御供所町と道路を挟んだ東隣りに古刹「承天禅寺」があり、日本人の宗教観や日本の伝統的な食生活の原点、さらに今では、博多初夏の風物詩となった700年の伝統をもつ「博多祇園山笠」の源流を知ることができますので、古刹の続きでご紹介したいと思います。
(左写真:聖福寺裏の静寂な博多土塀の佇まいです。)