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心の時空

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ジンジャーとフレッド  シネマの世界<第168話>

イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督(こちら)晩年の作品「ジンジャーとフレッド」は、余ほどの映画ファンでないと途中で退屈するか、居眠りするかもしれない映画、そんなタイプの映画ですが、フェリーニ・ファンには、たまらない映画でしょう。
a0212807_1114358.jpg1986年映画「ジンジャーとフレッド」(イタリア・フランス・ドイツ共同製作)の物語は、さほど重要ではなく、往年のローマ芸能界に、昔ハリウッドで人気を博した名ダンス・コンビ「ジンジャーとフレッド」の名に肖(あやか)った芸名で、そこそこ名の知れた‘アメリアとピッポ’という二人の芸人が、クリスマス向けのテレビ生番組に出演するため、30年ぶりに再会するところから始まります。
二人は、若い時ダンス・コンビの旅芸人としてイタリア各地で働き、お互い愛し合い、やがて別れた過去があり、それ以来の再会でした。
映画は、年老いたアメリア(役:ジュリエッタ・マシーナ1920~1994、映画「道」のジェルソミーナ)と病気を抱え酒とタバコに依存する老人ピッポ(役:マルチェロ・マストロヤンニ1924~1996、イタリアを代表する名優)の再会からテレビ局舞台裏で30年のブランクをうめる二人のリハーサル、寄せ集められたごった煮のような出演者たちのa0212807_1125378.jpg嬌声が、混雑したテレビ局内に溢れていました。
やがてスタジオ内にライトが灯され、本番ショウのスタート、二人のダンスは、ヒッポの転倒もご愛嬌で観客からブラボーと盛大な拍手がありました。
テレビ番組終了後、ピッポは、夜更けのローマ駅までアメリアを見送り、これが二人の最期の別れとなることを暗示して映画は、終わります。
映画の最後、駅の改札口で、二人が淡々と別れるシーンは、人生の哀愁に包まれ、心切なくなるシーンでした。
a0212807_1133656.jpg映画「ジンジャーとフレッド」を通して、フェリーニ監督の持論とも言うべき、テレビ放送局の商業主義とテレビの過剰コマーシャル批判が、痛烈に描かれ、併せて退廃的なローマの街やイタリア社会を批判した映像もまた随所に見られます。
フェリーニ映画の素材とも言うべき巨乳豊満な女たち、猥雑な女たち、キワモノのような男たち、大道芸人のような人たちなど「フェリーニ的」な画面構成で、映像もモダンアートのポップな明るさと大衆的な俗っぽさに満ち溢れています。
イタリア映画界の至宝である名女優ジュリエッタ・マシーナと名優マルチェロ・マストロヤンニ、人生晩年の名演技をじっくり見ているだけでも「ジンジャーとフレッド」は、見る価値のある映画です。
by blues_rock | 2013-05-24 00:06 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)