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心の時空

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サルトルとボーヴォワール 哲学と愛  シネマの世界<第116話>

2011年に公開されたフランス映画ですが、2006年フランスのテレビ・ドラマ用に撮影された映像を劇場公開のために再編集し映画にしました。
a0212807_242514.jpg私は、イラン・デュラン=コーエン監督をまったく知りませんでしたが、これまでどの監督も取り上げなかった「哲学者サルトルと社会思想家ボーヴォワールの関係」を映画にしたところにこの映画監督の個性を感じました。
(予告編はこちら
哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905~1980)は、若い頃から天才の誉れ高く、サルトルの唱えた‘実存主義哲学’が、戦後世界の政治・思想・芸術に与えた影響は、計り知れないものがあります。
社会思想家ボーヴォワール(1908~1986)を世界的に有名にしたのが、1949年に出版された著書「第二の性」で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と書き、社会的な思想として初めて“ジェンダー”の概念を発表しました。
この映画では、そんな天才と才媛の部分は、あまり強調せず「男サルトルと女ボーヴォワール」の‘異なる性の衝突’をストーリーの中心としていました。
a0212807_253139.jpg映画の原題は、「Les Amants du Flore」、直訳すると「フロールの恋人たち」です。
フロールとは、パリのセーヌ左岸サンジェルマン・デュ・プレにあるカフェ「フロール」のこと、パリのこのカフェに、第一次世界大戦後から第二次世界大戦後にかけてヨーロッパの知識人・哲学者・思想家・芸術家たちが、集まりました。
サルトルとボーヴォワールは、ソルボンヌ大学で知り合いました。
当時から天才の評判高かったサルトルは、ボーヴォワールの知性と才媛に‘理想の女性’を感じ求愛しました。
a0212807_2194322.jpgサルトルは、ボーヴォワールに正式な結婚も同居もしない2年の“契約結婚”を提案しました。
それから二人は、ソルボンヌ大学1級教員資格を目指し一緒に勉強するようになりました。
試験の結果、首席サルトルでボーヴォワールは次席でしたが、ボーヴォワールの合格は、歴代最年少の合格でした。
サルトルは、ボーヴォワールに二人の関係を「女性に従属的な立場を強いる旧い婚姻関係を否定し‘自由で対等な新しい男女関係’にしよう」と提案しました。
つまり、お互いの自由な恋愛を認め合い、お互い正直に報告し合いながら“契約結婚”(事実婚)は、続けて行くa0212807_2201942.jpgというものでした。
実際サルトルは、生涯にわたって数多くの女性を愛人にしました。
サルトルは、「私が女性の中に身を置く理由は、簡単なこと、ただ単に男たちと付き合うより、女性と付き合うほうが、好きだということだ。原則的に言えることは、男たちとの関わりは、どれも退屈だということだ。」と言っています。
ボーヴォワールは、自由な恋愛を認め“契約結婚”を続けますが、サルトルは、彼女の教え子である学生(ボーヴォワールの同性愛相手)と性的関係になり、同時に他にも愛人がいました。
契約では、お互いの恋愛を正直に報告し合う約束でしたが、女好きであったサルトルは、実際には、全部をボーa0212807_2265859.jpgヴォワールに正直に話さず一部嘘をついてごまかしていました。
それでもボーヴォワールは、ブルジョワ階級が、持つ偽善的な倫理観と、キリスト教カトリック独特の欺瞞的な道徳を心から軽蔑し憎み、その世界観(パラダイム)を否定、必死で自立した女性になるために旧い社会体制と戦いました。
サルトルは、ボーヴォワールの「女性の権利と自由解放運動」の社会活動を積極的に応援しました。
ボーヴォワールは、アメリカで知り合ったネルソン・オルグレン(アメリカの作家1909~1981)と愛し合うようになりa0212807_2294130.jpg熱烈に求婚されますが断りました。
サルトルとボーヴォワールは、年を重ねるとともにお互いを慈しむ深い愛情と夫婦の絆で結ばれていき“契約結婚”は、サルトルが亡くなる1980年まで50年間続きました。
1964年サルトルは、ノーベル文学賞を受賞しますが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と、これを辞退しました。
サルトルは、「今まさに生きている自分自身の存在である‘実在’こそが、価値の中心にある」と主張、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っています。
時には、いまだに何だか良く分からない‘愛と性’について論理的に考え、哲学してみるのも楽しいものです。
by blues_rock | 2012-12-23 02:02 | 映画(シネマの世界) | Comments(0)