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心の時空

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a day in my life

物原(ものはら)

a0212807_231494.gif日本陶器の歴史は、古く古墳時代(5世紀)に遡ります。
それまで弥生式の素焼き土器である土師器(はじき)を焼成していた古代日本人は、5世紀ごろ朝鮮半島から伝来した須恵器(すえき)焼成の技術‥窖窯(あながま)を高温にして還元焔で焼成する技術を学びました。
飛鳥時代(6世紀)になると古代中国から伝来した越州窯に触発された猿投(さなげ、愛知県猿投山麓)の陶工たちが、須恵器の自然釉による焼き締め技術を向上させ、灰釉(かいゆう)をかけ高火度で焼成する技術を開発し、祭器・仏具・香炉・硯・食器などの灰釉陶器を焼成しました。 (下写真:中世の窖窯跡)
a0212807_24248.jpg平安時代(8世紀)になると、それまで貴重であった陶器の焼成技術が、中日本一帯から近畿さらに西日本に広がり、六古窯を中心に壺(つぼ)・甕(かめ)・擂鉢(すりばち)・茶碗・皿などを焼成、一気に日本の陶器生産は、拡大し庶民にも普及しました。
九州は、朝鮮半島の陶磁器の影響が強く、唐津の陶器(古唐津窯)と有田の磁器(初期伊万里窯・古伊万里窯)を源流にして独自a0212807_281163.jpgの陶磁焼成窯を発展させました。
物原(ものはら)とは、窯で陶磁焼成したあと窯出しの時に発見されるキズモノ(商品にならないもの)を投棄した場所のことを言います。
その昔、日本の陶工たちは、「良質な陶土」・「焼成条件の良い登り窯の場所」・「豊富な赤松山林」のある山を求めて移動していました。  (上写真:中世の登り窯跡、下写真:物原跡に散らばる陶片)
a0212807_2101989.jpg窯を造営し生活している地域一帯に陶器生産用の原材料が、無くなると窯を捨て、陶工仲間や家族とともに、陶器生産のための三条件が、そろった次の新しい山へ移動しました。
千数百年の歴史をもつ日本古窯には、窯の記録が、一切なく、人々の記憶からも完全に消えた古窯が、山中の草茫々とした物原の発掘とともに発見されることがあります。
a0212807_2174286.jpg古窯のタイムカプセルである物原から発見される陶片(ワレ・カケ・窯キズ)は、現在市町村の指定埋蔵文化財にされ没収されます。
古窯の物原から発掘された陶片が、市町村の埋蔵文化財センターの中で、コンテナに入れられたまま無造作に積まれ、放置されていることを考えると、壊れた古陶片を寄せ集め新しい陶器として再生する‘金継ぎ’をする者には、宝の山に思えてa0212807_2201711.jpgなりません。
数百年前の古窯物原で、まだ数多の古陶片が、発見されずに眠っているのではないかと想像するだけで期待に胸が膨らみます。
(上と左写真:物原に棄てられていた古陶片の表と裏)
by blues_rock | 2013-04-21 00:03 | 金継ぎ/古美術/漆芸 | Comments(0)