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心の時空

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東アジアの古代史(後編:古代日本史のミステリー)

a0212807_0381516.jpgこの時代まだ日本(倭国)にも韓国(百済)にも‘表記文字’はなく、漢字(中国の文字)が、共通の表記文字でした。
白村江(はくすきのえ)の戦いで滅亡した百済の難民2,000人が、この頃大宰府を経由して近畿へ移り住んだと言われ、701年に制定された日本最初の法律「大宝律令」(たいほうりつりょう、刑法と司令、日本の名が初めて登場)の編纂準備(681年に始まる)、飛鳥・奈良の仏教文化(仏像・寺院)に大和朝廷のブレーンとして大いに貢献しただろうと推察します。
白村江(はくすきのえ)の戦いは、大陸に大国の唐(中国)が出現したことにより、東アジアの勢力図が、大きく塗り変わる中で起きた古代‘中国・韓国・日本’国家間、最初の衝突でした。
a0212807_0403292.png白村江(はくすきのえ)の戦い600年後、2度にわたる中国(元)による日本侵攻「元寇」の戦いが、博多湾で起きました。(こちら
倭国に「邪馬台国」が誕生する以前、東アジアの民族は、自由に海を渡り文化を伝えながら東アジアを移動し混血していきました。
古代中国(西晋265~316)の「魏志倭人伝」には、「邪馬台国」や「卑弥呼」ばかりでなく、当時の日本(倭の国)の様子が、具体的に書かれています。
世界(東アジア)から認められた正当な倭国の王朝、それが「邪馬台国」(こちら)でした。
その400年後の712年に「古事記」、720年に「日本書紀」が、大和朝廷(天皇)の勅命により編纂されました。
a0212807_0412110.jpgしかし、この日本最古の歴史書「記紀」には、「邪馬台国」や「卑弥呼」についての記載がなく、すっぽり抜け落ちています。
「魏志倭人伝」(左写真)にある「邪馬台国と卑弥呼」が、当時の倭国に存在した歴史は、大和朝廷にとって「不都合な真実」であったのだろうと推察します。
なぜ、大和朝廷は、史実を隠蔽(いんぺい)し、日本初の歴史書「記紀」編纂から古代史の証拠を隠滅せざるを得なかったのでしょうか?
日本の古代史は、ミステリーに満ちています。
さらに、それ以前の「日本人の起源」については、こちらの力作サイトをご覧ください。
by blues_rock | 2012-11-06 00:30 | 社会/歴史/思想 | Comments(0)