秋の堀干し
私の古里の旧い家は、一面田んぼばかり、筑後平野の稲作地帯にありました。
古里には、網の目のように堀(水路つまりクリーク)が繋がり、平野いっぱいに広がっていました。
水田に筑後川水系から水を引くための堀でした。
田植えが始まるころには、堀は満々と水を湛え、水面には、ホテイアオイ(ウォーターヒヤシンス)や菱(ひし)など水草の茎と葉が生い茂り、子供たちの格好の水遊びの場となっていました。
夏の季節、日曜日や夏休みともなると子供たちは、学校の宿題もしないで毎日近くの堀に出かけ、手作りの釣り竿で小ブナを釣り、釣りに飽きると堀をプール代わりに真っ裸で泳ぎ、水草の間からブカッと顔を出すその光景はまるでカッパのようでした。
何の悩みもなく楽しいばかりの屈託ない幼い日々の懐い出です。
梅雨ともなると降り続く長雨で、堀の水嵩(みずかさ)が増し、時おり襲う大水(洪水)による子供の悲しい水難事故もありました。
夏泳いでいて水に流され水死する不幸な事故もありました。
そんな季節も過ぎて秋になり稲刈りも終わると農家の大人たちは、堀から水を筑後川へ戻し‘堀の水抜き’をしました。
堀の水を抜き、春から初秋まで半年の間に堆積した泥土と生い茂った水草を除去する集落の共同作業が“堀干し”でした。
堀をきれいに掃除し堀を干すため、両端に泥土で関を作り、残った水を簡易ポンプか、大人たちがバケツで汲み出すと堀の底からコイ・フナ・ライギョ・ハヤ・ナマズ・ドジョウ・ザリガニ・ドジョウが、バシャバシャと一斉に現れました。
こうして水路(クリーク)のように続く堀を少しずつ“堀干し”していくわけです。
子供たちも大人に交じり、堀の底の泥水の中で、頭の天辺まで泥に塗(まみ)れ、キャッキャ・キャッキャ大騒ぎしながら、小さな子供では抱えきれないくらい成長したコイやライギョを追っかけ回していました。
私の好物にフナの煮付け、コイの洗い刺身・コイこく汁、ハヤの甘露煮など淡水魚系が多いのは、そんな子供のころの生活風土に因るものと思います。