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心の時空

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a day in my life

bluesの話 ハウリン・ウルフ&ヒューバート・サムリン

ハウリン・ウルフ(1910~1976)の渋くハスキーなヴォーカルとブルース・ハープ、ハウリン・ウルフのバンドで1976年にハウリン・ウルフが、亡くなるまで20年以上もギターを担当した相棒ヒューバート・サムリン(1931~2011)のブルースも痺(しび)れます。
二人が、ロック・ミュージシャンに与えた影響は大きく、その代表的なバンドが、‘クリーム’であり‘ローリング・ストーンズ’でした。(ハウリン・ウルフの‘スプーンフル’こちらです。)
a0212807_20434930.jpgクリームは、1966年から1968年までわずか2年間余のバンド活動でしたが、あっと言う間に世界を席巻、当時誕生し始めていたハードロックに大きな影響を与えました。
エリック・クラプトン(当時ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズのギタリスト)、ジャック・ブルース(ベース)、ジンジャ・ベイカー(ドラム)というブルースを愛する3人が、クリームを結成、バンドの役割は、すべて対等で誰がリーダーリップを取るわけでもなく、ライブではそれぞれの高度な演奏能力と個性が、ぶつかり合い強烈なアドリブでブルースにロックを融合、ブルースロックに昇華させていきました。(クリームのカヴァーした‘スプーンフル’はこちらです。)
エリック・クラプトン(下写真)は、最初歌うことを恥ずかしがっていましたが、ヴォーカルも担当していたベースの
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ジャック・ブルースとドラムのジンジャ・ベイカーの二人は、いつも険悪で、エリック・クラプトンも次第に歌うようになりヴォーカルも担当するようになりました。
クリームは、1968年人気絶頂にありましたが、惜しまれながら解散しました。
エリック・クラプトンは、翌1969年6月、自分のバンド‘ブラインド・フェイス’を結成しますが、LP1枚だけを残して10月にバンドを突然解散しました。                          (下写真:ジャック・ブルース)
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24才のエリック・クラプトンは、自分の新境地を求めアメリカに渡りました。
1970年‘デレク・アンド・ザ・ドミノス’を結成、デュアン・オールマンに出遭いロックの名曲「いとしのレイラ」(デュアンの麗しいスライド・ギターが心に響きます、こちら)を発表しました。
エリック・クラプトンは、デュアンをデレク・アンド・ザ・ドミノスに誘いましたが、デュアンは‘オールマン・ブラザーズ・バンド’(こちら)を離れませんでした。                   (下写真:ジンジャー・ベイカー)
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1971年デレク・アンド・ザ・ドミノスもアルバム「いとしのレイラ」1枚を残して解散、その年の10月、デュアン・オールマンが、オートバイ事故で亡くなりました。
前年の1970年9月、盟友ジミ・ヘンドリックスが薬物事故で死亡、立て続けに友人を失くしたエリック・クラプトンの受けた悲痛と精神的なダメージは大きく、その悲しみを癒せない   彼は、次第にアルコールと薬物に依存するようになりました。                                (下写真:ヒューバート・サムリン)
a0212807_20521865.jpgそして依存症治療のため長期入院、エリック・クラプトン死亡のウワサが流れました。
ヒューバート・サムリンと彼をリスペクトするエリック・クラプトン、ロバート・クレイ、ジミー・ヴォーン3人とのセッション・ライブ(こちら)も師匠を気遣う弟子たちのようでほんのりする光景です。
by blues_rock | 2013-02-18 00:08 | 音楽(Blues/Rock) | Comments(0)